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12. 公爵様、無自覚は罪ですよ


 

(うわ〜〜!!!)


 ほんの一瞬。目の前の景色が私の狭い研究室から、良く片付いた広々とした部屋に変わっていた。執務机には、木彫りの馬の置物。あれが目印なのだろう。


(本当に、高いところから落ちたみたいだった!)


 ふわりと浮いたつま先が地面に触れると、なす術なくへたり込む。肩が支えられて顔面を打ちつける醜態は晒さずに済んだ。


(うわー! うわー! これが転移!)


 すごいすごい。魔法みたい。いや、魔法だけど。なんだろう、冒険譚の一幕を経験しているみたいだ。

 感動のあまり、両手で顔を覆う。


「大丈夫!?」


 ルシアン様、そんなに慌てた声でどうしたの?

 指の隙間から彼を伺うと、ぐっと喉が鳴る音がした。


「あはは、さすが肝が据わってるなあ」


 私の肝がどうかはわからないけど、これだけは言える。


「転移すごい!! ルシアン様ありがとう!」


 彼は、困ったように笑った。

 さすがに子どもっぽすぎたかしら。気を取り直すように、頬をパチリと両手で挟んだ。


 ところが興奮に染まった脳はだいぶボケっとしていたらしい。ルシアン様に促されて、気づくと馬車に揺られていた。馬車というか、天井のない荷馬車だ。初夏の爽やかな風が気持ちいい。前に目を向けると、エバンス様が御者をしてくださっている。


(伯爵家のご子息で映えある隊長様に馬車を引かせている……?)


 私が変わったほうがいい案件では?

 あまりにも居たたまれないのだが、経験もなければ行き先もわからないので、賢明にも口をつぐんだ。


「山道を行くし、荷馬車だから乗り心地は悪いけど、安全運転でいくから〜」


 気の抜ける声だ。考えるのを放棄して、委ねることにした。


「ありがとうございます、エバンス様」

「エバンス?」


 ルシアン様が訝しげに首をひねる。


「あー、ややこしいしちゃんと説明しなかったんだよな」

「テオドール……。エマ嬢、彼は伯爵家の次男だが、四年前の魔物討伐で功績をあげ男爵位を賜っている。これで、陛下からも覚えめでたい騎士なんだよ。呼ぶなら、カスティル男爵かな」


 ルシアン様は穏やかに説明してくれた。

 なんと。知らなかったとはいえ、私はとんだ無礼を働いていた。

 今ルシアン様に教えていただいて助かった。人前で恥をかくのを回避できたのだから。


「ごめんね。テオドールって呼んでよ。俺もエマちゃんって呼ぶからさ」


 この人のするっと人の懐に入り込んでくるような懐っこさはなんだろう。うっかり頷いてしまったではないか。


「は、はい。テオドール様」

「ははっ。ルシアン、お前が説明したんじゃないか。そう怒るな」

「……怒ってないよ。テオドール、君は前を向いて。安全運転」

「こないだエマちゃんと話して、とってもいい子だなーって思ったわけ。もうとやかく言わないよ。……よかっただろ?」

「……はあ」 


 なんだろう、ルシアン様が言い負けているような……?二人しか分からない会話は、二人の気安い仲が窺える。いつも余裕のある彼の子どもっぽい一面を見た気分だ。


(可愛い、だと……?)


「二人は高等学校以来の友人なんだよね?」

「おそらくそうです」

「おそらく……?」

「え、いえ、おそらくというか、畏れ多くと言いますか……」

「ふーん。ねえ、エマちゃんは、ルシアンのどういうところを慕っているの?」

「へっ?」

 

 慕う[した・う]……恋しく思うこと。尊敬して憧れること。

 紛れもなく後者ね。もう、テオドール様ったら語彙の選定が紛らわしいわ。うっかり焦ってしまったではないか。


「そうだ、こいつのいいところ一つ教えてよ。俺のこと褒めてくれたみたいに」


 その話、本当にしたのですか? なんて無意味な……。

 まあそれは置いておいて、ルシアン様を褒める。……褒めるとな?

 この世の全ての美辞麗句を浴びたことがありそうな、この男性を、夜会に出れば壁の花が関の山の私が、褒める。


「お、畏れ多いです……!」

「そんな深く考えないでさ、かるーい気持ちで」


 テオドール様は押しが強い。

 そうね。私も貴族令嬢。社交辞令と割り切ってしまえばやってできないことはないはずだ。


「……え、えっと、ルシアン様は……」


 あれ? 思いの外、口がもつれる。

 当のルシアン様は、荷台に片膝を立てて座り、頬杖をついて流し目をくれる。テオドール様の暴挙は静観の構えだ。

 覚悟を決めるのよ。

 一番最初に思い浮かぶ、彼の好きなところはこれだ。


「……いつも公平なところを、とても尊敬しています」 


 あら? 場が静まったのだけれど……。

 え? 私、言ってはいけないことは言ってないと思うのだけど。

 ル、ルシアン様、心無しか目の輝きが失われて……?


「……僕が公平だったことが、これまであったかな?」


(え?)

 

 困惑してつい頬に手を当ててしまった。今の私、最高にサラっぽいわ。彼女の気持ちを今知ることになるとは思わなかった。


「……もしや、ご自分の美点にご自覚がない……?」


 助けを求めるように御者台にあるテオドール様の背を振り返ったのだが、思いもよらず翠の瞳と目が合った。

 テオドール様、安全運転は……?


「大変ですよ、テオドール様。人は褒められすぎると、自分の長所を見失うらしいです。ご令嬢の人気が過熱していると聞きましたが、ルシアン様にも原因があるかもしれません。――無自覚って罪ですね……」

「……本当にね……」


 テオドール様は、万感を込めた同意をくださった。これでご令嬢への被害は彼が抑えてくれるかもしれない。いいことをしたわ。

 横でルシアン様は額に大きな掌を当てた。ご自分の罪深さを反芻されているのかしら……。

 私ったらデリカシーのないことを。こういうのはこっそり言うべきものなのに。


「あの、大丈夫ですよ……? 私が言うまでもなく、ルシアン様はとても素敵な方です」

「はあ」


 フォローのつもりだったのに、溜息を引き出してしまった。う、うまくいかない。


「あっははは!」


 テオドール様の笑い声が高らかに響いた。

 彼の賑やかな声に急かされるように、荷馬車は南の森に近づいていた。

 

 

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