7. 学術会前にそんな場合? 雑談と笑う騎士
王宮学術会当日。
まさか騎士団の治癒室で支度をすることになるとは、露ほどにも思わなかった。
念のため実家から私付きの侍女であるサラに来てもらったが、特に仰々しい準備はない。正装の深緑色をしたローブを羽織るので、ドレスは適当でもいいくらいだ。
とは言え私も貴族令嬢。ドレスは戦闘服、という概念は多少ある。流行りのパニエで大きく膨らましたドレスは着ないが、いつもより品の良いドレスを出来るだけ綺麗に見えるように着た。
サラは、長い髪をアップにまとめると、私の背中を軽く叩いた。
「お綺麗ですよ」
「はいはい、ありがとう」
同年代で美貌と称えられるのは、大きな瞳に小柄な体躯、それでいて豊かな曲線を併せ持つ、可憐な女性のことだ。
女性としては高めの身長に、肉感の乏しい薄い身体。気の強さを隠しきれない瞳を持つ、間違っても流行の美貌とは呼べない私を、彼女はいつも褒めてくれる。主人の機嫌を損ねない使用人としての処世術だが、小さな頃からついてくれる彼女からの言葉はなんとなく受け取りやすいので不思議だ。
そう言えば六つ下の弟が生まれたときにはもう私付きの侍女だったけど、その前はどうだったっけ? 弟が生まれるまでは、ひたすら魔法の練習をしていた記憶しかない。こんなに良くしてくれるサラとの思い出もないなんて、我ながら薄情な記憶力である。
きっと自分の意のままに過ごしてきたのだろう。
「サラ……。今まで迷惑かけてごめんね……」
「急にどうされたのですか? お嫁に行くでもあるまいし」
「突然、これまでのわがまま放題を反省しました」
「お嬢様がわがままだったことはありませんが……?」
なんと。サラは本当にできた侍女である。私にはもったいない。
「学術会を前に落ち着かないのですね」
「うーん、そうかも?」
「いつも通りにしていれば、お嬢様なら大丈夫ですよ」
私のいつも通り……。うん、確かにこの根性と細かいことを気にしない性格を前面に押し出していけばなんとかなるわね。流石サラだわ。
「はあい。ぶちかましてきます!」
――サラ、頬に手を当てて困った子どもを見るような顔をしないで。
ちなみに誰にも内緒だが、留め具が壊れたバレッタは、ローブの内側の胸ポケットにこっそり忍ばせた。私はジンクスは信じる質なので。
トントン
ノックの音にサラが扉を開けると、ボードン伯爵の地下室で会った明るい橙色の髪の騎士様がいた。
「お迎えにあがりました。ご支度は済んでおりますか?」
「はい」
「本日閣下より護衛を拝命されました、テオドール・エバンスです。第一分隊の隊長を任されております」
エバンスといえば騎士家系の伯爵家だろう。お父様が当代の騎士団長だ。
ところで、第一分隊といえば騎士団の精鋭部隊とか言う話ではなかっただろうか。そこの隊長様……?
(……つい数日前のこととは言え、ルシアン様、少し厳重すぎではないかしら?)
「エマ・フォードです。今日はよろしくお願いします」
治癒室を出ると、エバンス様は斜め後ろをついてくる。
(慣れないな……)
収まりが悪いどころじゃない。チラリと彼に目線をやると、翠色の瞳がいたずらっぽく細められた。
「ルシアンじゃなくてごめんな」
「はい?」
いきなり何のお話ですか? 先程までの畏まった態度は一体どこへ?
「親しそうだったから」
「……いえ。学友として認識頂いておりますが、特に親しくはないですね」
「ええ? そうなの?」
「はい」
ふーん、とつまらなそうにされても、ないものはない。というか、公爵閣下へこの気安い態度。一体どういう関係だろう?
「ああ、俺? 俺はルシアンの幼馴染なんだ。四つ上だし、兄貴分ってとこかな」
「そうなのですか」
いけない。疑問が顔に出ていたようだ。貴族令嬢としては減点ものだ。
「あいつは最近、宮廷魔術師として召し上げられてね。今はその仕事で呼び出されてるんだ」
「へ? そうなのですか?」
宮廷魔術師とは王族お抱えの魔法使いのことだ。少数精鋭の何でも屋みたいなものだと認識している。詳しくはよく知らない。
「うん。氷魔法もだけど、魔法陣も得意だしな。救出のときも正確に転移しただろ? あなたのサポートがあったらしいが、なかなかあそこまではいかない」
転移は、場所を正確に念じたり、魔力の出力を厳しくコントロールできないと、到着点に大きな誤差がでてしまうのが難点だ。想定点より数キロずれることもよくあることなので、ルシアン様の転移がいかにすごいかがよくわかる。
「まあ、そういう知識や技術的なものもあるが、王太子殿下が三十歳になり、ついに周りを固め始めたって話だな」
「……」
「その点でルシアンは格好の駒だからね。公爵としての手腕や騎士団副団長の実力は折り紙付きだし、あの容姿だ。貴族だけじゃなく、民からの絶大な人気もついてくる」
「……」
「あいつも幼くして公爵位を継ぎ、苦労もあっただろうから、王太子殿下という後ろ盾を得るのはいいことなんじゃないかな。殿下はバランスのよい方だし悪いようにはならないだろう」
「……あの、それ、私が聞いても良い話でしょうか」
「うーん、ここだけの秘密ってことで」
(聞きたくなかった!)
