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4. 想定以上。『魔王様』の無双



 あまりに眩い光に目を閉じると、知った清廉な魔力が身体を包んだ。 


 

 ドゴォォォ!!


 

 やけに重い音がした。一瞬の後、腕をぐいと引っ張られ、身体が一瞬浮遊する。

 

(わっ……!)

 

 目まぐるしい状況に置いていかれているのを感じるが、腕をつかんだ手が、私を傷つけないことは直感でわかった。

 軽く尻もちをついた先、確かな希望を持って、今度こそしっかりと目を開ける。


 

 白い騎士服で身を包んだ大きな背中。

 それが先ほどまでの地獄から私を切り離すように堂々と立っていた。


 

「ルシアン様……?」


 都合の良い夢ではないかと、震える指先で頬を思いっきり引っ張る。

 ――痛い。というかそんな事をしなくても、身体中痛いのだった。


 こちらを振り返る凛々しい顔。高い魔力を象徴する淡い金髪は乱れ、青い瞳は冷たい炎を灯すように鋭い。通った鼻筋の先、引き結ばれた薄い唇が、私を一瞥すると少し緩んだ。


 つられて、強張っていた身体が弛緩する。

 

(本当に、来てくれた……)

 

 彼は再び表情を引き締める……、いや、その触れたら切れそうな眼光は何ですか……?

 ともかく彼は、ボードン伯爵に向き直った。

 

 あれ? ボードン伯爵ったら、いつの間に壁際に移動したのかしら?

 ルシアン様は右のつま先を整えるように、とんとんと石床を叩いた。

 え、まさかその、長い御御足で……?


「さて、これは一体どんな状況かな?」


 

 魔王……! 魔王がいらっしゃる!!

 言葉尻こそ優しいが、なんて冷ややかな声なんだ。言葉一つで凍りつきそう。いや実際凍りついてるのかも。誰も動かないし。


 先程まで私を嘲笑っていたボードン伯爵の傲慢な顔が、見るも無残に青ざめている。


「……っ、これはこれは、アイゼン公爵かっ」


 ボードン伯爵が必死に口を開くと、ルシアン様はパン、と手を合わせた。不快な声で発せられる言葉が不自然が止まる。


(まさか閉口術かしら? 無詠唱とはなんて高度な……!)


「口を慎もうか、サイラス・ボードン。私はまだ貴殿に発言を許していない」


(……さすがに理不尽では? ルシアン様が質問しましたよね)


「どうしてここに、とでも言いたげだね。貴殿がさらったフォード嬢は、貴殿が思うよりも遥かに胆力があり、遥かに優秀だったということだよ」


(あ、それは嬉しいです)


 極度の緊張から解放され、制御を失った思考は、ルシアン様の声に滑稽なほど素直に反応する。


「彼女が居場所を教えてくれたんだ」


 ボードン伯爵は鬼の形相でこちらを見た。

(気づいてくれなくて助かりました。――ありがとうございます)


 

「――それで? 貴殿が後生大事に握りしめているものは何かな」


 ルシアン様が指を振ると、手の中の隷属の魔道具がみるみる引き寄せられる。彼は空中に浮かぶそれを片手で掴み、観察するように眺めた。


「へえ。隷属の印だね。その危険性から国家で取り締まっている禁忌の魔道具だ。……これは、貴殿が用意できるようなものなのかな」


 国家手配の禁忌の魔道具とやらを、手の中で無造作にくるくる回す。

 やめて、危ないから。


「女性をこんな物で縛り付けようとするとは、紳士のやることではないね。虚しくはないの?」


「むー! むー!」


 ボードン伯爵は、口が閉ざされ、真っ赤になった顔で必死に何かを叫んでいる。

 間抜けでいい気味だ。

 完全に虎の威を借りている自覚はあるが、これまでの仕打ちを考えれば少しは大目に見て欲しい。


「うーん。閉口術をかけていても不快だね」


 ルシアン様は、指をパチンと鳴らして術を解除した。

 ボードン伯爵がゲホゲホと苦しげに咳き込むが、ルシアン様の背中は微動だにしない。

 

(――こわあ)


 ルシアン様ってお仕事中は、こういう感じなんですね……。

 春の陽光のような麗らかな彼の、別の一面を垣間見てしまった。普段を知っているから余計怖いのか?

