13. 女神の悪戯と、公爵様の魔法
南の森に入り少し進むと、ピィィィッ! という甲高い鳴き声と、人のざわめきが聞こえてきた。
「エマちゃんには言ってなかったかもしれないけど、森では第一分隊と一緒に行動してもらうよ」
――それは、早く聞きたかったですね。
やることは同じとはいえ、心持ちが異なる。
「テオドール率いる第一分隊は、精鋭部隊であるとともに、魔法好きの集まりでもあるからね。彼らに君の魔石は面白く映ると思うよ」
もし本当にそうなら、テオドール様やルシアン様、騎士団長の作る風土が良いのだろう。上司の思想は隠されていても伝わるものだと言うもの。
目の前が開けると、森の木々に囲い込まれた小さな湖が現れた。
「ラクリマ湖って言うんだよ。目印としてわかりやすいから、良く集合地点として使っているんだ」
ラクリマ、つまり女神の涙を冠する湖としては、こう言ってはなんだが灰色で少し地味だ。涙が落ちてできたように小さい、という意味の名付けなのだろうか。
湖の周りには十数名の騎士と、同じ数の巨大な鷲がいた。
(あれが、魔法生物グリュプス……!)
大人しく騎士を待っているが、時折上を向き、ピィィィッ! と、甲高く鳴いている。
「聞きしに勝る勇敢さですね……! こんな近くで見るのは初めてです」
グリュプスは王家の紋章になっている魔法生物で、騎士にしか乗ることを許されていない。黄色い目は凛々しく、嘴と爪は大抵の動物なら一撃で仕留めてしまいそうなほど鋭い。
気性もどちらかというと荒く、乗りこなすのは難しいと言う。騎士団に入団して一番初めの試練が、グリュプスでの移動だったはずだ。
(残念だけど、もちろん私は乗れない。だから荷馬車移動なのよね)
いつかその背に乗って空を飛んでみたいものである。
テオドール様が荷馬車を停めると、ルシアン様が荷台からひらりと降りた。手を差し伸べてくれるのを眺めて、つい硬直する。
(そういえば、乗り込むときもエスコートして頂いたはず。今さら固まるなんておかしいわ)
あの時は転移の余韻で紛れていたが、正気だととんでもなく恥ずかしい。父にしかエスコートしてもらったことのないこの経験値が憎い。
「エマ嬢?」
彼は少し小首を傾げて、手をかけることを催促する。流れるような対応に称賛を送りそうになるも思いとどまった。この人にとっては何百回とやってきた普通のことなんだった。
(そんなのに動揺しちゃだめ。これはただの補助)
指がスラリと長い男性の掌に、できる限り優雅に指先を乗せた。
草が生える地に足を付けると、人のざわめきが鮮明になった。
『テオドール隊長が御者をしていたぞ』
(――はい、恐れ多いことでした)
『ルシアン副団長、ローブ姿も素敵……!』
(全く同意です)
『あれが噂の魔力なし研究者か』
(噂は知りませんが、そうです、私です)
『神殿に喧嘩売ったらしいよ』
(合理的な案をご提案しただけなのですが……)
『眼光鋭く、まさにグリュプスのごとく獰猛だったとか』
(――え? あの時私、そんなでした? ショックです……)
『見てみろよ、美人じゃないか』
(お二人とも、並び立つと絵画のような美形ですものね)
なんだか初夏には珍しい涼しい空気が足元を流れ、研究者の深緑のローブの裾をふわりと浮かせた。途端、ざわめきが静まる。
「……?」
こういうのを、女神様が通った、というのよね。いつも黙々と一人作業することが多いので新鮮だ。
「おい、ルシアン」
「何かな、テオドール」
「いやお前……。ルードゥスに気をつけろよ」
「そんなヘマはしないよ」
はて、ルードゥス。
ルードゥスとは、特に魔力の制御がまだ拙い子どもが、感情の起伏とともに思いがけず魔法を発動してしまうことを指す。女神の遊びという意味で、魔力は女神様からの祝福だからそう言われているのだ。
そんな可愛らしい名前の症状だが、物が浮いたり、燃えたり水浸しになったり、起こることは全く可愛くない。現在でも、対策のないお困りごとになっている。
(感情の制御がお上手なルシアン様には縁遠そうな単語ね)
