第2話――おにいちゃん……いたいよう……――
花ヶ原歴史資料館。
アトラクションみたいなものは一つもないが、かつての鉱山町を再現した模型やSLのジオラマがあって、入館した直後はなかなか楽しめた。しかし途中からは地味な展示が多くなっていく。山咲の伝統的な農機具、亀山で勢力を誇っていた武家の系譜図、昭和の大水害の記録など。
トラはちょっと退屈を感じ始めた。もしかしたら温はもっと退屈しているのかもしれない。後ろ手を組みながら優雅に歩いてはいるのだけど、花ヶ原に住んでいる温は何回かここに来たことがあるだろうし。
歴史は徐々に現代へと近づき、やがて最後のコーナー『近代の高城鉱山』に至る。最後のコーナーではあるが、資料館の三分の一を占めるくらいの展示がずらりと並んでいた。映像説明もある。
高城鉱山とは、花ヶ原で栄えた鉱山の名称らしい。鉱員の作業服や班割りの図面など、展示の種類は細かい。花ヶ原の人々がどれだけ高城鉱山を重視していたかがよくわかる。そもそも花ヶ原自体、鉱員たちによる鉱員の町だったようだ。そういえば、資料館を入ってすぐのところにあったSLのジオラマも鉱山に関係しているし、鉱山町の模型には働いた後の鉱員たちをねぎらうスナックや映画館なども含まれていた。
「あら」
突然、温が楽しそうな声を出した。
「これ、坑道の入口じゃないですか」
温が近づいていく先には、大きな青銅の門扉。どうやら鉱山の門の模型らしい。
「へえ、こんな入口になってたんですね……って、温さん?」
温は立ち入りを禁じるチェーンの柵を悠々とくぐり、門の模型に触れようとしている。
「ここ、入っちゃだめみたいですよ」
「いいんです」
荒い息が聞こえる。温の様子が変だ。もしかしたら、また……。
「なんでいいんですか?」
トラは温の肩に指を引っかけ、動きを止めようとした。それでも温は躊躇することなく門の錠前に腕を伸ばす。トラの片手一本では、力が足りない。
「おにいちゃんが、入っていいって言ったんだもん」
首から上だけ振り向く温。トラの尾てい骨がキンと冷えた。温の目の焦点が合っていない。温は、『トラの見えていないもの』を見ている。
「温さん!!」
トラは覚悟を決めて、温の腹にしがみついた。
「やめてよ!」
「温さん、僕です。トラですよ! お願いだから、正気に戻って下さい!」
「いたいよう。やめてよ。おにいちゃん、おにいちゃん……いたいよう……」
温は自分の頭を抑えて、その場にうずくまってしまった。
「あ、そこは立ち入り禁止ですよ!」
異常事態を発見した係員が、トラたちのところに急行してくる。
「どうした、あれ?」
「なんか、女の子が痛がっとるんよ」
「救急車呼んだ方がええじゃろか」
他の来館者だろうか、年のいった男性三人組がトラたちを囲んだ。
これはだめだ。もちろん救急車を呼んでもらうのが正しい処置なのだろうが、こんな人口の少ない町で救急車となると、まず間違いなく住民たちが集まってくる。温を好奇の視線にさらしたくはない。
なにか突破口はないか。温に『協力する』と言ったしりからこれだ。トラは温に辛い過去を思い出させるだけ思い出させておいて、なに一つ力になれていない。それどころか温を窮地に立たせてしまった。なんとしても温を助けなければならない。だけど、どういう強行手段に出たとしても、結局は目立ってしまう。僕は、無力だ――。
……そうだ。
かつて同じように危機に瀕したことがあっただろう。あれは、そう、オリーブが命を失いかけた時だ。肺に穴が空いていたトラには、オリーブを救う術がなかった。あの時、トラはどうやってオリーブの命を護ったか?
トラは咄嗟に自分の胸ポケットをまさぐった。ある。オリーブにもらった謎の鉛筆だ。この鉛筆の正体はまだ掴めていないが、使い方なら覚えている。いちかばちかだ!
(温さんはもう、苦しまなくてよい)
トラがその文字を空気中に書いた瞬間、鉛筆の先から幾条もの光芒が放射した。
空間が歪む。波形になって震える。周囲にいた大人たちは、わっ、と声を上げて目を押さえた。しかし不思議なことに、トラの目だけはくらまない。
光は温を包みこみ、温の左胸の部分へと急速に収束していった。
「あれ?」
温の怯えが、ぴたりと止まる。
「わたし……」
温はそこから言葉を継がない。声のどこかに涙色が混じっている。トラは温の手を引いて、展示の出口へと早足で歩いた。片手で、大人たちに(ごめんなさい)と謝りながら。
トラたちを追ってくる人は誰もいない。トラはそのまま歩みを止めず、温と二人で花ヶ原公園の藤棚まで逃げた。ハァハァ、と荒い息を整える。
「トラくん、手……」
「あっ……ああ、すみません」
トラは温の手を離す。温の手のひらは彼女の名前のように温かく、そして優しかった。
ていうか、今日はどれだけ温の身体を触っているんだ? 手首に肩、腹部に抱きつき、そして手のひらまでも。緊急事態だったとはいえ、触りすぎだろう。
ぶんぶんと首を振って己を取り戻そうとするトラ。しかしそんな青春の思いとは逆に、温の顔は完全に青ざめていた。




