ニセモノになったお嬢様
ある日突然、エリザベート様ががおかしくなってしまった。
高熱を出して学園休んだ直後からだ。
最初は体調不良のせいだろうと思っていたけれどあまりにも様子がおかしい。
まるで人が変わってしまったようだった。
私は思わず「エリザベート様はそんなことは言わない!!」と叫んでしまいそうになった。
けれど、私以外の学園の人たちはそうは思わなかったようだった。
「人を見下すところがなくなった」
「公爵令嬢はまるくなられた」
「誰にでも親しく声をかけてくださるんだ」
「あんなお優しい人とは思わなかった。私はあの方のことを勘違いしていたのかもしれない」
そう言っているところを何度も見た。
婚約者である王子がどう思っているのかはお会いしないので分からないけれど少なくとも私が聞こえる範囲の人たちは皆そう言っていた。
平民と手を取り合ってなんて、エリザベート様が言う訳がない。
他にも、あれだけすべての言葉遣いに気を使っていらしたかたが、さも思わずぽつりとつぶやいてしまったみたいに普段使わない言葉遣いをするなんてことも何度もあった。
あの方は、エリザベート様はいずれ王妃となるためにそういうものすべてを訓練によってコントロールしてきたのだ。
勿論お茶会などで、さも、思わず言ってしまったという体で何かを言うことはあった。
けれどそれは、本当は思わずなんかじゃない。
それがあの人の努力が作り上げてきたもので、光の御子があらわれた程度のことで変えられるようなものではない。
習慣というものはそういうものだ。
それに光の御子はその力をこの国のために使うことを一番に考えているらしくほとんどの時間を研究と鍛錬に充てているという話だ。
私もほとんどお会いしたことは無い。
「ねえ、クラリス。私のこともエリザベートか愛称のリズって呼んでよ」
今日もエリザベート様は私に向かってありえないことを言う。
愛称をお呼びできるのか家族やそれに準ずる親しい間柄のものだけだ。
将来の侍女候補に対していう言葉じゃない。
エリザベート様はほとんど誰のことも名前では呼ばなかった。
家名を重視し、この国どころか近隣諸国の貴族の家名は全て覚えていた。
そして、その家の領地に何があるのか、何を商っているのか交通の要所なのか。
そういう部分を重視する方だった。
名前よりその貴族の家を重視する方だったのに私の名前を呼びそして愛称呼びを求める。
ありえない過ぎて何か意図を探ってしまう。
「そんな恐れ多い事です」
「え、そんなあ。
私は悪役令嬢ルートを回避するためにも仲間がいっぱい必要なのに」
最後に言った言葉の意味はよく分からなかったけれど、やはりエリザベート様はそんなことは言わないと思った。
エリザベート様は高飛車なお嬢様だと思われていた。
実際高貴な方なのだ。当たり前の部分もある。
ただ、エリザベート様はすべての場所でそのようだった訳ではない。
私の様に一生の忠誠を誓っているものの前では外から見えるものとは違うものを見せてくれていたのだ。
けれどそれは今の砕けた話しかたやまるで下町の娘の様な言動ではなかった。
それなのになんでこんなことになってしまったのだろう。
* * *
兄の婚約は私が生まれる前に決まっていた。
私から見た曾祖父が兄の婚約者と盟約を結んだためのものだった。
私たち一族の領は酒造りが盛んで、それの関係の提携が最初だと聞いている。
盟約を結んだ時期に作られたコニャックはブロワ家の特産として高い評価を受けている。
そのため婚約者のうちに女の子が生まれたら我がブロワ家に嫁ぎ関係をより強固にするということになっていた。
そのため兄とその婚約者は幼いころ婚約していた。
けれど、それは過去技術提供を受けた恩義によるものだった。
婚約者の家は何度かの小さな災害と、今年の冷夏で家が傾きそうになっていた。
今年の冷夏の影響を受けたのは兄の婚約者の家だけではなかった。
恵まれた土地を下賜されている大貴族であれば別だったかもしれないけれど、どこも厳しい状況だった。
そこへ盟約に基づく支援の要請が兄の婚約者の家から入ったのだ。
けれど、我が家も歴史だけはあるというだけの貴族でしかない。
酒の流通量は国が管理しており外国に輸出するのもすぐには無理だった。
どうすればいいのか私たち家族は頭を抱えてしまった。
