第7話――花ヶ原を舞台にした、六年前の話です――
百貨店の前で車から降り、そこから徒歩で吉田川沿いを歩く。温の祖母はこれから買い物をし、花火が終わる頃にまた迎えにきてくれるらしい。トラは深く礼を述べて車を見送った。
温の下駄の音がカランコロンと響く。二人して雑談を交わしながら歩いたのだけど、トラは夢見心地だった。街灯が温の顔を照らす。絹のような肌は、月の光にも似ていた。
川沿いの道から階段を下りて、川原へ。花火大会なので多くの人で賑わっていたが、都会のように押すな押すなの大混雑というほどでもない。小さなステージが一つあり、そこではビンゴ大会が行われている。ポツポツと立ち並ぶ屋台の奥には、夜の色をはらんだ吉田川が音も立てずに流れていた。
「さあて、なにか食べましょうか」
温は自分の腹を押さえ、ムフッと笑う。干し肉に、ヨーグルトアイス、さらには幾層もの砂糖で包んだ羊羹など、珍しい食べ物を売る出店も多い。
「トラくんが食べたいものを教えて下さい。一番、甘いもの。二番、亀山の名物。三番、冷たいもの。四番、がっつり」
「じゃあ、まずは四番でもいいですか?」
「もちろん」
温は鼻歌をうたいながら、川原の小石を蹴って歩き出した。その艶やかな浴衣姿に、通り過ぎる何人もの男が振り向く。「あれ、芸能人じゃろうか」との声も。羨ましさを乗せた数多くの視線がトラへと刺さった。
焼きそばを売っている出店の前に差しかかった時、温がふいにトラの手を引いた。
「これにしましょう」
突然の出来事に、トラは温の手を離すことができない。焼きそばの出店をよく見ると、ソースではなく塩で味つけをしたそばが売られていた。胡椒の匂いが食欲を刺激する。トラは迷うことなく、塩焼きそばを二人前購入した。
「えへっ、おばあちゃんからお小遣いをもらっているので、お姉さんの奢りです」
温に奢ってもらい、川原を東へと進む。辺りがざわついてきたなと思ったら、さっきまで流れていたMrs.GREEN APPLEの曲がぴたりと止まった。
『皆様、本日は第四十一回亀山花火大会にお越し下さいまして、誠にありがとうございます。これより、スターマインの打ち上げを行います。準備はいいですか? それではカウントダウンといきましょう。3・2・1――』
遙か宇宙に繋がる夜空に、原色の彩りが映し出された。
花火が炸裂する度に、トラの全身が震える。しばらく花火に見とれていたが、気がつけば温の手がトラから離れている。人混みに紛れてしまったのだろうか。キョロキョロと見渡すと、黒山の向こうに温の姿を見つけた。花火のグラデーションを全身に浴びる温が、トラに向かって小さく手招きをしていた。
温は芦の花穂を越えてさらに東へ。トラは塩焼きそばを片手に温を追う。次第に人気が少なくなっていく。人々の歓声を背中で聞いた。花火の音も光もわずかにしか届かない。漂うのは吉田川の水音と温の衣擦れのみ。暗闇に溶けこんだところに、一台のベンチがあった。
「座りましょう」
トラは無言で、温の隣へと座る。心臓に、落ち着け、落ち着け、と言い聞かせながら。
「トラくんに、聞いてほしいことがあるんです」
「なんですか?」
トラの握り締めた拳に、気持ちのいい汗が滲む。
「この街……いえ、正確には花ヶ原を舞台にした、六年前の話です」
温は記憶の蓋を開けるように、ゆっくりと夜空の星を見上げた。




