勇者召喚?残念、裏ボスでした
「私ね、いつかこの世界を滅ぼす怪物になるの」
内緒よ、と。勇者様、と。ここに来るまでの道行で人々にそう呼ばれていた少女は、吐息のように囁いてはにかむと、一閃。四天王である魔族の首を斬り飛ばしていた。
二匹目、と。誰に聞かせるでもなく口の中で呟く。魔王まで、まだあと二匹。城の守りを固めるのは当たり前のことで、つまり、魔王城と呼ばれる相手の本陣へ近付くほどに敵は強くなる。
今より強いのが、まだ二匹、と、最後に本命が一匹。
もっともっと強くならなきゃ、と。少女は足元に転がる自分が胴体と別れさせた首を見下ろしながら粛々と己が力量をはかっていた。
油断していたわけではない。けれどかなり、危なかった。全身が裂傷や打ち身で痛みを発している。内臓も痛めているかもしれない。戦いの最中はその隙すらなく飲むことのできなかったポーションを口にしながら、教会にも行っておこうと考える。
二匹目でこれなら、もっと強くならないといけない。とても魔王の首なんて獲れやしない。
がんばるぞ、と。もう誰も息のある者は少女以外残っていない、この魔族の支配域だった炎の山で彼女は一人決意を新たにした。
「帰してくれないんだって。帰されても困るけど」
ふと、そんなことをもう光を宿さない目を見詰めながら語りかけてみる。もちろん応答はなく、むしろ絶命した瞬間の怒りの形相がより酷くなったような気がした。まぁ、殺された相手にそんなこと言われても困るか。
数ヶ月前に置いてきた、「仲間」だの「パーティー」だのと名乗っていた四人組を思い出す。
その中にいた、この大陸のお姫様だという自分と同い年くらいの少女がそんなことを言っていた。
呼べはするけど、過去に勇者が帰った記録はない。勇者召喚は片道なのだと申し訳なさそうに肩を縮めていた。そんな、罪悪感なんて持たなくていいのに。
だってどうせ、決して許しはしないのだから。
そんなポーズ、鬱陶しいだけだった。だから抜け出したのだ。罪の意識も、労りも、慰めも、まして、仲間意識だなんて。気持ちが悪くて吐き気がした。
そんなことを思い出しながら、慣れたように刃に着いた血を払い落とした。
頑張って勉強して、どうにか入学したばかりの第一志望だった高校の帰り道。どの部活に入ろうかなんて、他愛のない話を友達として。勉強やっぱり難しいねとか、クラスの誰がカッコいいとか。ファミレス寄っていこうか、ああでも今日は姉さんが唐揚げだって張り切ってたなぁとか。とめどなくあちらへこちらへ飛んでいく話題を楽しく追い掛けていた、ときだった。
一番後ろを歩いていた私は、突然すこんっと地面に空いた穴に、咄嗟にどこかへ手を伸ばすこともできずに吸い込まれてしまった。悲鳴を上げた瞬間にはもう頭上で穴は閉じてしまっていたので、前を歩いていた友達は、悲鳴を聞いて振り返ったら私はもういなかったという恐怖体験をしたことだろう。
そして目が覚めたら、知らない世界にやって来ていた。姉さんがやっていたゲームじゃないんだから、と。そんな突っ込みも虚しく、当然のように渡された聖剣とやらは奇妙なほどに軽かった。
そこからは簡単。魔王を倒してください。魔族を滅ぼしてください。あなたは選ばれし勇者です。なんて陳腐でチープな展開。王道は王道だからこそ愛されるものらしいけど、それにしたってもう一捻りくらいあってもいいんじゃない、と気持ち悪いくらいこちらを構ってくる人々を眺めていた。
過剰に敬ってくる人、慮ってくる人、胡乱な目を向けてくる人。様々いた。
そして私は、簡単な戦闘訓練とこの世界についての講義を受けた後、実にあっさりと仲間とやらと共に旅立った。
神様とかいう、私を選び呼んだ存在のおかげで、私はつい最近まで一般女子高生だったはずなのに、城の屈強な兵士さんをコテンパンにできるくらいにはもう強かった。
