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5. 一件落着?事件の顛末と不毛な恋心



 瞼の裏が明るい気がして、目を開けた。柔らかい日差しが眩しい。


(どこ……?)

 

 ツンと薬品の匂いがする。指先が触れるのは、さらさらとした清潔なシーツ。寝台は簡素で、曲がりなりにも子爵令嬢である私の慎ましい天蓋はない。

 サイドテーブルには、水差しに青いカーネーションが一輪刺さった花瓶。バレッタ。


(バレッタ、あってよかった)


 バレッタがなければ割と絶体絶命だったよね。あの窮地を脱せられたのだから、あれはかなりの強運を秘めているに違いない。もう魔石には魔力はほとんど残っていないだろうけど、常に持っている他に選択肢はない。私は恥ずかしながら都合のよい占いや、ジンクスは信じる方だ。


(――本当に、来てくれたんだ)



 ところで身体が重い。冗談抜きで腕の動かし方が分からない。二十年も付き合ってきた身体なのに自分のものじゃないみたいだ。水差しはありがたいけれど、どうやって水を飲んだらいいものか。


(喉乾いた……)


 飲めないと思うと無性に飲みたくて仕方ない。視線をさらに滑らせると、足元の椅子に刺繍の手を止めて目を瞑る人影があふれる。


「お母様……?」


 あ、声は出た。よかった。

 お母様は眠ってはいなかったようで、弾かれたように顔を上げた。


「エマ……!」


 椅子を蹴飛ばす勢いで横たわる私に抱きついてくる。久方ぶりに感じる柔らかさに、心が引き絞られる。

 

「もう! 心配したのよ、この馬鹿娘」

「……ごめんなさい」

「あなたのせいではないわ。……よく、よく頑張ったわね」


 お母様の目に涙が浮かんだのを見て、うっかり移ってしまった。顔を合わせて同時にふふっと笑うと、身体を支え起こして、水を飲ませてくれる。


「ここは騎士団詰所の治癒室よ。聖女様の治癒を受けて、ここに運ばれたの。今、騎士の方を呼んでくるわ」


 黒く塗りつぶされた意識の中で、バレッタを握る手が温まり、さらりと額を撫でられたあと、清らかな風に包まれた記憶がぼんやりとある。

 目を開けることはかなわなかったが、あれが聖女様の治癒魔法か。あんなの見せられたら、誰だって跪きたくなるよ。神の御業って感じだったもの。まさか一生のうちで体験することになるとは思わなかった。……まあ、まさか攫われるとも思ったことなかったけど。


 オフィーリア様はまだ十七歳とかだったはずだ。高等学校も卒業前の少女が、ああして最前線で治癒や守護を司るのか。

 個人的に、立派だねとは言いたくないな。わずか数人しか持たない神から与えられた特別な力。その力を与えられた十七歳の少女を神格化したり、その力を行使するのが当たり前だという風潮は、私からすれば論外だ。

 

 しかしどおりで身体が重い。治癒魔法を究めた聖女は、心臓が動いてさえいればどんな大怪我も治せるらしい。極端に言えば腕がきり落とされても再生できる。

 ……これだけ聞くと本当に神の御業だな。

 一方で、怪我をした人の生命力を必要とする。つまり、極端に疲れる。軽症の私でさえこの有様なのだから、大怪我のあとは一体どうなってしまうのだろう。


トントン


 ノックと共に、赤い髪の女性隊員が入ってきた。

 

「傷はどうかしら?」

「痛みはありませんが……」

「それならよかったわ。だるさはもう一日見ないとだめかしらね」

「……わかりました」


 今日はうまく動けないままということか。


(少しやっかいね)


 危機が遠ざかり回復してきた思考は贅沢だ。顔に出ていたのか、女性隊員は肩をすくめた。


「その気持ち、わかるわ。体力のある男性や魔力の多い人だと、反動は少ないのよ。実際、ルシアン副団長が治癒の後に寝込んでいるところを見たことがないもの。まあもともと怪我の少ない人ではあるけれど。あなたは……」

「なるほど、確かに私は反動を受けそうです」

「……そうね。寝るしかないわ。」


 これは嘆いても無駄だな。おとなしく寝ていようと思う。


「……そろそろ本題に移るわね。あなた、事件については、およそ理解しているのよね?」

「はい」


 彼女は、野心溢れるサイラス・ボードンは私を金のなる木と見込んで攫い、歪んだ愛情も相まって自分の隷属下に置いて管理しようとした、と要約した。――サイラス・ボードンめ……、いい迷惑でしかない。


「どう? 意識に変なところはない?」

「はい。幸い印を押される前に救出していただきましたし、問題ないと思います」

「さすがはアイゼン副団長ね。転移で急にいなくなったときは驚いたけれど。……それと、身体は大丈夫?」


 このタイミングでわざわざ聞くということは、怪我のことではないな。なるほど、だから、女性隊員が来たのか。

 

