10. 平穏終了?次の仕事は国家プロジェクト
守護結界の魔石の理論は、学術会で発表した通りほぼ固まっている。実証に移るかは学術会の反響次第だけれど、私の場合恐らくここで一区切り。
(よし。次は何を研究しようかな)
気合をいれてみたけど、何にするかは実はずっと前から決まっているのよね。
高等学校時代から、構想を温めていた研究は二つ。入所当初、所長に相談して守護結界に取り掛かった。『社会に激震が走るぞ。これにしよう』と笑った所長は、今思えば相当に鬼畜だ。新社会人の私には激励に思えていたけど、今ならきっちり「その言い方はない」と反論する。
まあ、私としても、否やはなかったけれど。たぶん、こっちのほうが、……役に立ってくれると思うもの。
入所して三年。先輩や所長の指導の元、新人期間をすべてこの研究に費やした。苦しかったこともあるけど、やりたかったことができている充足感と、学友の活躍が支えだった。
(結果は散々だったけど、我ながらよくやったんじゃないかな)
微々たる進歩だけど、自信にしていいやつだ。
さて、これから着手したい、もう一つの研究の概要をささっとまとめよう。所長に許可をもらいに行かなければ。
◆◆◆
漲るやる気に背中を押されて、概要をまとめ終えた資料をトントンと揃え、一息つく。
(ほぼ六年、ずっと頭の中にあったものだから、案外すぐできたな)
新たな研究への意欲で頬が熱い。うふふ。
――いけないいけない。弟が見たら絶対に口角を引きつらせる顔になっている。
あとは所長を説得するのみ。明日アポイントとれるかしら?と、時間をもらうための手紙を飛ばそうとしたところで、机の上にある鳥形の置物がしゃべった。
つぶらな瞳のこの置物は、研究所内の手紙の転送と所長の声を届ける魔道具なのだ。
「エマ君。至急、所長室に来るように。至急ね。つまり今すぐ。はい、よーいどん」
え、何そのテンション。よーいどんしますけども。ついでに許可を貰おうと作った資料を手に、走る一歩手前の早足を繰り出す。廊下は走ってはいけません、よね?所長?これはギリギリ許容範囲のはず。
本日二度目の扉をノックし、入室の許可と共に所長室に入る。
「早かったな。まあ座れ」
……お願いだから、その鋭すぎる眼光を閉まって!
戦々恐々としながら応接用のソファに腰掛けると、所長は一枚の羊皮紙をテーブルに置いた。
カサリ……、乾いた音が静かな所長室に響く。視線を移すと、鷲の紋章が刻まれた赤の封蝋が目に飛び込んできた。鷲に、赤。王家の紋章だ。
(は、初めて見た……)
「これぞまさに急転直下。こう来るとは思いもよらなかった」
「……は」
「よく聞け、エマ君。守護結界の魔石の実用化を、国が推進することに決まった。王太子殿下直々の勅令だ。
――おめでとう。大抜擢だぞ」
「……」
はて。
いつでも何かしら騒がしく動いている頭が停止した。
大規模すぎる単語はこのように鼓膜を素通りしていくのだな。新たな発見である。
「エマ君?」
「は、はい……! すみません、驚いてしまって」
捕らわれていた時のハッタリが現実になってしまった。何事も口に出してみるべき……なのか?
魔石研究者になる!と幼い頃から言って憚らなかった私であるし。
「無理もない。私も驚いた。
――まあ、存分に気負ってくれ。君の理論が世界を変えるかもしれないんだからな」
はははっ。と軽やかに笑っているが、私は笑えません。
硬直する私に所長は彼なりのフォローをいれた。
「王太子殿下の私費研究だ。上手く行けばラッキーくらいのものだから、失敗を恐れる必要はない。良い方に目をつけて頂いたな」
(私費……。つまり、国庫は動かさず、殿下の独断で抜擢してくださったの?)
これは、フォローにしては限りなく重いのでは……?
でも、重大な責任の重みとともに、じわじわと温かな喜びが湧き出てくる。
――私の研究は誰かに見てもらえていた。
こんな私でも誰かの役に立つ事が出来るかもしれない。
こんな私でも、激務に身を削る彼の肩の荷をほんのちょっと軽く出来るかもしれない。
――いや、これは余計だわ。
(頑張ろう。これまで突っ走ってきた私のためにも)
きっとこれは女神様のご褒美タイムだ。
◆◆◆
翌日、私はまた所長室に呼び出されていた。
目の前には、キラキラと眩く輝く大小様々な六つの光魔石。
小さいと言ったって私の親指の先ほどの大きさはある。つまり、魔石としてはめちゃくちゃ大きい。恐る恐る鑑定をかけてみると、純度八十パーセントもある。
(……王族の私費、怖い……。怖すぎる……)
昨日、実用化検討のために必要なものがあるかと問われたので、光魔石と答えたのだが、まさか昨日の今日でこんな良質な光魔石が届くとは。光魔石は特に希少なものなのに……。権力とはこう使うのだな……。
守護結界を展開するには、勿論聖女様の魔力の属性と同じ光魔石が必要だ。
(こんなに良質な光魔石でも、聖女様の保有魔力には遠く及ばない。お金がかかるといわれるわけよね)
「三日後に王宮魔術師と騎士が来ると言っている。実際に魔物の森に持っていきたいそうだ」
「はい。……はい? 三日後?」
所長、すごく神妙に頷いている。王太子が求めるスピード感と、実作業の負荷の板挟みに合ってるのだな。心中お察しします。
(ええと、あの魔法陣を手描きするのに頑張って一日、魔石に転写するのに更に一日……)
うん。六つ用意するのは無理ね。
私はあっさり匙を投げる。あの緻密な作業を二日で熟すのは至難の業だ。しかも、あのいくらか分からない貴重な魔石を壊しでもしたら、私の首一つで足りるのだろうか。半端じゃないプレッシャーだ。
「あの複雑怪奇な魔法陣を正確に描けるのも、それを転写するのも、できる人はそういない。悪いが頑張ってくれ」
複雑怪奇、とな……。
なるほど、これが国家プロジェクト。たった今私の睡眠時間と精神力が犠牲になることが決まったのだった。
とは言え、魔法陣を描くのも、魔石に転写するのもとても好きだ。研究室に戻ると早速作業を始めた。
転写が最も安定するとされる羊皮紙に、歪みなく正確に陣を描く。いかに正確に描くかでも、転写の成功率や魔石で展開する術式の効果に影響するので、侮れない。
魔法陣が描き上がると、その中央に魔石を置く。魔石に触れて、鑑定魔法の要領で微弱な魔力を流す。
(……綺麗。なんて素直な結晶かしら)
目を閉じれば、石の構造が地図のように浮かび上がる。不純物を避けながら、最適な位置に術式を埋め込む。
この作業が、魔石と対話しているようで面白い。結晶の配列は石ごとに違うし、それこそ魔石の出来た地層や、年月がわかることもある。
(いつものように、丁寧に。丁寧に)
お金のことを一瞬でも考えたら駄目だ。
邪念を振り祓い、最後まで変わらず丁寧に。
術式がふわりと浮かび上がり、魔石に吸い込まれた。――成功だ。
気づけば空が白んでいる。いつの間に、とっくに夜を越していた。うら若き乙女がこのままではいけない。一度帰って身支度を整えてまた来よう。
大好きな作業が待っている。
朝焼けに美しく輝く光魔石を、指先でそっと突いた。




