第8話 子供を避けるのは現代人の常
暗闇の中で小さな美少女が泣いていた。
蹲って、自分を責めるように泣いていた。
勇者瞳は、それを華麗にスルーした。
何故なら彼は現代日本人だからだ。
小さな子供には絶対に近付いてはいけない。
何故なら変質者扱いされるためである。
通りすがりに近所の子供におはようと挨拶しただけで、
不審者が現れました、と通報されるこのご時世。
他人のガキに関わり合いになっても、
いいことなんて万にひとつもないと誰もが理解している。
故に、彼は泣いている幼女を華麗にスルーした。
「……したかったんだけどなあ」
さっきまで自分はバドワイズと船旅をしていた筈だ。
海の上があまりに退屈で代わり映えしなかったため、
暇潰しに瞳がいた世界の話を延々していたのだ。
にも関わらず、彼は突然見知らぬ暗闇に放り込まれた。
「あのー、もしもし? ちょっとすみません、
泣いてるところ申し訳ないんですが、
少しだけお時間頂いてもよろしいでしょうか?」
「だあれ?」
「それはこっちの台詞なんだよなあ。
あ、俺瞳って言います。ヒトミ・シシク。
怪しいもんじゃないんで、全然大丈夫ですんで」
「コホン、お見苦しい姿をお見せしてしまい、
大変失礼致しました。
わたくしはセルベセリア。コロナ公爵家が長女、
セルベセリア・コロナと申します」
「わあ――」
セルベセリア・コロナ。聖女を死に追いやり、
この世界の構造をメチャクチャにした張本人だ。
公爵家の娘が人前でメソメソしてはいられないと、
涙を拭い気丈に立ち上がったドレス姿の幼女。
「あのさ、率直に訊くけど君って転生者なの?
それとも未来からの逆行者?
或いはそれ以外の何か、たとえばモブオリ主とか?」
「わたくしの事情を御存じなのですか!?」
「いえ、御存じないです。知らないです。
でも話を聞いた限りだと、
状況的にそのどれかじゃないかなあって」
彼女は驚愕に目を見開いた。
「であれば、どうか教えてください、お願いします!
わたくしは……わたくしは一体なんのために、
人生をやり直すことと相成ったのですか!?
何故わたくしだけが、時間を遡るという奇妙で
不可思議な体験をしているのでしょうか!?」
「そっちかあ。ま、なんとなくそんな気はしてたけれども」
聖女を押しのけて公爵令嬢が大活躍した、と
魔王バドワイズから事情を聴いた際に、
すげえなろうっぽい展開だなあ、と瞳は感じた。
セルベセリア・コロナが転生者であるならば、
高確率で原作ゲームの知識を持っている筈だ。
であれば、聖女抜きで魔王に挑んだりしないだろうし、
そもそも暗黒の扉を破壊したりはしないだろう。
アレはこの世界が円滑に運営されるために必須で、
それを壊してしまってはこの先世界が立ち行かなくなる。
無論、魔王バドワイズの言ってることが嘘っぱちで、
瞳がまんまと騙されて上手く利用されているだけ、
という洒落にならない可能性もあるのだが。
魔王が独力でそんなことができるのであれば、
そんな回りくどい真似はせずに、もっと手っ取り早く
やるだろうからたぶん違うだろうという確信があった。
「状況を整理しようか。
まず、君は未来から過去に戻ってきたんだよね?」
「はい。わたくしは一度処刑された筈でした。
ですが気付いた時には記憶はそのままに、
幼い頃に精神だけが戻っていたのです」
「それで、今度は処刑されないようにするために、
心を入れ換えて一生懸命頑張ったわけ?」
「はい。かつてのわたくしは、傲慢で身勝手な
処刑されても仕方のない愚かな娘でした。
故に、今度はそうならないよう努めたのですが……」
「そのせいで未来が変わっちゃったわけだ」
「……あの、シシク様は一体何者なのですか?
ひょっとして、神様なのでしょうか?」
「俺? 俺は……勇者だね、今のところは。
聖女が死んじゃって、世界がメチャメチャになって。
このままじゃ世界が滅んじゃうから、
なんとかしてくれって神様的存在に
別の世界から呼び出された代理人って奴」
「世界が滅びる!? それは本当なのですか!?」
「うん。神様的存在が嘘吐いてなければだけど」
「どうしましょう!? わたくしのせいです!
わたくしが運命を捻じ曲げてしまったから!」
一度は泣き止んだセルベセリア・コロナが、
またしても顔を覆って号泣し始めてしまった。
「まあまあ、落ち着いてよ。
それをなんとかするために俺が来たんだからさ。
何も君だけが悪いわけじゃないんだ。
強いて言うなら運というか、間が悪かったんだよ。
とりあえず俺は今魔王バドワイズと一緒に、
この世界を修復するためにがんば……」
そこまで言ってしまった瞳は、しまった! と顔を顰めた。
魔王と協力している。それだけで彼女に
警戒心を抱かせるには十分すぎるほどの失言だった。
「あのさ! 誤解しないでほしいんだけど!
今の魔王バドワイズは味方だから!
聖女を死なせた君たちの尻拭い押し付けられて、
迷惑してる可哀想な被害者だから!」
「え!? え!?」
こうなったら勢いで押し切るしかねえ! と
瞳がセルベセリアの肩を両手で掴もうとした矢先。
暗闇が、世界の輪郭が急速にぼやけ始めた。
「今すぐ信じてくれとは言わないけれど! でも!
俺たちこの世界を元に戻すためにがんば、
頑張ってるから! お願いだから邪魔はうわっぷ!?
邪魔だけはしないでくれると助かるってことだけでも、
覚えて帰ってくださいねえええええ!」
「シシク様!」
暗闇がバキバキと音を立てて、真っ二つに隔てられる。
セルベセリアは真っ逆さまに奈落の底へ、
瞳は転落するように空へと吸い込まれていく。
「どわあああああ!?」
ガバ! っと勇者瞳は跳ね起きた。
空には満天の星が輝き、潮騒が耳をくすぐる。
気付けばそこはクジラ型海魔の体の上。
「随分と魘されていたようだが、大丈夫か?」
「全然オーケー! でも、あんま大丈夫じゃなかったかも」
今のは間違いなく夢だ。だが、ただの夢とは思えない。
夢の中でセルベセリア・コロナと会話をした、と言うと、
バドワイズは合点がいったように頷いた。
「恐らくそれは、聖女が持つ権能の一種であろう。
聖女は救いを求めている人間の声を聴くことができる。
それがどのような形であれ」
「聖女の代理の勇者でも、それは同じってことか。
んじゃ、セルベセリア・コロナは俺に助けを求めている?」
「いや、そなたに限った話ではないと思う。
誰でもいいから助けてくれ、と漠然とした願いも、
それが救うべき願いであると世界が判断したならば、
時間も空間も超えて聞き届けられよう」
「つまり、セルベセリアは敵じゃないかもってことか」
そもそも、なぜ彼女は逆行者になったのか。
この"世界"そのものが意思を持つのであれば、
世界が彼女を逆行させたとは考え難い。
では世界意外に、そんなことができる存在がいて、
そいつの意思で運命が捻じ曲げられたのだろうか。
であるならば、一筋縄ではいかないかもしれない。
「バドさん。ここらで一旦セルベセリアについて、
性格には彼女の身に起こった出来事について、
真剣に考えてみないと不味いことになるかも」
「では、真剣に考えてみるとしよう。
幸い時間はまだある。此度の航海は長いのだから」