援助をしなければ婚約は破棄となるだろう。
盟約は、元々もううちにはもうすでにうまみがあるものではなくなってしまっていた。
けれど、それで相手を切り捨てた時貴族社会はどう我が家を見るだろう。
誰にも何も決められなかった。
ただ、兄は既に婚約者を大切に思っていて、なんとか援助をと父に何度も頭を下げていた姿だけを覚えている。
当時の私は貴族の令嬢として甘やかされて育っていた。
私が甘かった。
甘ったれだったので一応公爵令嬢の友人という肩書にすがってエリザベート様に助けを求めた。
公爵閣下に選ばれた将来の侍女候補の一人でしかないなんて考えもせず、お友達という対等な立場になっていると思い込んでいた。
兄の婚約には公爵家は関わっていない。
公爵家の利になるものでもない。
それなのに私はエリザベート様にすがった。
「なぜ私があなたの家に金を工面しなきゃならないのかしら」
返ってきたのは迷いのない声だった。
「でも、このままじゃ我が家は兄の婚約者の家を見捨てなきゃならないくて……」
私がモゴモゴというとエリザベート様が私のことを鼻でわらった。
今にして思えば笑われて当然だった。
それから「なら、あの絵を売ればいいじゃない。あの客間の一番目立つところにある絵。名のある画家が描いたものだとブロワ家の者が言っているとききましたよ」とエリザベート様は言った。
あの絵は私の先祖がまだ、画家が有名になる前に描かせたものだ。
ブロワの領地で最も美しい湖を描いたと言われている。
今はその湖は枯れてしまい、もう領には無い。
領の思い出と何代にも引き継いできた伝統が描かれた絵だ。
名のある画家というのも本当で私たちの先祖が最初に見出したからこそその画家の作品の一部は今は王宮にさえ飾られているのだ。
エリザベート様はその絵を売ればいいじゃないと言った。
私はうつむいた。
友達と言っても、彼女が公爵令嬢だと理解していた。
本当は上下関係があると理解していた。
だから口汚くののしることはできなかった。
「あなたが守らないとならないのは一族だけの思い出?
それとも貴族としての約束?」
エリザベート様は私に言った。
「貴族は選ばなければなりません。
領民を全て救うことが叶わないこともあります。
兵士を全て生きて帰すことができないこともありましょう。
だからこそ選ばねばならぬ義務があるのです」
エリザベート様は言った。
そして黙っているしかない私に「貴族が一番に守らねばならないのは貴族としての矜持です。それは契約よ。その契約を投げ捨てて守らねばならないものなんてないわ」と言った。
最後に「家族に絵を売るように進言なさい。私がそう命令したと言えば充分よ」と付け加えてくださったのがエリザベート様のやさしさだと私は知っている。
その後私はエリザベート様に言われたことを家で伝えた。
派閥の頂点にある公爵令嬢に直接言われたことだ、そうするほかなかった。
兄がほっとした顔をしていたことは覚えていた。
私の家は、小さな飢饉で絵を売りに出す貴族だと笑いものにされた。
けれどそれはごく短い期間だった。
絵がすぐにどこかの好事家に売れたので話題にならなくなったことと、この国の一番古い貴族はむしろ我が家を信頼に値する家として扱ったからだ。
ブロワ家は盟約を絶対にたがわない。そういう噂が流れた。
それに、盟約には私たちには知らされていなかった、兄の婚約者の家が任意で行ってよいとされていた内容があった。
それは契約書にも書かれていない口約束だった。
今回の件を恩義に感じた相手の家が兄との結婚に合わせその内容、酒を入れるための瓶に関する技術協力らしいをこちらに提供すると伝えられた。
そういう結果になって私は初めて、エリザベート様のすごさ、ともすれば恐ろしさを知ったのだ。
盟約の口約束の部分に関しては完全に運の様なものだ。
けれど、古くからある貴族がバックについている商人の信頼が変わった。
古い貴族の晩餐会での様子も違うと両親も驚いていた。
エリザベート様はその時の苦難についてみていた訳ではなかった。
ブロワ家の未来を見ていたのだ。
その時私は、この方について行こうと決めた。
そして王子と婚約したエリザベート様に侍女としてついて行くことを誓ったのだ。
* * *
「その約束って本当にあったの?契約書は?
