一、 揺り籠の窒息
その集落、
通称「隠れ里・静水」を
囲む土壁は、内側の人間を守るために
築かれたのではない。
外の世界の「変化」という猛毒を
遮断するために築かれた、巨大な石棺であった。
「……また、この臭いだ」
十九歳になったばかりの男――
後にその名を捨てることになる若者は、
自室で一振りの刀を磨いていた。
親から譲り受けた、傷一つない儀礼用の美刀。
刃紋は春の霞のように穏やか__
人を斬るための鋭利さよりも
床の間に飾られるための品位を優先して作られている。
この村の知性とは「先例をなぞること」であり、
品性とは「波風を立てぬこと」であった。
「おれの言うことだけ聞いていればいいんだよ」
襖の向こうから、父の声が響く。
それは呪文のように、
幼い頃から彼の耳に注ぎ込まれてきた「愛」の言葉だった。
父はこの里の長であり、掟の体現者だ。
父に従えば、食うに困らず、地位も約束され、
やがて弟と同じように「清らかなまま」
一生を終えることができる。
だが、若者の知性は、その停滞の中に隠された
「腐敗」を嗅ぎ取っていた。
動かぬ水は腐る__。
研がぬ刃は、ただの鉄の棒に成り下がる。
「父上、私は外へ行きます」
彼が部屋を出て、
玄関先で草鞋を紐解いたとき、
空気は凍りついた。
そこに立っていたのは、父と、
そして彼と双子のように似た弟であった。
弟の瞳には、兄への軽蔑と、
それ以上に深い「恐怖」が宿っている。
「なぜだ、兄さん。
ここでの生活に何の不満がある。
外の世界は、飢えと強欲、
そして理不尽な死に満ちている。
親父殿に従っていれば、君は一生、
高潔なままでいられるのに!」
弟の言葉は、集落の総意であった。
彼らにとって、外へ出ることは
「品性を捨てること」と同義なのだ。
「おれの言うことだけ聞いていればいいんだよ!
なぜわざわざ傷つきに行く!」
父の咆哮が家を震わせた。
それは怒りではなく、
理解不能なものに対する怯えであった。
若者は父を振り返らない。
ただ、深く、淀みのない所作で一礼した。
「傷つかねば、私は私であることを知ることさえできません」
その一礼の完璧さが、かえって父を絶望させた。
どれほど形を整えても、
そこに宿る魂はもはや自分たちの支配下にない。
若者は、背中に突き刺さる
父の慟哭を振り切るようにして、土壁の門を潜った。
頬を流れる涙さえも、
傲慢な知性の破片として砕け散るようだった___。




