Dedicate your life, for a colorful future
真夜中の王宮、執務室に灯るカンテラの光。そのやわらかな光に照らされて煌めくのは、夜空色の瞳と、その持ち主である国王の顔。
彼の視線の先には、先王夫妻の肖像画。
「………やっと、あの組織は潰せました」
王国が長年追い続けてきた地下組織。ギフトを救いと定め、ギフトを手に入れんと非道な人体実験にまで手を出す残虐な行為を良しとしたその組織を、政府による経済制裁と諜報機関『宵闇』の暗躍によって壊滅せしめたのはつい先日のことだ。
地下組織の本体は、先王の死の直前にはもう掴めていた。実験施設の場所に難儀している間、王国はかなりの必要経費――――それは先王夫妻の命や自分の学業放棄も含め、膨大なコストを支払った。しかし、その結果手に入れた王国の臣民の安寧は、これからも守り続けなくてはならない。
その安寧において、『子供たちの亡霊』の願いは最優先事項となる。
「…俺はギフトホルダーだし、今までそれを理由に差別を受けたことがなかったから、あまり認識できてはいなかったが、実は王国民って、ギフトの存在は知っていても、その詳細については無知なんだろうな」
ギフトが救い、それは間違った解釈だ。確かに、そのギフトが命を救うこともあるだろう。自分のギフトだって【防護】であるし、あまり人に教えてはいないが同時に一人に対して付与することも可能なのだ。実際、自分はこのギフトが有する自動発動で命を救われたことはあるし、リシュテアだって一度暴力から守られている。だが、ギフトが一つ存在したところで、世界は何も変わらない。
大事なのは「人間が何をどうするか」であって、ギフトは「ちょっぴり不思議な個性」にすぎないのだ。
「だけど、そこをどうやら、理解してもらえていない。周知が必要だな」
ギフトホルダーもノーマルも皆等しく人間であり、ギフトは万能ではなく個性の一つ。…短く言えばこんなものだが、それを浸透させることのなんと難しいことよ。
「俺が命じれば、一発で通るけどな」
王国である以上、王権は強権だ。市井を生きる人々に、高圧的に命令を下せる。臣民は、反乱を起こさない限りそれに従う。
しかし、そこに個人の意思はない。確実に、国家と個人の間には溝ができる。
それでは駄目なのだ。「王が命じるから平等なのだ」ではなく、「自分が、一人一人が自ら平等と思う」でなくてはならない。強制された感覚は、王が死に、国が変われば容易に無くなる。彼ら自身に、「ノーマルもギフトホルダーも同じ人間」と思ってもらえなければ、また大多数が少数を飼い慣らそうとするだろう。
(同じ人間…あー、面倒だぞ…)
簡単に言えば、同じ人間だ。しかし、それで納得するには「ちょっぴり不思議なこと」が多すぎる。
(魔法が使えるって思ってそうな人もいそうだしなあ)
眉間に皺が寄る。ギフトは特殊な力のように見えるし、実際そのギフトを所有する人にしか扱えない。便利な道具扱いしたくもなる気持ちは想像がつく。
(でも、そうじゃないんだよ)
ノーマルは実験動物ではない。それは皆わかるだろう。ただ同時に、ギフトホルダーも実験動物ではないのだ。そこを理解するのに、いったいどれだけの月日がかかるだろうか。
(先代まではほとんどノーマル。幸か不幸か、今代の俺はギフトホルダーだ)
嫁(予定)のリシュテアもギフトホルダー故に、可能性としては、次代もギフトホルダーになる方が高いだろう。しかし、仮に俺たちの教育が失敗したとして、国王からギフトホルダーがノーマルを差別したり、ノーマルがギフトホルダーを差別するようになったら困る。今の俺ですら、ちゃんと平等を保てるのか分からない。
「外部機関を作る必要がある…か」
ストッパーが必要だ。持つ者も持たない者も平等に扱い、ギフトについて知見を深めるための組織が。知ることは大切だ。
「陛下」
いつの間に入って来たのか、椅子に座る俺の隣にリシュテアが立っている。
「相談に乗りましょうか」
