第一話 酒場の記録者 ― 制度の始動 ―
冒険者の死に、値段をつける男がいる。
その男は、冒険者の「死」を記録していた。
遺族のためではない。
世界を、変えるために。
その記録は、やがて制度となる。
数えきれない命を救い、
そして、選別するための。
――数年前。
血まみれの冒険者が、最後の酒を飲んだ。
ほんの一口。
それが、限界だった。
ジョッキが床に落ちる。
鈍い音が響き、酒が広がる。
「……まだ、結婚して二年だってのに」
仲間がぼやく。
「冒険者なんだから、覚悟の上だろ」
誰かが言った。
足の怪我は、命にかかわるものではなかった。
だから、ポーションを使わなかった。
だが――
想定外の魔物の襲撃。
逃げ遅れ、致命傷を負う。
それは、偶然ではない。
回復を怠ったこと。
判断が遅れたこと。
本来なら、誰もが知っているはずの基本。
いや、知らなければいけない基本だった。
男は、もう答えない。
その呼吸は、止まっていた。
沈黙が落ちる。
誰もが、わかっていた。
この死は――
防げた。
無知ゆえの、ありふれた無意味な死。
その様子を、男は静かに見ていた。
何度目か、覚えていない光景。
だが男は、いつものように革表紙の帳面を開く。
戦闘の状況。
装備の損耗。
怪我の状態。
死に至るまでの時間。
それらすべてを、淡々と記録する。
(……未熟な判断、貧困の悪循環……典型ですね)
(……ですが……)
男は、心の中で静かに誓った。
(……いつか必ず、変えてみせます……)
冒険者が、無意味に死なない世界を。
ギルド併設の酒場《獅子の喉笛》は、
今夜も、血と酒と愚痴の匂いで満ちていた。
鎧の継ぎ目からのぞく古傷。
刃こぼれした長剣。
包帯の下で疼く痛みを、笑い声でごまかす冒険者たち。
彼らは今日を生き延びたことを祝うように。
あるいは、いつか必ず訪れる死の影から目を逸らすように。
泡立つエールのジョッキを、今日も掲げる。
その喧騒の外れ。
カウンターの端に、クロード・ジャン・アルヴェインは座っていた。
その静かな存在感は、酒場の熱気の中ではひどく不釣り合いだった。
まるで一人だけ、違う時間を生きているかのように。
戦士には見えない。
魔術師にも見えない。
だが、少なくともこの男には別の武器があった。
仕立ての良い外套。
使い込まれた革表紙の帳面。
そして、一本の羽ペン。
それだけで、この男が普通の客ではないことが分かる。
「エールを」
注文し、一口だけ飲む。
酔うためではない。
喉を湿らせただけで、クロードは視線を静かに横へ流した。
肘の動き。
歩き方の癖。
剣の刃こぼれと、盾の歪み。
冒険者たちの身体と装備を、淡々と観察する。
いや、正確には評価していた。
「――肋をやったのは三日前だ」
「この斧、二ヶ月もたなかった……」
そんな何気ない愚痴が、クロードの帳面へ静かに吸い込まれていく。
しばらく書き留めた後、クロードは羽ペンの動きを止めた。
思案する。
計算する。
死んだ冒険者の数。
その死に必要だった金額。
本来なら防げたはずの損失。
そして、この世界にどんな“仕組み”を持ち込めばいいのかを。
やがて帳面を閉じると、クロードは静かに立ち上がった。
にぎわう男たちの方へ向き直り、ジョッキを掲げる。
気付いた何人かが「なんだなんだ?」とクロードを見る。
視線は次第に増え、賑やかな酒場に一瞬の静寂が訪れた。
クロードは薄く笑う。
「――今夜の酒は、俺の奢りだ」
落ち着きのある、よく通る声だった。
一瞬、酒場の時間が止まる。
そして次の瞬間、
どよめきが爆ぜた。
「はぁ――っ!?」
「聞いたかっ!?」
「全員分だと!?」
歓声、疑い、笑い声。
椅子が軋み、ジョッキが鳴り、酒場の主が目を見開く。
「――本当だな、兄ちゃん!?」
その声に応えるように、クロードは片手を上げ、騒めきを制した。
「ただし……条件がある」
ざわり、と空気が揺れる。
「飲んで、そして語ってくれ」
クロードは静かに続ける。
「今日の傷の話を」
「壊れた武具の話を」
「敵から逃げた理由、逃げなかった理由」
「そして――失った友の話を……」
「全部だ」
クロードが語り終えると、沈黙が落ちた。
だが次の瞬間、誰かが笑った。
「なんだ、そんなことか!」
「愚痴なら山ほどある!」
再び、酒場が沸いた。
語りたい冒険者たちが、クロードの元へ集まる。
最初は、怪我自慢からはじまった。
途中一人の冒険者が、失った友の名前を出す。
一瞬、流れる沈黙。
そこから、冒険者たちの心の叫びが溢れ始める。
理不尽なこの世界への怒り。
守れなかった後悔。
次こそはという、かすかな願い。
表情一つ変えることなく、クロードは黙ってそれらを記録する。
帳面は、感情のこもらない文字と、冷たい数字で埋め尽くされていく。
それは、酒代の代わりに集められる証言。
命の値段を計るための、記録。
善意ではない。
浪費でもない。
これは、投資だ。
ジョッキの数が増えるほど、舌は軽くなり、真実が零れ落ちる。
怪我の頻度。
致命傷に至る確率。
武器の寿命。
そして、どの判断が生死を分けたのか。
帳面に走る羽根ペンの音だけが、喧騒の中で規則正しく続いていた。
その裏表紙には、まだこの世界の誰も理解していない名が記されている。
――Society Of Mutual Protection & Obligation
【S.O.M.P.O. ジャン】
相互に守り、義務を負う。
その思想を、一つの名にまとめたもの。
剣と魔法の世界に、剣や魔法では守れないものを守るための記録。
やがて制度となり、街を、国を、時代すら変えていくことになる仕組み。
それは、まったく新しい冒険の始まり。
そして、
救われる者と、切り捨てられる者の物語の、最初の一ページだった。
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次回更新:3/28(土)18:10予定です。




