第12話――あっ! あの時か!!――
高城鉱山に入った翌々日の月曜日。トラの心の中にはまだ、坑道という異界の雰囲気が染みついたままだった。授業中も、クラスメイトと話している間も、トラだけがみんなと違う時間軸に生きているように感じられてしまう。ほけっとした顔をしていると、クラスメイト数人に「変なトラくん」と笑われた。
すくねも、朝から元気がないようだった。いつもならチョップやラリアートを見舞ってくるのだけど、今日に限っては両手で頭を押さえてため息をついてばかり。一昨日はかなり寒かったし、もしかして風邪でもひいてしまったのだろうか。
そして放課後。トラは温にラインで「話がある」と山咲大橋の入口に呼ばれていた。誕生日のお祝いの際につくった、すくねも含めたグループラインなので彼女にも声をかけたのだけど、用事があるとかなんとかで丁重に断られた。トラは一人、橋へと向かった。
薄い太陽の光の中に、温の肢体が浮かび上がる。
「どうしたんですか?」
トラが声をかけると、温は橋の欄干を指でそろりと撫でた。
「江坂さんの家が、わかったんです」
「え……どうやって?」
「お父様に聞いたのよ」
それから温は、この日曜日にあった出来事を包み隠さず教えてくれた。
温はトラとすくねと坑道に入り、二人が温の過去を取り戻そうと協力したことに深く感謝をしたらしい。そこで、自分でもできることをやってみようと思い立った。
それは、四年間に渡って微妙な関係を続けてきた、温の父への電話だったという。
温は何度も躊躇した。父の声は今も耳の奥底に残っており、通話ボタンに指を近づけると、『おにいちゃん』に対する呪詛の言葉が蘇ってきた。
だけど温は覚悟を決めた。トラとすくねの名前を頭の中で何度も連呼しながら、ついに通話ボタンをタップする。父の、しわがれた声が耳元に届いた。
「ほんと、緊張したのよ」
温はそう言って、遠い昔のことを懐かしむように目を細める。
温が父の声を聞くのは久しぶりだった。ぎくしゃくしながらも、温は近況を報告した。トラと夏祭りに行ったこと、みんなで釣りの合宿をしたこと、クリスマスには港の店で過ごしたことなどを、全部。
すると父は「それはよかったな」と言って、穏健に笑ってくれたらしい。
そこで途端に拍子抜けしたのは、温の方だ。温は自然と江坂のことを話し、そして訊くことができた。
父は少し黙った後、「もう、そろそろ、いい頃か」と呟いた。
それから父は、かつての江坂の職位や仕事内容、家の場所などを教えてくれたという。
「それで」
トラは接続詞だけを使い、温の答えを促す。
温は、風に吹かれる長い髪の間に指を滑りこませた。
「やっぱり、江坂さんが『おにいちゃん』だったみたい」
「そうだったんですか。それで江坂さんは今、どこにいるんですか?」
しかし温はトラの問いかけに答えず、静かに首を横に振る。
「近況については、教えてもらえなかったの。でも、いきなり一から十まで訊いて、お父様の機嫌を損ねても仕方ないわ。とりあえずは必要な情報だけは得られたんだから」
「必要な情報って……」
「おにいちゃんの、家よ」
「もしかして、江坂さんの家に行ってみるつもりですか?」
「うん。だからトラくんにも一緒に行ってほしいの。……恥ずかしい話だけど、ちょっと勇気が出なくて。トラくんがいたらわたし、きっと大丈夫だから」
断る道理はどこにもない。トラは黙って、うなずいた。
「すくねちゃんにも来てもらえたら嬉しいんだけど……今日は用事があるのかな?」
「どうでしょう。さっき慌てて帰っていったけど、いちおう連絡してみますね」
そこでトラはスマホを取り出し、すくねへと電話をかけた。
五回のコールの後、受話音が途切れる。
『はい。どしたの?』
電話先のすくねの声も、覇気はないままだ。トラは心配に思いながらも、日曜日に温がとった行動について説明をする。そして、今から江坂の家に行くということも。
「今日、もし空いてたらすくねも一緒に……」
そう言いかけたところで、すくねの鈍い声が耳に響いた。
「江坂……?」
「うん、そうだけど」
するとすくねは、ヒュッ――、という音が聞こえるくらいに鋭く息を吸いこむ。
「あっ! あの時か!! ごめんトラ、あたし、どうしても外せない用事があるの! 藤原先輩にも謝っといて。ほんとにごめんね!」
そこで突然、電話は切れた。無機質な終話音だけがスマホから流れてくる。
今のすくねの反応には違和感があった。すくねは豪放磊落なように見えて、意外と人のことを考えているような奴だ。それなら、温の頼みとあらば多少の用事には目をつむってくれるはずなのだけど……。
とはいえ、気にしていても仕方がない。
トラは温と二人で、花ヶ原に向かうバスに乗ることを決めた。




