第五話 制度の理念 ― 公平の証明 ―
――雨が降っていた。
ギルド前の石畳を叩く音は鈍く、
どこか、物悲しい――
そんな日の【S.O.M.P.O. ジャン】窓口の前。
そこに、四人の影があった。
前に立つ、三人の冒険者。
その背後に静かに佇む、一人の女性。
名は、エリナ・ハルツ。
パーティー名【守護者の願い】のリーダー、
Cランク冒険者レオン・ハルツの妻。
彼女は剣も杖も持たない。
魔物の名も戦術も知らない。
食事を作り、
家を守り、
夫の帰りを待つ。
それが彼女の日常だった。
しかし――
その日常はもう、戻らない。
「――申告は、俺がやる」
前に出たのは、
盾を背負った男だった。
レオンと最も長く組み、
親友でもあった男――トーマス。
クロード・ジャン・アルヴェインは、
無言でうなずく。
机の上には、
帳面と、布に包まれた小箱。
中から取り出されるのは――
【真贋の宝玉】
「依頼は、Cランクの魔物討伐」
トーマスは、ゆっくりと言葉を選ぶように語りだした。
「対象は〈赤背の沼喰い蜥蜴(ラグ=メルド)〉」
湿地帯に棲む、巨体の魔物。
鈍重だが顎の力が強く、
尾の攻撃も油断できない。
だが、集団で挑めば危険は比較的少ない。
Cランクパーティーにとっては、標準的な相手。
「戦闘は……予定通りだった」
「囲んで、削って……大きな問題はなかった」
クロードが問いかける。
「事故の原因は」
「戦闘中……別の魔物に遭遇した」
「Bランクの魔物〈裂爪の洞狼(フェン=グラディオ)〉」
脚力と瞬発力に優れ、
鋭利な前脚の爪で一瞬の判断遅れを命取りにする――危険な魔物。
「偶然の上位ランクとの遭遇は、即撤退が条件なのは理解していた。
だが、より危険と判断し、戦闘を継続した」
上位ランクとの戦闘は、
事前承認がない場合、保険金の支払い対象外。
ただし偶然の遭遇で、
戦闘回避が困難な場合はその限りではない。
洞狼は脚力に優れる魔物。
逃げ切るのが難しい相手であることも、事実だった。
――だが。
「偶然」という言葉に――
宝玉の光が揺れた。
それを見逃さなかった冒険者の一人ルーウェンが、
観念したように顔を伏せ、耐えきれず口を開く。
「――違う!」
全員が、彼を見る。
その時には、宝玉が完全に濁っていた。
「最初から……分かってた」
「そう遠くない場所に……奴がいることは」
ルーウェンは自分を責めるように、
涙をこぼした。
弓と短剣を使い分け、
斥候も兼ねる器用な男。
ルーウェンは数日前、この湿地帯から三十分ほどの場所で、〈裂爪の洞狼(フェン=グラディオ)〉のものと思われる足跡と爪痕を確認し、仲間に報告していた。
トーマスが、歯を食いしばる。
「本当は……もっと早く蜥蜴を倒して、奴が来る前に終わらせるつもりだった」
洞狼は嗅覚にも優れている。
血の匂いが漂えば、
引き寄せられる可能性が高いことは分かっていた。
「偶然の遭遇なら、Cランク依頼の保険料で怪我の治療費も賄える……そう考えた」
高額報酬を得るチャンスだと、
レオンがみなを説得した。
無傷とはいかないが、倒せない相手ではない。
治療費や復帰までの期間を考えると敬遠されがちな魔物だが、
保険で補えるなら、割のいい相手でもあった。
「だが……想定外が重なった」
〈赤背の沼喰い蜥蜴(ラグ=メルド)〉が、
想像以上にタフな個体だったこと。
そして〈裂爪の洞狼(フェン=グラディオ)〉の出現が、
想定よりもかなり早かったこと。
「俺たちは焦って、消耗していた」
「そこへ……奴が来た」
最悪のタイミングだった。
討伐を諦め、全力で離脱を開始した。
〈赤背の沼喰い蜥蜴(ラグ=メルド)〉は深手を負っており、
追ってはこなかった。
だが〈裂爪の洞狼(フェン=グラディオ)〉は、
どうしても振り切れない。
「お前たちは先に行け!」
細道に差し掛かったところで、
レオンとトーマスは若い二人に指示を出す。
矢も尽き、自身が足手まといになると悟ったルーウェンは、
アイテム係のゼンティスから袋を受け取り、近くの枝にぶら下げる。
「――お願いします!」
そう言ってゼンティスを連れ、離脱した。
「行くぞ!」
トーマスが盾で正面から突っ込み、注意を引く。
その隙に、レオンが背後へ回る。
剣を振り下ろした瞬間、
洞狼がそれに気づき、前脚の爪で弾き返した。
疲労で踏ん張れず体勢を崩したレオンへ、
もう一方の前脚が襲いかかる。
それとほぼ同時に、
トーマスの振り下ろした大盾の側面が、洞狼に叩き込まれる。
――二つの悲鳴が、重なった。
〈裂爪の洞狼(フェン=グラディオ)〉は、
あきらかなダメージを負ってその場を離れ――
レオンは――
膝をついた。
「レオン!」
肩から胸元にかけて抉られたのか、大量の出血。
ポーションと包帯で多少出血は遅くなったものの、
完全治癒には程遠い。
命綱ともいえる大盾すら捨て――
トーマスはレオンを担いだ。
そして、街へ向かって走る。
「……エ……リナ……」
薄れゆく意識の中で、紡がれる名。
魔物と遭遇すれば、ほぼ間違いない死が待っている。
だが、今は一秒を争う。
「せめて……生きているうちに合わせてやりたい」
その思いだけが、
疲労でボロボロの体を進ませていた。
数刻後――
なんとか息があるうちに、
レオンをギルド併設の治療院へ運び込んだ。
