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第3話 環状の戯れ、赤い祈り

 夜の豊科南部総合公園は、死んだように静まり返っていた。

 街灯が放つ頼りない光が、ブランコや遠くに聳える複合遊具のシルエットを不気味に描き出している。すぐ横の農道を、時々、車の光が通り過ぎていく。隣接するANCアリーナが煌々と光を放っている。

 公園中央にある広い芝生エリアで、一人の少年が荒い息を繰り返していた。

 雷切鳴牙。

「――チッ、キリがねえな」

 人影ほどの大きさを持つ、黒い糸くずの人形。〈フレイド〉と呼ばれるセカイの綻び。それが一体、また一体と、空間の歪みから染み出してくる。

 鳴牙の指先から迸った薄黄色の雷撃が一体の〈フレイド〉を貫き、光の繊維へと変えて消し飛ばす。しかし、その隙を突いて別の個体が背後へと回り込む。疲労の色が濃い表情に、焦りが浮かぶ。

「クソが……日に日に数が増えやがる。安曇野の紐に一体なにが起きてやがるんだ…!」

 鳴牙が毒づいた、その時だった。

「あはっ、みーつけた」場違いに明るい、鈴が鳴るような声だった。「キミ〈調律師〉でしょ?」

 鳴牙が振り返ると、そこに少女が立っていた。ゴシック調のドレスに身を包み、まるで夜の散歩にでも来たかのような気軽さで、彼女は微笑んでいる。

「なんだ、てめぇ……」

「〈サイレンス〉」

 少女が楽しげに指を鳴らす。すると、何もない空間から、まるで手品のように新たな〈フレイド〉が三体生まれ出た。鳴牙は息を呑む。〈フレイド〉はノイズの結晶体であり自然現象的に発生するのが常だ。それをこいつは生み出せるのか。なんでだ。どうやってだ。そして、なんのために?

〈サイレンス〉

 聞いたようなことがあるようなないような。けれど、どちらでもよかった。少女の唇が不気味な三日月型の孤を描き、ギザ歯の笑みを浮かべる。完全にイカれてる。間違いない、こいつは敵――

「さて、と。始めよっか」少女は人形を愛でるように鳴牙を見つめた。その瞳の奥に、ぞっとするような愉悦が灯る。「キミみたいな子、大好きなんだ。プライドが高そうで、一人で頑張る系で、なーんか過去に縛られいそうで、必死に強がってる――」

 人を見下しているような目が、特に勘に障る。

「壊れかけのオ・モ・チャ♡」

 少女の言葉に呼応したかのように、鳴牙の視界がぐにゃりと歪んだ。公園の風景が溶け落ち、代わりに眼前に広がるのは、燃え盛る炎のセカイ。肌を焦がす熱風。黒煙と、今もたまに悪夢の中で聞こえる、《《あの》》悲鳴。

 それは、記憶の最も奥深くに封じ込めた地獄。助けを求める声が耳にこびりつく。力のない幼い鳴牙は、ただ震えていることしかできなかった。

 ……幻覚。いや、脳に直接情報を流し込まれたような感覚だった。精神干渉ってとこか。だがそんなこと可能なのか? いや、いずれにしてもこの光景は俺の過去……ウザぇ振動(ヘルツ)だ。

 ゴゥゴゥと炎が立ち上るセカイで、鳴牙は苛立ちを隠さなかった。弱かった過去の自分を――トラウマを、強制的に邂逅させられている。心にズキンと生じる苦痛に、顔が歪む。

「テメーの仕業か」

「あはっ、そんな顔が見たかったの! 悔しくて、無力で、今にでも泣き叫んでしまいたい顔!」少女が、苦悶に耐える鳴牙を見て、心の底から楽しそうに笑う。「あははっ! 最高! その目すごく良いよ! 憎しみと恐怖とそれでも折れないって必死に虚勢を張ってる目! もっと見ーせて!」

 恍惚とした表情で、両手を広げる。

「お前さぁ」鳴牙は自らのこめかみに指を当て、微弱な電撃を流すことで幻覚の残滓を強制的に振り払う。「早口すぎてなに言ってっかわかんねぇよ!」

 怒りを推進力に変え、両手から放つ雷撃の規模を上げる。それは一体の敵を狙うのではなく、周囲の〈フレイド〉ごと少女を薙ぎ払うための範囲攻撃だった。

 少女は鳴牙の雷撃を素早く飛び回るようにして避けていく。暴れる電流が地面を抉り、火花が散る中を、彼女は笑い声を上げながらくるくると舞う。矢のようにして迫る雷撃をバック転で回避すると、驚異的な跳躍力で近くの街灯の笠の上に着地した。炎のセカイに浮かぶ月を背負い、高所から楽しげに鳴牙を見下ろす。