とは言え、高等学校入学当初、彼はルードゥスの申し子だなんだと言われていたのを聞いたことがある。彼はその後、完璧な魔力制御を見せつけて、噂を蹴散らしていた。
だけどそんな彼が、手前勝手に荒々しく見えたこともあったのだったっけ。
(まあ、こんな完璧な騎士様相手に不相応な感傷だったけどね)
それでも研究の手を止めない私は、建前ばかり上手くなって、酷く矛盾している。
「彼女が、王立研究所から来てくださった、エマ・フォード博士だ」
(博士……)
研究者のことを博士と呼ぶのはもちろん知っている。けれど私がそう呼ばれたのは今日が初めてだ。それが他でもない彼からだと言うのが殊更嬉しい。
学生時代成績を競っていたのが嘘のように、副団長やら王太子殿下のお気に入りだとか、益々遠い存在のように思えていたけれど、私はずっと競っていたいのだ。
「皆には、守護魔石の実用化を検討するために集まってもらった。忌憚のない意見をかわすように」
(お、いいですね。守護結界の魔石だから『守護魔石』。私も今からそう呼びますね)
ルシアン様が簡潔に声を張ったので、隣で淑女の礼をとった。
「エマ・フォードです。よろしくお願いします」
「では早速、守護魔石の耐性について確認しようか」
ルシアン様が指揮を取る。まず有用性を示せないと、箸にも棒にもかからないですものね。
私は一つ頷くと、重たい鞄から厳重に鍵をかけていた魔石を取り出した。
「こちらが守護魔石です。今回魔力の保有量が異なる三つを用意しています。つまり耐性は同じで、展開できる時間が異なるという違いがあります」
「一つ展開してもらっても?」
「はい」
真ん中の石を手に取り起動させると、石を中心に円形に白く透き通る守護結界が現れた。感心したようなざわめきが広がる。
『おお!』
『聖女様の結界は少し虹色かがるから少し違うか?』
退魔の効果がない分、見た目にも違いが現れているのだ。よく見てくださっている。ルシアン様に促されるまま、地面に置いて少し距離を取った。
「あの、どうやって耐性を試すのですか?」
「うーん、研究者の君なら数値を求めるだろうけど、手っ取り早く彼らを納得させるためには、これかな」
青い瞳を少しいたずらっぽく輝かせる。
(くるくると表情の変わるテオドール様と、微笑が常のルシアン様は似ていないと思っていたけど、こういうところはテオドール様みたいだわ)
彼は指を上に向け、呪文とともに守護結界を指差した。
「グラキエス・ゲル(氷の礫)」
空中に氷の塊がいくつも出現し、勢いよく結界へぶつかった。
バチッ!
大きな音ともに礫が欠片になって弾き返され、頬をかすめる。
(つめたい……っ)
結界のこちら側にいた隊士たちにも振り注ぎ、どよめきは大きくなった。
「うん、この程度は防ぐね。じゃあ、次。
――グラキエス・ヤクルム(氷の投げ槍)」
彼の指先に冷気があつまり、先ほどよりも大きく、まるで槍の先端のように尖った氷の塊がいくつも出現する。指を振ると共に、ゴオッと空間をきり裂く音を立てて結界へぶつかった。
バチィィィッッッ!!
思わず耳をふさぐ轟音だ。ほとんどは霧散したが、一部は結界を透過して木に刺さった。
「今の副団長の一撃をほとんど防ぐのか!!」
騎士の驚愕が伝わってくる。
「副団長! これは凄いですね!」
「フォード博士、この結界は中程度の魔物なら太刀打ちできませんよ!」
隊士のキラキラと熱量のある眼差し負けて、ついルシアン様に目線を流すと、柔らかく緩められた青い瞳が迎えてくれた。
(隊士様たちは、こんな髪の研究者である私を見くびらず、純粋に認めてくださる)
そうか、こんな日も来るのか。
(――また、あなたです。ルシアン様)
学生の頃、私を認めてくださった青い瞳が、変わらず私を見ている。なんて尊いことだろう。
「……ルシアン様」
名前を呼びたくなってしまった。ただそれだけ。
言葉の続かない私に、彼は殊更優しげに微笑んだ。
「君はすごいんだよ。ちょっとはわかった?」
(……ああ、だめだな)
トクリ、と暖かくなった心臓はもうきっと私のものじゃない。




