第11話――トラの人生を歪めた、直接の原因――
「本題に入るんだけどさ」
すくねのその言葉で、二人を囲む空気が少し重くなった。郵便局で待ち合わせた時、すくねはトラに「お願いしたいことがある」と言っていたはず。その話だろう。
「あんた、藤原先輩と仲良いの?」
温のことか。先月温とは言い争いをしたが、別に今も喧嘩し続けているわけじゃない。むしろ温はすくねがトラに暴力を振るっている時にまだ心配そうに見てくれているし、あまりにひどい場合には廊下で大きなひとりごとを言うなどしてすくねの注意を逸らしてくれたりする。だからどちらかというとお世話になっている形になるのだが、トラの中では過去にこだわる温をどうしても理解することができなかった。
「別に、仲良いってほどじゃないよ」
「嘘だぁ。よく挨拶してるじゃない」
「そりゃ挨拶くらいしてもいいだろ。先輩なんだし。なに? 僕に温さんと話をするなとか、そういうこと?」
「アホか」
言ってすくねはトラの横髪を引っ張った。
「そういう陰湿なのは好きじゃないの。逆に、あんたに藤原先輩を助けてほしいのよ」
「え」
「あたしは藤原先輩を小学校の時から知ってるんだけど、昔はあんな人じゃなかったわ。みんなに優しくて……あたしたちの代じゃ、男子も女子も憧れるお姉さんだったの」
「昔って、どのくらい前の話?」
「そうね……あたしもよく覚えてないんだけど、あたしが小学校の二年生か三年生くらいじゃなかったかな。だから、藤原先輩が三年生か四年生くらいの頃よ」
「ふうん。つまりあのアンケートは、その頃から始まったんだね」
温から聞いたことは、ここでは伏せておく。
「でもあたしは、アンケートは別に嫌いじゃないわよ」
すくねが亀山の町並みを見つめながら、言った。
「それはいいじゃない。人それぞれ、好きなことがあるんだし」
トラは無言でうなずいた。すくねは学校の外で会う時にはいつも剪定鋏を持っているけど、これだってすくねが(理由はいささか不明だが)好きだから持ち歩いているんだろう。
「あたしが気になるのは、藤原先輩の雰囲気よ。昔みたいに溌剌としてない。なんか掴みどころのない、ぼんやりとした人になっちゃったのよね」
たしかに温のとろんとした目つきは、どこを見ているのかわからない時がある。
「でも、なんで僕に?」
温が変わってしまった。そこまではいい。しかしそれなら、もっと昔から付き合いのある友達や後輩からアプローチをかけてもよさそうなものだけど。
「あたしたちは手を尽くした。川遊びに誘ったし、廃墟の探検に呼んだこともある。だけど、どこに行ってもあの人はひとりごとをやめないの。誰もいない場所に向かって話しかけたりするの。どうやったらいいのか、あたしたちじゃもう、わからないのよ」
「だから転校生の僕に、ってことか。でも、意外だよ」
「なにが?」
「だって、おさ……すくねは、温さんを嫌ってるって思ってたから。そういやアンケートのことも馬鹿にしてなかった?」
「嫌いじゃないわ」
即答する、すくね。
「昔、遊んでくれた人だしね。嫌いじゃないから、最近はショック療法って感じで厳しく当たってんのよ。それでも全然応えてくれないんだけどね」
そういうことだったのか。だったら、すくねがトラに暴力を振るってくるのにもなにかわけがあるのだろうか。なんだか、すくねがいい奴なのかひどい奴なのか、よくわからなくなってきたぞ。
すると、すくねがトラのくるぶしにゲシッと横蹴りを入れた。
「あんたは別よ。あんたはあたしに変態行為をしたんだから、その代償だからね」
いてて……前言撤回、やっぱりこいつは怖い奴だ。心の中まで読んでくるし。
「この前、仕返しやめるって言ってなかった!?」
「こんなの仕返しじゃないわ。あたしの普通。あたしの常識。ツッコミみたいなものよ」
「ひでえ……ヨッシーが疑ってたのも理解できるよ……」
「あ、そうそう、義夫のことなんだけどさ」
そこで、すくねは少し沈痛な面持ちになった。
「あいつがクラスのみんなと距離を置いてるってのは、わかってた?」
「うん、まあ。別に仲間外れになってるわけじゃなさそうだけどね」
「あれも藤原先輩がおかしくなったのと同じくらいの時からなのよ。それまでのあいつはどっちかっていうとクラスの中心……リーダーみたいな感じでみんなを引っ張っていく立ち位置にいたの」
すくねはここで言葉を切った。桜の樹から、蝉の合唱が鳴り響く。茫洋とした空はただ白く輝いている。すくねの横顔を切り分けるように、梢から陽光が差しこんできていた。
「あいつ、昔、事故に遭ったのよ」
「事故?」
「うん。でも、あいつが怪我をしたわけじゃないの。誰かよく知らないんだけど、他人を巻きこんでその人に大怪我をさせちゃったんだって。義夫がクラスのみんなと距離を置くようになったのは、たぶんそれが原因だと思う」
その瞬間、トラの頭の中で一本の線が繋がった。
藤田義夫――、トラはその名前をずっと昔から知っている。
積極的な瞳に、不敵に笑う唇。トラが山咲に旅行に来た時に出会い、野山を駆け回ったあの少年だ。彼は木の棒を振り回し、常にトラの前に立って万年落葉を蹴り上げていた。
だがそれはすなわち――。
トラの人生を歪めた、直接の原因。トラは義夫をかばうことにより、義夫の身代わりとなってトラックにぶつかったのだ。
「ん、あんたどしたの? 変な顔して」
トラは思い出した。たしかに、あの少年が義夫だと確信した。ただ、すくねは二人の奇妙な運命に気づいていないようだ。
すくねに話してしまおうか。さらには義夫自身に、あの時事故に遭ったのは僕だと告げてみてはどうだろうか。
いや、それはない。トラは心の奥でその選択肢に罰点を入れた。
「なんでもない、よ」
今更話してどうなる。義夫とは久しぶりに会ったが、悪い奴じゃないし、すくねの一件がきっかけでさらに仲良くなろうとしている。だったら、トラと義夫は初めて会った友達という扱いでいいじゃないか。話してみたことで、義夫が変に気を遣うようになるのだけはごめんだ。
「なあ、亀山って他にも見どころある?」
トラは、努めてつくった笑顔で言った。
「あるわよ。大きい古本屋。行ってみる?」
本、と聞いてオリーブを思い出す。オリーブは元気にしているのかな。
トラは強くうなずきベンチから立ち上がった。すくねも風呂敷と剪定鋏を持って歩き出す。地面から照り返す反射熱が、顎の下をチリチリといじくった。