 勤続して三年も経たず、弱冠二十歳で副団長の座にいるのだから、こうした厳しさも必要なのだろう。


 

「ど、どうかお許しを!」


 必死な形相だったわりに、しょうもない懇願だ。ルシアン様は、すげなく切り捨てた。

 

「私に許しを乞うても無駄なことだ。貴殿の罪は全て調べさせてもらおう。その上で、王宮裁判所の沙汰を待つんだ。

 ――彼女の誇りを傷つけようとした罪、軽く済むとは思わないことだね」

 

「――っくそお! お前達なにしてる! かからんかッ!」


 ボードン伯爵が怒り狂った形相で怒鳴ったのを合図に、傭兵達が各々魔法で作り出した武器でルシアン様に襲いかかった。


 

「……目障りだね」


 ルシアン様は魔法すら使わず、一歩踏み出した。


 

(――え? 今何が起きたの?)


 気づいたら傭兵が転がっている。

 ボードン伯爵は、傭兵たちが作り出した僅かな間に、どこからか取り出した魔石を放り投げた。

 それは空中で膨張し、爆発的なエネルギーを放とうと強く発光する。

 

(爆発する……!!)


 

 ――キィン……!!


 

 冷たく乾いた音がした。

 ルシアン様が指を向けた先で、魔石がエネルギーごと凍りついている。

 それは、パチン、という音とともに霧散した。


(圧倒的だ……)


 

「さすがに護身用の魔石は持っていたんだ。それで?

 ――まさかこれだけ?」


(――いやいや、何煽っているんですか! 窮鼠猫を噛むって知らないんですか!?)


 ヤケになったのか、ボードン伯爵は真っ赤な顔でまた一つ魔石を放り投げる。天井付近で、今度はバチバチと音を立てて稲妻が発生し、ルシアン様を襲う。


「危ない……っ!」


 これまで固まっていた声帯がやっと機能した。発生した稲妻はさっきみたいに氷で包めない。


 ルシアン様は、悠然とした立ち姿のまま、指でつぅっと空を撫でる。氷の壁が瞬時に生まれた。それはルシアン様の頭の先から、ボードン伯爵の足元まで伸びている。

 稲妻は氷の壁に当たると導かれるようにボードン伯爵の足元へ落ちた。


(――まさか誘雷して身を守るなんて!)



 ドオオオオオン!!!


 

(っっ! なんてすごい音!)


 鼓膜が破れそう。床にへたり込んでいる腰がその衝撃でちょっと浮いた。

 落下先に目をやると、硬い石床が無残にもえぐられている。


(…………………………)

 

 もう目の前の出来事に突っ込みもできません。


  

 騎士ってすごい。……いや、ルシアン様の魔法への熟れ方が異常なのだわ。

 こんなに瞬時に対抗策を思いついて、多彩な魔法を的確に実行できるとは。こんなときでも余裕を崩さない彼の後ろ姿に、彼の研鑽の一端を垣間見た気がした。

 

 ボードン伯爵は戦意喪失したように項垂れている。いや、戦うつもりは毛頭なかっただろう。哀れなことに逃げる隙さえ作らせてもらえなかった。そこには天と地ほど武力差があった。

 

 ルシアン様は氷の糸でボードン伯爵をぐるぐるに拘束している。


  

「おい、ルシアン。すごい音がしたが大丈夫か?」


 騎士の白い隊服を着た、明るい橙色の髪色の男性が扉から顔を出した。部下の方だろうか。ルシアン様は、短く返答しした。


「問題ない」

「――いや、いやいや問題あるだろ。フォード嬢が怯えてる」

(そう、そうです、騎士の方!)

