Children at the bottom of hell ― 1
こちらは同時投稿の2話目となります。先に前の話を読むようにお願いします。
とある世界に浮かぶ島。その島のほとんどは険しい山に囲まれ、特に南側には全方位を山に囲まれた盆地が存在する。そこの中に首都を置いているちょっと癖の強い王国のどこか、薄暗い地下世界。
窓一つない湿気た空間で、7と数字の刻まれたタグを腕に巻いた少年が一人、掃除道具を持って歩く。歩くたびに左に寄せた長い前髪と、ぼろ布の端で束ねた後ろ髪がそれぞれ揺れる。
彼に許された自由行動範囲は、自室、それとつながる廊下、他の子供たちが詰め込まれるいくつかの部屋だけ。自由行動の時間は、寝て起きて、恐らく朝だろう時間にもたらされる悲鳴も絶叫も聞こえぬ静かな時間だけ。少年はぼろの長袖シャツの袖をまくり、使い古されたモップといくらか凹んだバケツを装備して扉を開ける。
腐敗臭、血や体液の臭い、その他が綯い交ぜになった平生では体験することの無い臭いは彼の日常。怯むことなくバケツを置き、モップを水につけ、永遠に綺麗になることの無い床を磨く。そのついでに、近くに座っていたり、寝具もなくそのまま寝転んでいたりする自分よりも年上の子供に、彼は年齢を問わずフランクに、笑顔で声を掛ける。
「よ!元気か?」
「ちょっと足、動かすから触るぞ」
「今日は顔色良いぜ?なるほど、包帯とれそうなんだな」
「ん?ああ、これ。取ってやるからちょっと待ってろ」
声を掛ける子供たちは、皆程度の差はあれサイズの合わないボロボロの服を着て、血のにじむ包帯を巻き、傷だらけで、涙の跡がみえる。ずっしりと重く淀んだ空気の中、どんなにか細い返事も聞き逃さず、快活に返事をする彼の姿は空間から浮いている。
「よ。大丈夫か?」
時折、返事を返さない子供がいる。彼は慎重に様子を見極め、眠る子供に対しては安堵の息を漏らす。二度と目覚めない子供に対しては、申し訳程度に綺麗な布で顔や手など、可能な範囲で身を清めてやる。教会で習う通りに手を合わせて祈るわずかな時間――――7歳の子供が行うにはあまりにも手慣れすぎたその動作に、気を配る者は誰もいない。
自室含め三部屋の清掃と人員確認を済ませ、仕事の終わりを認識する。もう一部屋存在するのだが、そこは女性の部屋なので、男である自分は立ち入らない。
その代わり、中へ声を掛ける。
「今日は2人死んでた」
毎朝の情報連絡だ。死んでいた人数、名前、気になったことを伝える。
「………そう、ありがとう」
今日もやはり彼女は起きていた。多分、彼女はこれから1人で泣いて、大人に呼び出されると何事もなかったように部屋を出てくるのだ。いつも彼女の目元は何ともないが、服の袖が濡れているのは隠せない。
すべてが終わったので、自室へ戻る。必要最低限の寝具とどこからやって来たのか分からない紙とペンくらいしかない殺風景できれいではない部屋。そこで14のタグをつけた兄ちゃんと、6のタグをつけた女の子が待っていた。14のタグ――――名前をアンリマユという兄ちゃんは、散切りの頭と、ちょっぴり特徴的な瞳をこちらに向ける。
「おかえり、おはよう」
「おう!」
「姉さんは?」
「今日も起きてた」
「そっか…」
そう言って細められた目は、海辺のような青とベージュの二色で一つ。つまり、オッドアイではなく、そういう模様の目って感じ。彼が持つ能力…【看破】っていう何でも見抜けるギフトの影響で今の瞳の色に変わってしまったらしい。それは双子の姉ちゃんも同じで、二人とも本当は青色をしていたそうだ。