それからずっと、旅をしている。
大した信頼関係を築く前にとっとと置いてきた仲間に追い付かれないように、ひたすらに前へ前へと進んでいく。あの中では私が一番強かったから、私が欠けたメンバーでは私に追い付くのは結構大変だろうと、そこまで計算したうえで。その代わり私は道中も戦闘中も誰からも支援を受けることもできないけれど、講義で習った通りにすれば路銀は稼げたし、必要な装備も揃えられたし、回復魔法なり教会なりで傷も癒せた。
文明レベルと情報収集手段がイマイチ理解できないのだけど、不思議なことに大きな街から山奥の村まで、私が「勇者様」であることはみんな知っていて、良くしてくれたり頼みごとをされたり、色々あった。ちなみに魔族もみんな私のことを知っていた。情報戦とかしてないんだろうか、この戦争。
聖剣が目印になっているのだろうかとも思ったけれど、こんな目立つ剣、隠すこともできなくて渋々腰にぶら下げておくしかできなかった。
許さないと決めたのは、割と早い段階でのことだった。
何もかもを許しはしないと、城で「殺すこと」の練習を重ねていたある夜、泣きながらそう決めた。はらはらとあとからあとから零れてくる涙が嫌で嫌で堪らなかった。それは私が弱いことの証でしかなかったから。
涙を一粒落とすたび、自分が辱められている気がした。弱くて脆くて怪物になんてなれやしないちっぽけで哀れな女の子。お前はそういう無様な生き物なのだと突き付けられている気持ちになった。
そして迎えた初陣で。仲間を庇う知能を持った、私と同じように血の通った、肉の温かい生き物をたくさん殺したその瞬間に。ほんの少し、安堵した。
ああ、これで。
これで、私。許さないでいられる。だってもう、後戻りはできないのだから。
あの瞬間。ただの女子高生だった私はどこにもいなくなってしまって。残されたのは、いつか怪物へと成り果てる「何か」でしかない私だった。
もう、ほんとうに、帰れないのだと。その夜また少し泣いた。
そういえば、ひとりで泣くことすらできないことも、パーティーを置いてきた理由の一つかもしれなかった。目が腫れない泣き方なんて知らないから、翌朝気遣われるのが本当に鬱陶しかった。
怪物になるのだ。私は。だから、そんな、可哀想なものを見る目を向けられることは、屈辱でしかなかった。
何らかの奇跡が起きて、万が一。今すぐに帰してもらえることになったとして。
どうして、どんな顔で帰れるだろう。
殺して、殺して、殺して。そうして、褒められ感謝されて崇められてまた殺すことを求められた。そんなことに慣れて。血塗れのこの手で、どうやって家族に、友人に触れられるだろう。
だから私、許さないと決めたの。誰よりも強くなるって決めたの。魔王を倒して、魔族を討ち滅ぼして。真実、私より強い生き物が世界から消え果てたのなら。そうしたら、もう、我慢はしないのだ。
でも私はまだまだ弱いから。私から全てを奪った憎い憎いこの世界の、平和を求める人たちを、家族を愛する人たちを。まだ、踏み躙る準備ができていないから。
だから待っているの。私が、誰も彼もを滅ぼして、すべての幸せを台無しにしても笑っていられる怪物に成り果てる日を。今か今かと待ってるの。
許さない。
この世界を許さない。神様を許さない。魔王とやらを許さない。私を呼んだ人を、それを喜んだ人を。私が血に塗れるほどに喝采する生き物たちを。許しはしない。
何よりも。そんなおぞましい生き物に、この憎悪を鈍らせようとしている私自身を、絶対に、なによりも、許さない。
怪物になるのだ。絶対に。必ず。いつの日か。この世界のすべてを燃やし尽くして笑うのだ。罪のない人々を一人残さず手に掛けて。いいえ、罪のない人なんて、この世界にはいやしない。「勇者」を喜ぶものも、憎むものも。等しく、私にとっては罪人なのだ。