慌ただしく治療師たちが動き――
しばらくすると、
顔を見合わせて首をふる。
意識のなくなったレオンの傍らには、
最愛の妻、エリナの姿。
そして、仲間たち。
その命が燃え尽きようとしていることは、
だれの目にも明らか――
報告を受けたギルド長が状況を確認しにくると、
苦い顔を見せた。
しばらく佇み――
「……もしかしたら……」
とつぶやくと、
何かを思いついたように治療院から出て行った。
みなが何かできないかと拳を握り、
奇跡を願う。
しばらくすると、
ギルド長が見慣れない治療師を連れてきた。
「治療のため」との理由で、
エリナと仲間達は、一時退出させられた。
それでもやはり――
奇跡が起こることはなかった。
「……すまん。俺には、こんなことくらいしかしてやれなかった……」
トーマスは思う。
死の間際、傍にエリナが寄り添っていることを、
レオンは喜んでくれているだろうか――
――翌朝。
治療師から、レオンとの別れが宣告された。
「逃げるべきじゃなかった!」
あの日の光景が、
ルーウェンの声を震わせる。
トーマスは静かに首を横に振った。
あの状況では、あれが最善だった。
エリナは、何も言わなかった。
ただ、指を強く握りしめていた。
しばらくの静寂の後、
クロードは帳面を閉じた。
「結論を告げます」
その声に、感情はない。
「本件は、支払い対象外の事故です」
「――ふざけるなっ!」
ゼンティスが叫ぶ。
「制度だの契約だの……人の命より重いのかよ!」
それは彼なりの、
おそらくは正義の言葉。
「守るって言ったじゃねぇか!」
納得できないゼンティスの拳が机を叩いた。
インク壺が小さく跳ねる。
「金を払うって言っただろ!」
しかし――
クロードは動じない。
「――出ません」
短く、断言。
「保険金は一切支払われません」
それでも、怒声は続いた。
だが――
「……やめてください……」
小さな声。
全員が振り返る。
エリナが、一歩前に出た。
「……もう、やめてください」
ほんの一言。
か細く小さなその声に、
ゼンティスの心からの叫びが覆いつくされた。
「無茶をして……ルールを悪用しようとしたのは、夫です」
唇を噛みしめながら、続ける。
「夫は……私のために、無理をしたんだと思います」
彼は、優しい人だった。
たくさんのお金を稼いで、
私を喜ばせようとしたのだろう……
それでも――
エリナは、静かに首を振った。
「それは……守られるべき死では、ありません……」
声は震えていた。
それでも、言葉だけは揺れなかった。
沈黙が流れる。
みなが何かを思い、噛みしめたまま――
その沈黙を、クロードが破る。
「本件は――偶然を装った高ランク魔物討伐と判断します」
「事前承認がないため、保険金支払い対象外です」
今度は誰も、何も言わなかった。
さらに続ける。
「虚偽報告については――」
いいかけて目をつむり、
今度はルーウェンを見据える。
「宝玉の判定を私が告げる前に、あなた方自身の口から真実が語られたことから、今回のみ罰則規定の適用を見送ります」
エリナは、深く一礼した。
安堵と悔恨が混じった涙が、静かに落ちる。
レオンと自分のせいで、みなに迷惑をかけずにすんだ。
せめてもの救いだと、その涙が語っていた。
その姿に、
クロードは一瞬だけ考え口を開く。
「――あなたは、読み書きができますか?」
「……できません。家のことしかしてこなかったので」
なぜこんなことを聞かれるのかわからず、
エリナは困惑の顔でクロードを見た。
「なら――学びませんか?」
真剣な眼差しで、その瞳を見返した。
仲間たちが息を呑む。
「帳面の整理。備品管理。接客」
「私ができることはすべてお教えします。多くはありませんが、生活に困らない程度には報酬もお支払いできます」
クロードは言葉を切り、
エリナの目をまっすぐに見つめたまま続ける。
「ここには、責任を理解する人間が必要です」
「自身に不利益を被ろうとも、ルールを尊重できる――あなたのような人が」
突然のことに、エリナはすぐに答えられなかった。
それでもその真剣な眼差しに決意し、深く頭を下げた。
「――お願いします」
次の瞬間、冒険者たちが一斉に頭を下げた。
「ありがとうございます」
トーマスが、声を詰まらせる。
「あいつの死が……」
「無駄にならないで済んだ」
大柄な男の目から、涙がこぼれた。
クロードは、静かに首を振った。
「無駄にならないかどうかは、あなた方のこれからです」
全員が、再び頭を下げた。
――いつの間にか、雨が止んでいた。
その夜の酒場。
「――金は、出なかったな……」
「でも、筋は通ってる」
「嘘は救われねぇ」
自室に戻ったクロードに、この言葉は届かない。
それでも――
灯りを落とした部屋で、クロードは思う。
この制度は、後悔を救うものではない。
後悔を、繰り返させないためのものだ。
帳面の裏表紙に刻まれた名が、
雨上がりの灯に、静かに照らされていた。
――【S.O.M.P.O. ジャン】
剣と魔法の世界に、
命の重さが、静かに受け継がれた日だった。
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次回更新:4/1(水)20:00予定です。