「それは許しがたいな」

(――あなたです、ルシアン様! とんだ制圧現場でした)

「いや、自覚ないのか? お前だろ。指示を出すだけ出して、さっさと自分だけ転移するんだもんな。……はあ、まあいいか」


 部下らしき人は、何やらぼやぼやと一人で呟くと、キリリと表情を引き締めた。

 

「――副団長、騎士団現着しました」

「ありがとう。この通り、ボードン伯は現行犯で捉えた。他に余罪がないか調べてほしい」

「承知しました」


(あ、伝えないといけないことがあったわ)

 

 私しか知らない事実なのに、危うく人でなしになるところだった。


「あの……!」

「フォード嬢?」

「そこの傭兵の方のご家族が捕らえられているかもしれません。それを盾にボードン伯爵に脅されていたようです。ご家族に罪はありません。どうか、お願いします」


 ルシアン様は一つ小さく頷いた。

 

「テオドール」

「はっ。確認します」


 一つ心の荷が降りたように感じた。

 改めて、今回の騒動引き起こした自分がとても不甲斐ない。今できる精一杯で居住まいを正す。


「アイゼン公爵閣下。この度は大変なご迷惑をおかけして、申し訳ありません」


 魔石を発動させてから大して時間もかからずに駆けつけてくれたその背中は、隊服を纏っていた。先ほどの騎士の方もそうだ。真夜中にも関わらず捜索にほうぼう手を尽くしてくれたに違いない。

 

「――謝らないで。君は被害者だ」


 これまでの冷ややかな口調が嘘のように、いつもの穏やかで静かな声だ。

 

「ですが、私の不注意が招いた結果でもあります。本当に皆様には、」

「しぃ。……それ以上はいいよ」


 彼は私の唇の前にそっと人差し指を立てた。圧倒的な魔法を操るそれは、触れもしないくせに温かな安堵を連れてくる。

 

「――間に合って、本当によかった」


 青い瞳が微かに揺らいでいる。いくら感情の制御に長けた彼でも、知人の窮地は堪えたのかもしれない。精一杯の感謝はどうしたら伝わるだろう。


「助けてくださってありがとうございました」

「うん。居場所を知らせてくれて助かった。怖かっただろうに……。

 ――本当に君は、いつもすごいね」


 目を細めた奥の瞳には、常の公平な輝きがある。それが私の心を震わせた。


「いえ、いいえ。すべては閣下のおかげです」


 それこそ出会ってから、この救出に至るまで。

 私はあなたに出会わなくても魔石を研究しただろうけど、ここまで鮮やかな気持ちで居られたのかな。


「ふっ。いつまで他人行儀なの? いつも通り呼んでよ、エマ嬢」


 やっぱり彼はその冷たい魔力に反して、麗らかな春の日差しみたいだ。微笑ひとつで日常が戻ってきた気がする。

 

「――はい。ルシアン様」


 途端に気が抜けて、糸が切れたようにふらついた身体を、硬い胸板が支えた。


「それにしても酷い怪我だ。辛いよね」

「いえ……」


 さすがに強がりだ。身体のあちこちが痛みを主張してくる。

 

 ガシャン

 彼の氷が鎖を断ち切る音がした。これでもう、本当におしまいだ。攫われた昨日の私は迂闊だったけど、今日の私は結構やったのでは?……今はもう頑張らなくていいよね。


「ここを出よう。聖女オフィーリアも来ているから、もう少しの辛抱だよ」


(聖女様も……? なんて恐れ多い……)


「……歩ける?」

「は、い……」


 歩くどころか、そろそろ意識も怪しい。笑う膝で立ち上がろうとする、はたから見たら緩慢な動作を見かけたのだろうか。


「ごめん、抱えるね」


 彼は紳士的に一言呟くと、私の返事を待たず身体がふわりと浮いた。

 

 背中と膝の裏に逞しい腕の感触がする。意識を辛うじてとどめているだけの、ひょろりと長い身体はぐにゃぐにゃと非協力的で、絶対に抱えにくいし軽くない。なのに、すっと背を伸ばして立つ彼の安定感ときたら。頭身の取れた高身長はすらりと見えるのに、これが騎士。これが男性なのだろうか。


 彼の胸に寄りかからせれた頭はもうほとんど機能していない。それでもバレッタを落とさないように、掌にだけは力を込めた。


 ――彼が近い。


 今私は、確実に、絶対的な守護のなかにいる。少し急いたような心音に、きっと心配をかけてしまったとやっぱり申し訳無く思った。

 氷魔法の優れた使い手の彼からは、温かいお日さまのようなほっとする匂いがした。


(この香り、好きだな……)


 腕の中が温かくて、ぬるま湯に浸かるように、とうとう意識が遠のく。


 

 こんなのもうどうしようもない。

 もう誤魔化せない。


 

(――好きだわ、ルシアン様)



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