「はい。何もされていません。ご配慮ありがとうございます」

「そう、よかったわ」


 彼女は肩を緩めた。――そうか。こんな私にも、そういう危機がありえたということか。

 遅れてカクついた歯の根を慌てて噛み締めた。

 

「サイラス・ボードンは地下牢に捕らえてあるわ。子爵令嬢の拉致監禁に暴行、国家手配の魔道具の所持。これだけでお釣りが出る程なのに、傭兵を脅したりと余罪もボロボロ出てくるから、今後牢を出ることはなさそうね」


 それはよかった。是非とも全ての罪を明らかにして、裁判で容赦ない裁きをお願いしたい。

 ボードン伯爵家は、息子へ家督を譲り、男爵への降爵となる見込みだと彼女は言ったが、砂粒ほども興味はない。私のすべきことは全力で忘れることだけだ。

 

「もう一日ここで過ごして、問題なければ明日自宅へ帰れるわ」

「はい。重ね重ねありがとうございます」

「それにしても冷静ね。救出されてから一日しか経っていないのに」


 冷静かどうかはともかく、今彼女はおかしいことを言わなかったか?

 

「……一日?」

「え? ええ。聖女の治癒の影響で丸一日寝ていたのよ」


(よし、落ち着こう)


 つまり、攫われて、次の日の明け方に救出されて、一日経っている……?これはもしかしなくとも……


「明日! 学術会!!」

「え? ええそうね。明日、王宮学術会ね。騎士団も警備に出るわ」

「なんということ! こうしてはいられない!」


 研究所に行かねばと身体を起こそうとするも、ただ蛙が潰れたような声が漏れ出ただけだった。


「ぐぅ……っ」

「大人しくしていなさい!」

「はい……」


 結局、治癒室にもう一泊して、ここから学会に参加することになった。明日は問題なく動けるようになっていますように。抱えられて登壇とか冗談じゃない。


(――ともかく、準備は終わっていてよかった……)



◆◆◆

 

 

 さて。やることがない。

 女性隊員が退室して、遅い昼食を頂いた後からずっと、バレッタをぼーっと眺めている。

 ついに居た堪れなくなって布団をかぶった。


(私、あの時、なんかトチ狂ったこと考えなかった!?)


 危ない、目を覚ませ私。

 橋を渡ったらどうとかいうアレを知らないのか。


 やれやれ、まったく彼は危ない男である。こんなの令嬢どころか、老若男女ホイホイなわけだ。その公平さが誰彼構わず熱狂させていることに気づいていないのだろうか。


 抱えられたときの逞しい腕の感触。あれが、男性。私の貧相な腕と全然違う。

 ……うわあ、私変態か?

 あのボードン伯爵(もうただの罪人か)をなんとも言えないかも。


『婚約者の一人もいない』

『その髪だ無理もない』

『かわいそうなお前を私が……』


 はいはい、わかっています。全く持って、その通りですよ。


 貴族は血統だ。盤石な基盤を次代へ繋ぐためには、後継ぎに一点の曇りもあってはならない。もし、私のこの髪が遺伝してしまったら?  その子にも婚家にも、大きな負担を強いることになる。


(なら、最初から望まない方がよほど合理的だわ)


 だから結婚願望もないし、まあいい縁があれば魔力にこだわりのない平民と結婚するのかもと思っていた。


 こんな髪の、まして跳ねっ返りの研究者なんかに好かれても、彼にとって何のステータスにもならない。


 アンセリア王国の三大公爵家の一つ、若き当主にして騎士団副団長。

 非の打ち所のない美貌に、鍛え抜かれた長身。国内屈指の魔力を誇り、その氷魔法は洗練の極みにある。おまけに性格は公平で穏やか、高圧的なところなんてありはしない。

 ……うん。おとぎ話から飛び出してきた王子様だな。高嶺の花どころか、もはや雲の上の存在だわ。

 

 そもそもたくさん縁談が来ているだろうし、選びたい放題だろう。そう言えば彼は「社交界の華」とも呼ばれて、人気を独占しているとも聞く。

 女性は二十歳にもなって婚約者がいなければ婚期逃しと囁かれ始めるが、男性の盛りはこれからだ。公爵夫人の座を狙う争いは益々過熱するに違いない。


 私のような異分子は完璧な彼の周りには不要でしかない。


 布団からそろりと顔を出してまたバレッタを眺める。

 

 ――だから、自覚したくなかったのに。

 まったく不毛だ。


 ぎゅうっと目を瞑る。現実逃避のはずだったのに、瞼の裏には昨日の彼のほっとした顔が浮かんだ。


 ああ、ああ、もう!本当に不毛!


 ――でも、大丈夫。まだ自覚したばかり。

 まずは、明日は学術会を成功させよう。そして、変わらず魔石を愛すのだ。

 そうしているうちに、なかったことになる。


(なかったことにしてみせるわ)



 生命力が使われた身体は、ずぶずぶとシーツに沈み込んでいく。眠りに引きずられていく意識の中、今は遠いあの日の彼の照れたような笑顔が、やけに眩しかった。


 


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