第4話――憧れの存在なんだ――
すくねがジュースを買いにいってから間もなくして、桜並木の間に温が現れた。
紺色のベストと、グレーの横線が一本入っただけのプリーツスカート。亀山高校の制服はけして華やかなデザインではないけれど、純朴な感じがしていい。温によく似合っている。ちょっと抜けたような瞳は変わらないけれど、温はやっぱり素敵なお姉さんだ。
辺りをきょろきょろと見回す温に、トラは大きく手を振って場所を教えた。温は笑みを咲かせてトラに近づき、さっきまですくねが座っていた席へと腰を下ろした。
唇をくるっと内側に入れて、すぐにまた戻す。
柔らかそうな唇だ。桜風が、温の豊かな髪を膨らませている。
「トラくん、久しぶり」
「温さんは相変わらず、嬉しそうな顔をしてますね」
「うん。今日は桜を楽しみにしてきたの。誘ってくれて、ありがとうね」
思えば、温とも衝撃的な出来事があった。
吉田川への入水自殺もどき。温は江坂を探していたのだというけど、あれは笑えなかった。助けようとしたトラの方も川の流れに呑まれかねないところだったわけだし。
だけど温は、トラがすくねやクラスメイトとうまくいかなくなった時、たった一人トラの味方になってくれた。卵かけご飯に、亀山の花火大会。トラは温と一緒にいてすごく嬉しかったのだけど、ちょっと困ったというのもまた本音だ。こんなにきれいな人と一緒に歩いていていいのか、話していいのか。トラは、自分にそんな資格がないように思ったのだ。同時に、自分自身の幼さや頼りなさを恨んだりもした。
でも今は、こうやって心から温とお喋りができる。会話に資格なんて制度はないんだけど、ちょっとくらいは温のいるところに近づけたという証しなのかもしれない。
「どうしたの、にやにやして」
温がトラの頬を掴み、にゅいーんと引っ張った。
「昔のこと、思い出してたんです」
「昔のこと?」
「はい。温さんが、花ヶ原で僕をアンケート攻めにしたこととか」
「あったねえ! なに、またアンケートやる? わたしはいつでもオッケーだよ!?」
「あはは。じゃあ、すくねが帰ってきたらやりましょうか」
トラはベンチに後ろ手をついて、笑った。
「そうだ。すくねちゃんはもう来てるのね。どこ?」
「あいつ、ジュース買ってくるって言ってましたよ。もう帰ってくると思います」
すると温は鞄をベンチに置いて、ゆっくりと立ち上がった。
「わたし、手伝ってくるわ」
「えっ」
なんと温はすくねと同じように小階段を下りようとしている。だが、それはまずい。もし温が消えてしまったとしたら、トラはもう、耐えられない。
「僕が行きますよ」
「いいのいいの。それより、これ、持ってて」
温は鞄のサイドポケットから、乳白色の封筒を取り出した。
「なんですか、これ?」
「ふふー。まだ内緒。すくねちゃんが戻ってきたら開けようね」
中には紙みたいなものが入っているのだけど……すぐにはわからない。トラは封筒にばかり注意がいっていて、気がつかなかったのだ。温が、すでに階段を下りていたことに。
「温さん!」
トラは温を呼ぶ。見えない手で、温の肩を追いかける。
温はくるりと振り向くと、特大のブイサインを送ってきた。
「イエーイ!」
トラは運命を感じた。すくねがジュースを買いにいって、その手伝いに温が行く。ここが、運命のくれた別れの時ではないかと思った。
「ありがとう、温さん!」
色んな意味を込めて、トラは叫んだ。
だけどトラは無理して温についていこうとはしない。ただ、このベンチで二人の帰りを待っていようと思った。その視線の向こうに、温は桜色を纏いながら歩いていく。
温は、いつだってトラの憧れの存在なんだ。
これまでも。
そして、これからも。