「やるじゃんかー〈調律師〉」

「なにモンだ、てめぇ」

「ちょっとぉ、頭悪い子ですかぁ?」少女の笑みが吊り上がり、そのおぞましさが月と重なる。「〈サイレンス〉って言っただろぉ?」

 しかしギンと睨みつける鳴牙は、一切怯んでいなかった。

「てめぇの名前を聞いたんだよ、頭空っぽ野郎」

 鳴牙が少女を指さす。その指先で、静電気の火花がバチバチと音を立て、彼の怒りに呼応して輝きを増した。

「あぁ、ウチのこと」そして少女は、両手の人指し指を頬に当て、小悪魔のように可愛らしく首を傾げた。「燭台(しょくだい)(カナデ)ちゃん」

 その、刹那。

 鳴牙の指から放たれた雷は、一直線の槍となって燭台奏を襲う。燭台はそれをいなしながら街灯から飛び降り、人々の恐怖や憎悪といった負の感情を固めたような、邪悪な紫色のエネルギーの大鎌をその手に生み出した。二人の姿が公園の中央で激しく交錯する。雷の黄色と燭台の纏う不吉な紫色の大鎌がぶつかり合い、火花を散らす。常人には目で追えないほどの高速戦闘が、公園の芝生をズタズタに引き裂いていく。一瞬の攻防ののち、燭台奏が虚空を薙ぐ。鳴牙の雷撃を紙切れのように弾き飛ばし、その切っ先を寸止めで鳴牙の喉元に突きつける。

「気に入らねぇな」と鳴牙。

「ウチは気に入ったねぇ!」

 燭台が叫ぶ。その彼女の瞳がカッと見開かれ、快楽が頂点に達する。鎌が鳴牙の喉に突き刺さる――その寸前、鳴牙の眼前に、幾何学模様を描く青い光の膜が展開された。燭台の紫色の振動(ヘルツ)はその結界のような粒子に阻まれ、甲高い音を立てて弾かれる。幻覚の炎が掻き消え、鳴牙の意識は夜の公園へと引き戻された。

「なーんだ、静もいたの。つまんないの」

 燭台奏が心底がっかりしたように唇を尖らせる。いつの間にか、鳴牙の隣には教師の姿とは似ても似つかない、冷徹な空気を纏った姫鶴静が立っていた。

「……あなたの遊びに、私の弟子を巻き込まないでちょうだい。奏」

 静の声には、冷ややかな敵意が宿っていた。

「はぁ」とため息を吐き、悪魔のような少女はスッと身を引く。「今日はここまでかぁ。ツンツン君。また遊んでねぇ」

 燭台奏はひらりと手を振ると、まるで元からそこにいなかったかのように、闇の中へと溶けていった。残されたのは、憎悪に顔を歪ませる鳴牙と、その肩を静かに支える静の姿だけだった。

 ◇

 翌朝の空気は、どこまでも澄み渡っていた。北アルプスが雄大に聳え、いつもの安曇野の日常が始まる。しかし、流星響の隣を歩く江雪糸音の表情は、その美しい風景とは対照的に、どんよりと曇っていた。

「糸音。顔色、いつにも増して最悪だけど。今日は休もっか?」

 響が気遣わしげに覗き込むと、糸音は力なく首を振った。

「ごめん、大丈夫。……なんか今日はちょっと、音がしつこくて」

「なかなか独創的な表現だな」

 努めて明るく言うと、糸音は「そうかな」と、ふふっと小さく笑った。その笑顔に、響は少しだけ救われる。

「もう学校だけど……その前に、そこの神社で少し休むか。日陰もあるし」

 そう言って、響は学校手前の吉野神社を指さした。糸音もこくりと頷く。入口に立つ『吉野神社』と刻まれた石柱。アスファルトの道が砂利道へと変わり、その先にはがっしりとした石鳥居が構えていた。高く伸びる松の木々が天蓋のように空を覆い、真夏の日差しを木漏れ日に変えて、道の両脇にいくつも並ぶ石灯籠に柔らかな陰影を落としている。鳥居をくぐり、砂利を踏みしめて進むと、拝殿の前に大きな〈茅の輪〉が設えられていた。乾いた藁を編んで作られた巨大な輪は、夏越の祓えのものだろうか。その存在は、古くから続く人々の祈りの形を雄弁に物語っていた。境内は、国道沿いとは思えないほど静謐な空気に満ちていた。

 糸音は、体調の悪さも忘れたように感嘆の息を漏らした。「すごい。空気が澄んでる。ここだけ音が優しい気がする」

 しかしその口調とは裏腹に、糸音の気持ちは重く沈んでいた。また響に迷惑をかけている。私は本当に一人でなにもできない、本当にだめな生き物だ。

 カラスが啼いている。

 ハッハッハッハと、もし太古の昔に聞いたなら天狗の笑い声とでも勘違いしそうな鳴き声だった。だとしたら自分が笑われているのだろうなと糸音は思う。耳が痛い。音が、痛い。静寂のはずの境内で、糸音はたまらずその場に座り込んだ。