やっぱさ。ソースやエビデンスって大切じゃん」
目の前のエリザベート様が信じられないことを言っている。
勿論、付きまとわれている女子学生はかわいそうとは思うし、助けることはいい事だ。
ただ、付きまといと言っても、昼食の時に声をかけるだけだし、二人きりになろうともしていない。
それに二人とも貴族だ。家を通して何らかの連絡をしている可能性の方が高い。
「本当に約束をしてたとしても、子供の頃じゃん。
それを押し付けて何になるの?
その人の今の気持ちを一番大切にしなきゃ」
幼いころに結婚をするから迎えに行くと約束をしたという男子学生だけが表情を硬くして固まっていた。
他の見ていた学園の者達は「エリザベート様は本当にお優しくなった」とか「まるくなられて」とか言っている。
皆が今のエリザベート様の方が良いと言わんばかりの言い方だった。
勿論言っていることが間違っていないことも分かっている。
まずやるべきことがあったのではと思う部分もある。
けれどそれだって二人それぞれの話を確認して、当時の状況を調査してからできる話だ。
少なくともエリザベート様ならそうする。
私の家に著名な画家の絵があると知っていた時の様に。
けれど、エリザベート様が、エリザベート様である限り、そんなことは言うはずがない。
彼女が偽物なのか、それとも何か策略でそう動くと決めてらっしゃるのか。
それは私には分からないけれど彼女は本物ではない。
私がそれを確信した瞬間だった。
こういう時にどうするべきなのか。
私はすぐにエリザベート様のお父様である現公爵閣下と連絡をとった。
なんらかの策略をもってエリザベート様がわざとそのようにふるまっているときに、例え私的なお茶会であってもそれを公で聞くことはできないと判断したからだ。
公爵家にも恐らく隠密部隊位いる。
意図してのことであれば公爵も知っていて、外向きの理由を話してくれる。
そう思っていた。
まだ、希望を捨てていなかったのだ。その時の私は。
面会のアポイントメントは思ったよりすぐに取れた。
私が、将来は王妃の侍女の一人になることが決まっていたからかもしれない。
「……娘のことだな」
私が貴族としての迂遠な挨拶をしようとしたところを手で制し、公爵はそう言った。
「やはり、何か思惑が……」
変わってしまったエリザベート様はなぜか学園では皆がもてはやしていた。
なにか策のためなのかもしれないと少しの希望を持っていたけれど、それはエリザベート様のお父様の次の言葉で粉々に砕けてしまった。
「娘は、魔術塔に属する魔術医にすでに診てもらっている」
魔術塔はこの国の魔術師の中でもえりすぐりの者が入る組織だ。
王宮魔術師と違い国に忠誠は誓っていない。
何か策がある時に出てくる組織の名前ではなかった。
ガツンと頭を殴られたような衝撃があった気がした。
「エリザベート様は、何か悪い病気でああなってしまっているのですか!?」
思わず令嬢としてはしたなく大声を出してしまった。
どんな悪い病気なのか。
呪いなのか。
エリザベート様は、元の、私たちのエリザベート様に戻るのか。
私は、私ができることは何かないのか。
頭の中をあらゆる色々なことがめぐるような感覚がする。
公爵閣下の。エリザベート様のお父様の眉間のしわが一層深くなった。
「違う。娘は、エリザベートはいまとても深く眠っている状態だそうだ」
「でも、あれは!?」
「そうだ。あれは偽物だ。娘ではない」
「やっぱり……」
やはり偽物なのだ。あれが、本物のエリザベート様だとは思えない。
偽者としか思えないエリザベート様毎日学園に通ってらっしゃる。
眠っている様には見えなかった。
「深く眠っている娘の体を何者かがのっとっているそうだ」
「呪いですか!?
