言葉
中学校に入学した「私」は、担任の山本先生と出会う。
山本先生は、新任の教師で、私たちが受け持つ初めての生徒だという。
山本は、入学式の日に「教師は、子供を正しい道に導くことが仕事だ。」と言っており、「私」は、山本を信頼していた。
そんな「私」の通う中学校では、人をバカにする言葉として、「ガイジ」という言葉がはやっていた。
とある授業間の放課中、
「おまえ、『ガイジ』かよ!」
教室中で大きな笑いが起こった。
その時、私は何か心にチクッと何かが刺さったような気がした。
大きな笑いが起こったすぐ後、「ふざけているのか!!」という、大きな怒鳴り声が聞こえた。
みんなの笑い声が止まり、怒鳴り声の聞こえた方向をみんなが一斉に向いた。
そこには、私たちがこれまで見たことのないような顔をした山本がたっていた。
どうやら、担任の山本が授業をするためにこの教室へ向かってきていたところに、先ほどの言葉が聞こえていたようだ。
「おまえら、その言葉の意味を分かっていっているのか、笑っているのか?」
山本は気迫を放った声で言った。山本の眼もとには涙があった。
そこにクラスメートが
「先生どうしたんですか。 ただのじゃれあい。ジョークじゃないですか。」
そういった。
だが山本は、
「これが『ただのジョーク』? ふざけてるのか。」
「この言葉の意味をしっかりと分かっているんだろうな。」
といった。 その山本の問いかけに答えられる生徒は誰一人いなく、教室内は静まり返った。
「キーンコーンカーンコーン」
チャイムが鳴った。山本は気にせず話し続けている。
「君たちの入学式の日。私は君たちにこう言ったね。 『子供を正しい道に導く』と。 そんな言葉、それをバカにすることばとして使うのは本当に正しいことなんでしょうか。」
「君たちは、『死ね』とか『ガイジ』とか、平気に毎日使っているけれど、それは本当に正しいことなのか。その言葉にあなたたちは責任を取れるんですか。」
「『しょうがい』という言葉からつくられた『がいじ』という言葉。本当に使っていて誰も傷ついていない。問題がない。そう思っていたんですか。」
「しょうがいっていうのはね、生まれながらに持っている人、事故などで負ってしまった人。たくさんの人がいます。その人たちは、たくさんの不自由なことがあって、たくさんの悲しみを負ってきたんだと思います。」
「君たちが普通にできること。君たちが普通だと思っていること。それは、本当は『当たり前』なんかじゃないんですよ。それを、できない人をまるで『悪いこと』として、人をバカにすることに使う。それは果たして、してもよいことなのですかね。」
そう、山本は言った。 多くのクラスメートは真剣に受け取り、涙を浮かべている生徒もいた。
「だから、あなたたちはその『当たり前』を大切にしていかなければならないんです。」
「これで、あなたたちは『言葉の重さ』がわかったのだと信じています。今度はあなたたちが、私のように友達に伝える番です。」
「あなたたちが、君たちの友達を『あなたが信じる正しい道』に導いていってください。それが、あなたたちの責任です。」
そう山本は言った。
私たちは、大きくうなずいた。
そうすると、山本は少し笑顔を見せたような気がした。
今日も、この中学校、この世界では、あの言葉が使われている。
でも、私のクラスでは、存在しない。
「ざまあみろ」 「死ね」
「ううん。 そんな言葉は使っちゃいけないんだよ。 なぜならね・・・」
私の心の痛みが、少し軽くなった。そんな気がする。
人の気持ち。それは私たちにはわかりません。
でも、人を傷つける。バカにするような言葉を平気で使う。それって「正しい」のかな。
それを考える「きっかけ」になればいいなと思っています。
本来、こんな言葉が平気で使われる。そんなことがあってはならないのです。
だから、わたしだけでも。そう考える人が増えていくことが一番の解決策なのではないのかなと思います。
大人が気付き、子供を導く。子供は大人の影響を受けやすいんです。
だからこそ、大人が、先生が気付ける。取り返しがつかないことになるまでに。そんな環境ができていってほしいなと思います。