研究職も部外者には研究内容を秘匿する義務があるし、口は硬い方であるが。……機密事項はわざわざ知りたいものではない。
それにしても、責任や肩書きのなんて多い人だろう。たまたま同じ歳で、同じ学校に通っていなければ、話すどころか、すれ違うことすらなかった。
「ルシアン様って、三人くらいいそうですね」
「ははっ。面白いね。……普通はそこで『ルシアン様格好いいー!』とか、公爵夫人の座への野心を見せたりするものだけど」
「?」
格好いいというより純粋に働き過ぎだと思うし、公爵夫人の座なんてものには興味はない。
「まあ、実際上手く回してるよね。公爵家の運営は、指針だけ指示して、代々の優秀な家臣に任せているんだ。あの家には今ルシアンしかいないし、邸のことは最低限でいいしな。それで仕事に没頭できるんだろう」
「……」
お母様がいるはずだが一緒には住んでいないのだな。まあ、どうでもいいか。
「……家族のこととか気にならないの?」
「私が聞いていいこととは思えませんでしたので」
いや本当、この人はさっきから何が目的でつらつら話をしているのだろう?
「根が素直なんだねえ。その髪で苦労しただろうに」
(うーん、やっぱり値踏みされてる?)
変な女が親友に近づいていないか、目を光らせているのだろうか。
「……あの、そう警戒されなくても、ただの過去の学友ですし、変な野心もありませんのでご心配には及びませんよ」
「ははっ! ごめん、あいつに近づくご令嬢の対処で神経質になってたみたいだ」
まあ、あの完璧超人に、こんな髪の女が纏わり付くのは阻止したいよね。私は何もしないけれど。
「いやー、さすが鋭いし、誠実だねえ」
「誠実?」
「そう。言われない? ルシアンとかに」
「え? いいえ、言われたことはないですが」
「ええ……? うーん、あ! あいつは例えばどんなふうにあなたを褒めるの?」
「褒める……? 普通に、すごいね、って」
エバンス様は、耐えきれなかったように吹き出した。
「あっははは! あいつ! フォード嬢は子供でもあるまいし」
「……? その飾らない感じが嬉しいといいますか。
……はっ! もしかしてそれが彼の術中だったりしますか?」
「社交界の華」なんて呼ばれるお世辞のうまそうな男があえて飾らない言葉を使うことで本心だと思わせる。……つまりあれは、お世辞だったってこと??
いや、自分でも何言っているかわからなくなってきた。え、でもお世辞だったら普通に悲しいな。
「それは! 違うと思うな!」
「そうですか。なら素直に喜んでおきます」
疲れたので深読みするのは止めた。ただでさえ今は学術会前。頭は温存しなければ。
「面白いねえ」
「はあ」
「ねえ、俺のこと褒めてみてよ」
「はい? 初対面なのでよく知らないのですが……」
「そこで容姿を褒めないのがいいよねえ」
ん? ご自分のお顔自慢でしたか?
「何でもいいからさ」
「ええ? ……では……、髪のこと、ジロジロ見ないのがいいと思います」
仕事だったからかもしれないが、高位貴族にありがちな、髪を見て見下したり、哀れんだりする仕草がなかったのは印象的だった。
「うん、あとは?」
「独特の愛嬌がおありですね。たぶん、失礼なことをされたと思うのですが、あまり不快には思えませんでした」
「うんうん」
「……ルシアン様に信頼されているように思いました。優秀な方なのでしょうね」
「それで?」
「流石にもうないです」
貴族令嬢とはいえ、夜会経験は乏しいし、参加したとて壁の花(花にもならないけどね)が関の山の私は、殿方を褒めるのも勿論苦手だ。そろそろご勘弁願いたいところである。
「顔は?」
「……顎のラインが綺麗ですね?」
やはり顔自慢でしたか? すっと尖った顎は、魔法陣の図形にありそうだ。
「ははっ! 流石に顎を褒められたことはないな。ありがとう。ルシアンに自慢しておこうっと」
「?」
一体なんだったのか。マイペースな人というのは、こういう人を言うのだろう。
「ところで、今話すことでしたか?」
「うーん、ちょっと気が抜けたでしょ?」
「……。正直微妙です」
「ははっ! ごめん! だけど、俺はあなたの味方になるって決めた!」
最後まで自分のペースを崩さないエバンス様は、ついに足を止めた。
マイペースを今ほどうらやましく思うこともないだろう。
「はい、到着。――頑張ってね」
目の前に王宮の講堂の重厚な扉が立ちはだかる。肺の奥まで深く息を吸い込んだ。
(気圧される必要はない。私は、私のやることをやるだけだ)
深緑のローブの裾を払い、私は一歩、前へ踏み出した。
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