ヤバさに惹かれる僕ら
一
俺の人生において、女というのは常に謎めいた災厄として現れる。まるで俺の額に「ヤバい女ホイホイ」とでも書かれているかのように、彼女たちは次々と俺の前に立ちはだかる。
考えてみれば、俺の欲望は単純だった。おっぱい触りたい、いい匂いの女と一緒にいたい、できれば普通の恋愛がしたい。それだけのはずだった。なのになぜか、俺の前に現れるのは毎回、理解の範疇を超えた女たちばかり。
最初は美咲だった。大学二年の秋、文学部の廊下で偶然ぶつかった彼女は、落とした本を拾い上げながら微笑んだ。ドストエフスキーの『悪霊』。それが最初の警告だったのかもしれない。
「面白い本読んでるのね」
彼女の声は蜜のように甘く、俺はその瞬間、運命というものを信じた。愚かだった。
美咲との関係は三ヶ月続いた。彼女は夜中に突然電話をかけてきて、誰かに見られていると訴えた。誰も見ていないと言っても、彼女は窓のカーテンを二重にし、鍵を三重にかけた。やがて彼女は俺のことも疑い始めた。俺が彼女を監視していると。最後に会ったとき、彼女は俺の携帯電話を奪って川に投げ捨てた。
「これで安心」
彼女はそう言って笑った。その笑顔は美しく、そして恐ろしかった。
二
次は由香だった。書店でアルバイトをしていた彼女は、いつも黒い服を着て、まるで喪に服しているようだった。俺が『存在と時間』を手に取ると、彼女は近づいてきた。
「ハイデガー、好きなんですか」
彼女の瞳は深い井戸のようで、覗き込むと自分が落ちていくような錯覚を覚えた。
由香は詩を書いていた。死について、虚無について、存在の意味について。彼女の詩は美しく、そして絶望的だった。彼女との夜は哲学的な議論で更けていき、俺は彼女の知性に魅了された。
だが彼女には奇妙な癖があった。毎晩、同じ夢を見ると言うのだ。白い部屋で、誰かが彼女を呼んでいる夢。そして朝になると、彼女は必ず「今日死ぬかもしれない」と呟いた。
ある朝、彼女は本当に消えた。部屋には彼女の詩集だけが残されていた。最後のページに、俺宛ての詩があった。
君という存在の重さに
私は押し潰されそうになる
愛は生の証明であり
同時に死への誘惑でもある
さようなら
彼女がどこへ行ったのか、俺は今でも知らない。
三
そして今、目の前にいるのは麻衣だ。コーヒーショップで働く彼女は、一見普通の女の子に見える。だが俺はもう学んでいる。普通に見える女ほど、実は一番ヤバいのだということを。
「また一人?」
彼女は俺の向かいに座りながら訊く。俺はラテを啜りながら頷く。本当はコーヒーより甘いジュースの方が好きだが、大学生らしく見せようと背伸びしている。
「俺が出会う女は、なぜかヤバいやつばかりなんだ」
「ヤバいって?」
「理解できない種類の狂気を抱えている。まるで俺がそういう女を引き寄せる磁石みたいに。本当は普通がいいんだけどな。普通に付き合って、普通にイチャイチャして」
俺は素直に思っていることを口にする。嘘をつくのは面倒だし、どうせ俺なんてそんな大した人間じゃない。
麻衣は小さく笑った。その笑い声に、俺は既視感を覚える。
「もしかして」と彼女は言う。「問題は彼女たちじゃなくて、あなたの方にあるんじゃない?」
俺は彼女を見つめる。彼女の瞳の奥に、俺はまた深い井戸を見つける。
「俺が?」
「ヤバい女を求めているのは、実はあなた自身なのかもしれない。平凡な愛なんて、あなたには物足りないんでしょう?」
その瞬間、俺は理解した。確かに俺は普通を望んでいた。だが同時に、どこかでそれを退屈だと感じていた。平凡な女と平凡な恋愛をして、平凡な人生を送る。それが俺には耐えられなかった。俺は刺激を求めていた。痛みでさえも、無感動よりはマシだった。
俺が出会う女がヤバいのではない。俺自身が、狂気と隣り合わせの愛を求めているのだ。普通の恋愛では満足できない、歪んだ心を持った男。それが俺だった。でも、それでもいいと思っている俺もいた。
「君も」俺は呟く。「ヤバいやつなんだろう?」
麻衣は微笑む。その微笑みに、俺は美咲と由香の面影を見る。
「さあ、どうでしょうね」
窓の外で雨が降り始めた。俺たちは無言でそれを眺めている。この静寂の中で、俺は新たな災厄の始まりを予感していた。そして同時に、それを心のどこかで待ち望んでいる自分に気づいていた。
俺が出会う女はヤバいやつばかり。だがもしかすると、それは俺が選んでいることなのかもしれない。愛という名の自己破壊を。
雨音だけが、静かに時を刻んでいた。