許さない。許さない。許さない。
許してはいけない。許す私を許さない。あの日すべてを奪われた私自身のために。ただ、刃を磨くのだ。誰にも決して負けないように。邪魔をされないように。罪人だと、憎んでいられるように。
――そうして、そして。
少女は独り、魔王城へと辿り着き、相対する。
己がこの世界へ呼び出された原因と肉薄する。
あは、と。軽やかで鈴のような笑い声が、配下が殺し尽くされもはやたった二人しか残されていない城の中で響いていた。
さぁ、ことほいで、魔王様。よろこんでちょうだいな。
私が呼ばれた全ての原因。世界の敵だと神様にすら否定されたあなた。
こんな反意を抱いているはずの私を野放しにしたままの、何を企んでいるのやら分からない神様の掌でまんまと踊っていたあなた。
そう、そう。
生まれただけで悪とされていた自分たちの存在意義を問うていたの。
人間を食わねば生きていけぬように創っておいて、滅ぼそうとするのはなぜなのかと。
そうね、不思議ね。
そもそも神がいるのなら自分で全部やれば良いのにね。どうして私なぞ呼んだのかしらね。
「魔王様、だいじょうぶよ」
少女は微笑む、とびきり美しく、慈悲深く、かみさまのように笑って見せる。
あなたが守りたかったものも知りたかったことも。
なにもかも、必ず、必ず。私が皆殺しにしてあげる。
世界中、端の端まで。人間も、魔族も。動物も植物も虫の一匹に至るまで。隅々くまなく。消し炭にしてあげる。
そうしたら、そうしたら。
きっとあなた方を間違えて創った神様だって出てくるんじゃないかしら。
もしかしたら力が強大すぎて自ら干渉したら世界がペチャンコになっちゃうとか、そういう存在なのかもしれないけど。さすがにそこまでしたら、私をペチャンコにしに来てくれるわよね。
願わくば、いちばん、いちばん、くびりころしてやりたいのは神様だけど。
ペチャンコにされたって構わない。
許さないと決めたあの日の私に、私だけが殉じてあげられるのだから。
私を呼ばなきゃ滅ぶ世界なんて、滅んでしまえよ。
旅に出て。もう数年も歳月が流れてしまった。
ねぇ、魔王様。
私、恋を知ったわ。愛も知ったわ。
旅をして回ったこの世界で。結局置いてきた仲間とやらと合流することはついぞなかったけれど。それでも、多くの出会いがあって、別れがあって。交わした情があった。
あの世界で知るはずだった多くのものを、この世界で味わった。
だから私待ってるの。この憎しみが正しく花開いて、結実する日を待っているの。涙ひとつこぼさずに、恋した彼を、愛した彼女を、刺し貫ける日が来ることを。待っているの。
そしてその日はきっと。あなたの首を斬り落とす今日に違いないの。
美しい港町で出会った、さみしい瞳をした彼。寂れた村で出会った、猜疑に満ちた表情の彼女。恋をして、熱を返され。愛を渡し、情を託された。
それ以外にも、たくさん、たくさん。
あの日すべてをゴミクズのように捨てさせられて、奪われて。飽き足らず、多くの罪過を与えられた私自身を。裏切らせようとしてくる多くのものに出会ってしまった。
それでも私、許さないの。
ぜったいにぜったいに、ゆるしはしないの。
全部、すべからく、見事に!
滅ぼし尽くしてみせるの!
だって、そう、私だけが! あの夜の、弱くて脆くてちっぽけで無様な私を、ほんとうの意味で、抱き締めてあげられるのだから!
だから、さようなら、さようなら、さようなら!
魔王様、みんな、すべて!
放った攻撃魔法が過たず巨大な姿へと変貌した魔王の足場を崩したのと同時、大きく聖剣を振り被る。
狙うは素っ首、ただひとつ。
これにてすべて、おさらばです!
そして怪物は、歌うように産声をあげる。