それであればすぐにでも解呪を!!」
誰かを操る呪術というのは聞いたことがあった。
そういうものへの対処を行っている筈の高位貴族が何故という疑問が残るが、呪いを解かなければならない。
公爵閣下のはため息をついて首を横に振った。
「呪い、ではないらしい。
むしろ祝福に近い何かだという検査結果が出ている」
祝福、それは神に愛されしものだけが使えるという特別な奇跡。
何故そんなものでエリザベート様が乗っ取られてしまうというのだ。
そして私は、祝福の様な奇跡を無くす方法を知らない。
「そ、それではエリザベート様は、どうなってしまうのですか!?」
「このまま、公爵家として娘を見捨てるとでも?」
公爵閣下はそう言った。
「だが、道は険しい」
静かな声が客間に響いた。
家族のことが一瞬頭をよぎった。
けれど、すぐにエリザベート様のあの時の言葉が頭に響いた。
『あなたの矜持のために本当にしなければならないことを考えなさい』
私は侯爵閣下を見て口を開いた。
「私にも協力をさせてください。
何でもいたします」
「ご令嬢が、なんでもなんて軽々しく口にするものではない」
「軽々しく等、口にしていません。
言葉通り“なんでも”する覚悟があるから申しております。
私はエリザベート様の一番の忠臣でありたいのです」
これは私の矜持の問題だ。
それこそ一生を捧げてもいい位の問題なのだ。
「穏やかな結婚生活も、友情も何も得るものはない。それでもいいと申すのか?」
「勿論です。
そんなものエリザベート様に比べたら大したものではないです」
私の言葉に公爵閣下は長い長い溜息をついてそれから眉間のしわをもみほぐすように手で押さえた。
「我が公爵家に隠密部隊がある。
そこの一部を娘のために割くことになっている。
その部隊に入るのであれば、娘の件について関わることを許そう」
公爵閣下はそう言った。
全てを話していないのかもしれない。
そこに行ってすべてを明らかにしてもらえないかもしれない。
けれど、私は今何を手放して、何を得るべきなのか。
それはすぐに判断をすることができた。
「ありがとうございます。
誠心誠意、公爵家のために働かせていただきます」
エリザベート様、いや、お嬢様を取り戻すための契約が成った瞬間だった。
公爵はその後すぐ、その部隊の一人を紹介するからと言って私を私兵のための部屋の一つに案内した。
私兵と言っても剣を扱う部隊ではない。
そこは普通の応接室の様に見えた。
ただし、窓は一つもない。
* * *
そこにあったのは、ずっとずっと忘れられなかったものだった。
どこかの好事家が購入したと聞いていた。
あのときの絵だ。
何度も何度も、夢にまで見た、ブロワ家の絵だ。
「この絵は?」
私は思わず聞いた。
公爵閣下のことだ。
絵の来歴は知っているだろう。
けれど、返ってきた言葉は全く予想だにしないものだった。
「ああ、この絵は娘が欲しがってね。
買ったにもかかわらず自室にも客間にも飾ろうとしないんだよ。
『この絵にはもっとふさわしい場所がありますのよ』と言って聞かない」
だから仕方がなく、公爵家の工作員しか立ち入らないここに一旦置いてある。
倉庫は不安だというのでな。ここは誰かのための部屋ではないから飾っていることにならないらしい。
そう言われ、私は思わず涙があふれた。
あのとき、エリザベート様は私を見捨てたわけじゃない。
そのことはきちんとわかっていた。
だけど、本当の意味でわかっていなかった。
「絶対にお嬢様を取り戻します。どんな手を使っても」
私は絵に向かって改めて決意を誓った。