6のタグ――――名前をメルという一つ年下の女の子は、胸の下で手を固く握りしめている。目元に涙がにじむのは、共感したからだろう。
「アンネお姉ちゃん、泣いてる」
「…そうだな」
ろくに手入れもできず、ぼさぼさの黒く長い髪を気にすることなくガシガシと容赦なくかき回す。メルは身体を一瞬硬直させるが、それは徐々に普通に戻っていく。人が触れることに慣れてないのだ。
(お前は優しいから泣いちゃうよな)
彼女もやっぱりギフトホルダーで、【心読み】という力を持っている。相手の心が読めちゃったり、自分の心を言わなくても伝えられちゃったりする凄い力だ。その力のせいでこんなところに売られてしまったので、メルはこの力を嫌っている。こんなにも凄いのにな、とちょっぴり残念に思う。
「ベネディクト」
「おー、何だ?」
「ありがと」
「ん」
大人たちは彼女に絶対触りたがらない。それは彼女を売り払った親もそうだったらしい。そんなだから、メルには一切身体的傷がつかない。彼女のギフトを知らずに連れてきてしまった大人たちは、彼女のギフトを無効化する研究に余念がない。
(アホくせえぜ)
俺や双子は、メルがどうやら力の制御は不安定らしいが、力を悪用してひたすら勝手に心を読んでいくタイプではないと知っている。俺が悪戯を考えていても気づかないことは多いし、何よりメルはとっても賢い。無駄なことはしないし、俺らがメルを信じている。だから、恐れることなく彼女と手をつなぐし、頭だってこうやって撫でてやるんだ。
「ベネディクト」
背後から、低い声に呼ばれる。振り向けば白衣を着た男たちが立っていて、年のわりに小さいメルが、俺のボロ服を掴む。
「大丈夫だって。行ってくるわ」
メルの手を服から剥がして、部屋を出る。白衣に囲まれながら、薄汚い灰色の服の俺が歩く。
「おい、この実験体は今いくつだ」
「7歳と11か月」
「あとひと月無いくらいか。素質がある、早く実験させてほしいものだ」
こちらに見向きもせずなされる会話は俺の人としての扱いの欠片もない。こいつらは、俺がいつあの子供たちのように傷だらけ血まみれになるまで実験できるか、それしか考えない。双子の【看破】で「8歳以降でないと研究の成果は出ない」って言われてるから俺を飼っているだけだ。
俺は――――ベネディクトは、ギフトを持っていない。この研究所でn番目に連れてこられた「持たない子供」で、あの部屋で3人目に連れてこられた「素質あるノーマル」だ。そして、未だに傷が一つもついていない子供の一人。
ここは地下研究所。ギフトについて研究する地下組織。その研究は、人体実験だって含まれる。
「この実験体はここ数年で一番良い状態に保っている。8歳になる日が待ち遠しいな」
クソッタレどもの歓喜。胸糞が悪い。
あと3週間足らずで、ベネディクトは8歳。そうなった時、彼は実験体として彼らに身体も命も冷たくなるまで使い潰される。
「………」
顔を俯かせ、長い前髪で表情を隠す。笑えない顔なんて、こんなクズ野郎どもに見せてたまるか。俺はいつだって元気に、笑顔でいてやらないと。
でも、そんななけなしの抵抗も、痛みには耐えられない気がして。
(ここは地獄だ)
将来与えられる絶望に、今朝も看取った先達たちの味わったであろう地獄の苦しみに思いをはせ、一人唇を噛んだ。
***
目を開けると、明るい光が眩しい。しばらくして目が慣れると、コンクリートの天井と換気の為だろう、通気口が見えた。周囲を観察すれば天井付近の高い位置に申し訳程度の窓があり、この部屋が半地下であることを知る。
(どこだ?)