ここで飲み込み、隠すことは簡単だ。リシュテアは、俺が嫌だと言えば追求をしない。『宵闇』出身者として、こっそり情報収集と分析くらいはしてのけるだろうが、決してその話題を出してきたりはしない。…この先、よほど俺が間違った選択をしない限り、この習慣は変わらないのだろう。
だから、求められるのは俺の勇気だけ。俺がクソガキのままでいるか、ちょっと背伸びをするか。
「…そうだな、話すよ」
この話について、俺は背伸びを選択した。リシュテアを招き、膝に座らせて抱えれば、背中を預けて静かにしている。首元に顔を埋めても怒らない辺り、日頃の猫のような反発が嘘のよう。
――――クソガキの俺、完全に手の平の上だな…
彼女の腹の前でクロスした腕に彼女の手が触れる。催促だ。話さねば。
「………ギフトホルダーとノーマルの溝を埋める仕組みを作り上げるのが、俺の仕事なんだと思ったんだ」
あの、亡霊となった子供たちと、傷つけられた子供たちの記憶と言葉を受けて考え、決断しようとしていることをすべて話す。
リシュテアはなにも否定しなかった。静かに話を聞き、こちらを向いて頷く。
「陛下と私の、一生をかけた課題になりそうですね」
「一緒に取り組んでくれるか?」
もちろん、とリシュテアは言う。
「彼らを知った私も、最早無関係ではいられません。大人として、やるべきことがたくさんあります。今だけでなく、未来も見据えて、変化を許容しより良い方向へ進めていく仕組みを整えなければならない」
彼女の手が俺の顔に伸びる。拭われて初めて、自分が涙を流していることに気づいた。
(存外俺は、共感しやすい。…たった一人の王様として、良くはないな)
だが立場が違えば、あの子供たちは俺だったかもしれない。また、リシュテアかもしれないし、可能性を追求したらきりがない恐怖。
(気づいてしまったら、やるしかないだろう)
ギフト絡みで地獄を味わう人が、これから先現れないよう努力しなくてはならない。ギフトがあろうとなかろうと、皆が幸せを得る権利がある。
「頑張りましょう、陛下」
「ああ。よろしく頼む」
ノーマルも、ギフトホルダーも、全ての人が色ある未来を得るために、俺は生涯を捧げよう。
それが、俺の国王たる意味だ。
***
某日の昼下がり、首都郊外の『文化会館』に向けて歩く男が一人。
彼は何でもない男だった。過去を切り離し、柵も切り離し、ただ日陰の世界の影として動く。コードネームとして『静月』を与えられた、『月』を名乗る優秀な諜報機関員の一人にして、日向の世界には存在しない男――――だったのだが。
(もうすっかり、■■■■が頭から離れなくなってしまった)
あの任務を終えてもなお■■■■が、本来の自分が居付いて離れない。
■■■■は、とある伯爵家の一人息子だった。それは大事に育てられた…が、実際は金にものを言わせて放置したというのが正しい認識だろう。
物心つく前から、両親はこちらを見向きもしなかった。父は愛人に溺れ、母はそんな父を嫌ってか、自分の趣味嗜好に没頭。両親に振り向かれない哀れな子供は、金で雇われた教師や、使用人たちが面倒を見る。
「坊ちゃんはとても賢くていらっしゃる」
「ほう、勉学に興味をお持ちですか?」
「若様のお召し物を新調したいのです。仕立て屋をお呼びしますね」
皆、報酬がもらえる故にきちんと■■■■を育てた。伯爵家の跡継ぎとして不足ない恰好や教養を身に着けさせ、世間一般的な伯爵家の長男が出来上がった…と思う。
「父上。大学に進学しても構いませんか?」
「勝手にしろ」
「母上。医学部に進学します」
「そう」
「海外留学します」
「それは、寂しくなりますね…坊ちゃん」
人生の転機がやってきても、親は見向きもしなかった。使用人すら結婚や転職で屋敷を去っていく中、最後まで■■■■の傍で面倒を見てくれていた家令が一人、■■■■の人生選択を喜び、距離ができることを惜しんだ。
「ありがとう。そう言ってくれるのも、今はじいやだけだ」
口ではそう言った。しかし、体のどこかに空いた風穴は埋まることがない。
虚しかった。どんなに勉学に励もうが、成績を残そうが、一番振り向いてほしい人たちはこちらに見向きもしない。
しばらくして、その家令も死んだ。老衰だった。