「音が……」糸音は空を仰ぐ。木々に囲まれた空が回転しているようだ。「音が溢れてる……」

 その声は悲鳴に近いものだった。空間が陽炎のようにぐにゃりと歪む。その中心から〝黒い糸くず〟を固めたような人影が、拝殿の落とす濃い影から、黒い染みが滲み出すようにして音もなく姿を現した。

 な、なんだこいつ。

「糸音!」

 響が叫ぶのと〝黒い糸くず〟が動くのは同時だった。異形は一直線に糸音に向かうと、細長い腕を彼女の肩に突き立てる。その勢いで糸音の身体は神社の奥へ吹き飛んだが、彼女の背を響が辛うじて庇っていた。鍛えた体がなかったら、きっとバラバラだった……

 けれどそう思っている間にも、糸音に突き立てられた〝黒い糸くず〟の伸びた腕は淡い光を放ち、糸音からなにかを吸い上げていく。彼女の表情が、急速に虚ろになっていく。

「やめろっ!」

 響は〝黒い糸くず〟を糸音から引き抜き、その辺に散らばった木や壁の欠片を投げつけるが、それらは〝黒い糸くず〟の身体をすり抜けて背後の地面に転がっていく。

 よくわからない。でもとにかくヤバい!

 糸音を連れて逃げないと!

 響は糸音の手を掴み、鳥居に向かって走り出す。神社の外のセカイは明るく、こことは全く別の領域のように見えた。しかし背後で「グシャ」という鈍い音が響いく。振り返ると、〝黒い糸くず〟から伸びた腕が糸音の背中を貫いていた。響の手から糸音の手が力なく滑り落ち、彼女は〝黒い糸くず〟に引っ張られていく。

 目の前で、糸音の身体が奪われていく。

 なんでだ。

 なんでだよ。

 なにが起こった。

 あの鳥居の外に出れば、あそこまでいけば、いつもの日常に戻れるような気がしていたのに。なんだよこいつは。糸音を、俺の目の前で……!

 響の思考が追いつかない。理解が及ばない。ただ、目の前で大切なものが奪われていくという、絶対的な理不尽だけが、現実として突きつけられていた。

 その響の絶望に呼応するように、拝殿の前に佇んでいた〈茅の輪〉が、不意に淡い光を放った。乾いた藁で編まれた輪が、まるで内側から発火したかのように、赤く赫く輝きを増していく。それはすべてを焼き尽くすかのような破壊の炎とは違い、この土地に蓄積された、清浄で、しかし圧倒的な熱量を持つ光のようだった。その光は一条の筋となって響へと伸び、彼の右腕に吸い込まれていく。同時に、激痛が走った。服の袖が内側から発火し、燃え落ちた皮膚の上に、灼熱の炎で描いたような紋様が浮かび上がる。カラスの鳴き声も、風の音も、糸音の苦しげな呼吸さえも、セカイから消えた。まるでセカイが息を止めたかのような、絶対的な静寂が訪れる。

 響は本能のままに、燃え盛る右腕を〝黒い糸くず〟に向かって突き出した。それはもはや腕ではなく、純粋なエネルギー体のようだ。一直線に放たれた炎が〝黒い糸くず〟を飲み込み、断末魔のノイズすら上げさせることなく、塵一つ残さず完全に消滅させた。

〝黒い糸くず〟が消えると、セカイに音が戻った。すぐ横の国道を無数の車が往来し、木々は風に流れ、カラスが笑っている。

 右腕に走る耐え難いほどの痛みに、響はその場に膝をついた。しかし糸音は。糸音は助けられただろうか。響が顔を上げる。

「糸音、大丈夫か!」

 糸音は、響を見ていた。〝黒い糸くず〟が突き刺した肩や腹部にケガはないようだ。そういえば奴は投げた物もすり抜けていた……物理的ななにかではなかったのだろうか。

「痛いところとか、ないか」

 響が聞くと、糸音はビクリと身体を揺らした。今まで見たこともない反応―― その瞳に浮かんでいたのは、親しい幼馴染を見る温かい光ではない。危険から救った命の恩人を見る色でもない。その正体は、まるで怯えのような――

「糸音……?」

 響が優しく彼女の名を呼ぶ。

「響……だよね」

 震える声で、糸音が言う。

 右腕が痛い。しかしそれ以上に、猛烈な痛みを胸のどこかで感じる。心、だろうか。守り切ったはずだった。確かに、この腕で。なのに、どうしてこんなにも痛いんだ。灼熱に焼かれる右腕よりも、糸音のその一言と眼差しが、まるで心臓を直接握り潰されるかのように、酷く、酷く痛かった。

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