王国の島内であることは間違いない。盆地を出るための鉄道に乗り込んだ記憶もないので、おそらく首都近辺、遠くても盆地の中か周辺の山にいるはずなのだが。
スン、と鼻で空気を取り込む。
自宅ではあまり嗅ぐことの無い医薬品の匂いは、何かを呼び寄せるような気がするが、何をどうしているのかはよく掴めない。混乱しているのだろうが、そうなのかもよく分かっていないあたりどうしようもない。
(………頭が痛い、何でだ)
殴られたか、ぶつけたか知らないが、ジンジンと痛むあたりに手を持っていくと、ガーゼと包帯の感覚。処置をされる程度のけがをしているらしい。
「起きたな」
「…?」
白衣を着た男が一人、本を片手にこちらを見ている。タイトルは『ギフト革新、それは革命への道――――ギフト開発研究』、なんだか物騒なタイトルだなあとのんきなことを考えた。
その間にも男は近付いて、僕の身体を起こす。
「初出勤だってのに散々だったな」
「初…出勤?」
「忘れたか?棚の上から落ちてきた箱に頭ぶつけてぶっ倒れたんだよ。まさか働き始めて一日目で怪我して気絶して仕事にならないとか、そんな奴はここにいる中でお前だけだぞ」
何を言われているのか恐ろしいほど分からない。いや、言語は分かる。王国語だ。だが、言われている内容は全く知らない。
こちらを見た男が、苦虫を噛み潰したような顔をする。
「………まさか、記憶飛んだか?名前は言えるか」
「名前…は、」
■■■■、と言いかけた自分を、誰かが引き留めた。
『不用意なことを言うな』
誰だろう。誰かがこちらを見ている。いや、目の前にいる男の話ではない。自分の頭の中、誰かが忠告してくるのは何故だ。
「あー…強打による一時的な記憶喪失か。やっちまったなあ」
同僚と思しき男が、自分の職場での身分証を見せてくる。
「お前は『メイビス博士』。この研究所で医者をやってる」
「メイビス…メイビス――――ああ、そういえば、そうだったかも」
揺らぐ何かを掴むように『メイビス』という名前を噛みしめる。そうだ。確か医者で、ここには仕事をしにやって来た。
「医者としての知識とかは覚えてるか?お前の専門分野は?」
「えっと…小児科医」
「まあ、それさえわかれば仕事はできる」
立てるな?なら仕事だ。
容赦なくベッドから引きはがされ、自分が持ってきたのであろう医療鞄を掴まされ、部屋を出る。目的地まで歩く途中、一瞬だけ見た鉄格子とその向こうの通路で、ボロ布を纏った子供が一人、清掃活動に勤しんでいた。
(………あの子たちは、)
そう口を開こうとして、やはり頭の中の誰かが自分の口をふさぐ。
『聞くな。見て分析しろ』
その言葉に従い、先ほどの子供を思い出す。
(髪は長髪、衣類は汚れていた。おそらく衛生状態が悪い。腕にあった白いタグは…ネームタグだろうか。バケツとモップを持っていたが、それも古い。掃除という行為はあくまで彼の精神衛生の為で、実利は考えられていないのかもしれない)
自分が歩く通路は綺麗ではないが、鉄格子の向こうのように不衛生ではない。すれ違う大人たちは皆白衣を着ていて、生き生きと何かに取り組んでいるのに、一瞬見たあの子供は煤けたような灰色の服で、雰囲気がどこか重い。
(…ここで何かが起きている。児童虐待の類、人体実験…まだ判別はつかない)
廊下の奥まで進み、部屋へと案内される。開けられた扉の向こうは手術室と研究室がセットになったような空間で、数人の白衣を着た男女がこちらを見る。
とりあえず、笑顔で挨拶をする。基本だ。
「こんにちは。メイビスと申します」
初対面ではないのだろう。反応が戸惑いに満ちている。
「…頭、どうしたんだ?」
「記憶は無いんですけど、どうやらここに来る途中でぶつけたみたいなんですよね」
あー…、と納得したような反応をされる。呆れられているのは分かるが、おそらく暢気でどうしようもない、取るに足らない奴だと思われていた方がいい。何故かはわからないが、そう判断した僕は、のほほんと「よろしくお願いします」などと言ってのける。
解散の言葉もなく各々仕事に戻りだした彼らを見て、僕が目覚めてからずっと隣にいる男に声を掛けた。
「僕は何をすれば?」
「お前は検体たちの体調管理が仕事だ。さっき起きた部屋――――医務室で、あいつらを生かさず殺さず、実験に使える程度を維持しろ」
「はあ。その、実験とやらに耐えられない子供はどうするのですか?救命措置を施しても?」
「そんな無駄はするな。放っておけ」
じゃあな、と隣にいた男も研究室へ戻っていってしまった。どうやら、医務室に詰めるのは僕だけらしい。もしかして、24時間一人体制なんだろうか。
都合がいい、と言いかけてその言葉を飲み込む。
「とんでもない職場にきちゃったなあ…」
メイビスは一人、包帯が無い部分の頭を掻いた。