本当に一人になってしまったような寂しさを埋めたくて、異性との付き合いを始める。容姿も肩書も十分だったようで、相手には困らなかった。だが、誰一人自分に空いた虚ろな穴を埋めることはできなくて、結局一人になった。
留学を終える間際、■■■■は"魔女"に勧誘を受けて『宵闇』への就職を決める。
そこでの生活は、なかなか楽しい。理不尽とも言えそうな高難易度の試験を突破した時の快感は爽快そのものだったし、活動前に受けた座学も実技もスリリングで愉快なものばかり。どんなに難しかろうと、それを乗り越える自信はあったし、自分にできて当然と思えた。周りもそういう人間ばかりだったので、謎の信頼感というか、連帯意識みたいなものがあるのも、不思議な面白さだ。
そうやって機関員としての必要な教育を施された■■■■は、無事に実働要員『静月』の名を受けた。実際に世界に出て、任務を果たす日々。針の先に糸を通すような難易度の高い任務も、誰も振り向かない地味な任務も、すべてこなす。その充実感は今までの人生で一番だったが、どんなに『静月』として生きていようが、体のどこかにある虚ろな穴は埋まらなかった。
「誰だ」
「――――………『静月』です」
気づけば『文化会館』の二階、『暗月』の執務室前に立っていた『静月』。ノックもせずに扉の前に突っ立っていたところを気づかれたらしく、室内から声を掛けられるざまだ。
「入れ」
短く命じられた言葉に従って、扉を開ける。今日の『暗月』はシニヨンヘアなので"魔女"と呼ぶ姿だ。"魔王"であろうと"魔女"であろうと、執務机で書類をさばいている人間は同じ。『静月』は、『暗月』に一つの封筒を差し出す。
「………そろそろとは思っていた」
封筒もとい辞職願に、『暗月』は顔色も声色も変えること無く手を伸ばす。中性的な声は、"魔女"故に女性のように聞こえる。その声で、鋭い指摘を受けるのは何度目だろう。
「『メル』だな」
「…お気づきでしたか」
「執着しただろう」
任務を達成してすぐ、『静月』は事後の報告を『暗月』に済ませていた。自分が記憶を飛ばしたことも含めきっちり報告はしたが、子供たちについては何一つ自分の私情を述べたつもりはない。それなのにピンポイントで見抜いてくるこの"魔王"には、一体何が見えたのだろうか。
「彼女はお前と違い、孤独にはならん」
「――――はは、」
自分の考えていることを的確に撃ち抜く言葉に笑いが漏れた。
分かっている。これは自分のエゴだ。
「ですが、やっぱり一人は寂しいものです」
子供たちに助けを求められた時、あの地下で子供たちのために戦った時。『静月』ではなく『メイビス』を選んだあの時に気付いてしまった。
自分が愛に飢えていること。そんな思いを、あの四人にさせたくないこと。あの地下にいた子供たちのために戦える自分が居ること。
何より、メルの手を掴み離した時に、「寂しい」と思ってしまった。
もう、辞め時だ。
「これからどうする」
「とりあえず、『僕』を国外から呼び戻さないといけませんね。それから、父親をいい加減隠居させないと」
「何かに囚われた人間」に、「何者でもない人間」を生きるのは不可能だ。どんなに切り離そうとも、思考や動作のすべてにそれらがにじみ出る。『暗月』の求める水準を満たせない自分に、『月』は与えられない。
「お前は、あの子供たちのために働くつもりでいるか?」
「おそらく、そうするでしょう」
「そうか」
『暗月』はそう言って、引き出しから大きめの封筒を取り出す。
「餞別だ」
「いえ…」
「受け取れ」
圧をかけて命じられた言葉に従ってそれを受け取る。封を開け、中身を見て、沈黙する。
封筒の中身は、実家の爵位を継承する書類。今月に帰国した■■■■は、来月付で伯爵になる。両親直筆で、■■■■の邪魔を一切しないという誓約書までついているではないか。
「また会おう、伯爵」
本当に、この"魔女"はどこまで見切っているのだろう。
畏怖と、感謝の念を綯い交ぜに、『静月』は消えてゆく。
――――何を名乗ろうと、どこにいようと手放されることがない、という予感を抱きながら。




