九十八話:また一つ
何故か祖父の悪癖を見てからの帰還の挨拶となる。
祖父として私と元仲の無事を喜ぶ曹家の祖父は、臣下の子として他も労い怒られることはなかった。
「助け合い苦難を凌ぐ。そうできる者同士の巡り合わせは貴重だ。よく、この経験を覚えておくといい」
窮地で裏切られることも、助けられることもあった曹家の祖父だからこその言葉だ。
ちなみに朱然のことは保留で縛られたまま連れて行かれている。
私たちの姿に疑問の目を向けていた。
子供ばかりが八人もいたら当たり前でしょうね。
「念のため従軍している医生に観てもらいなさい。しっかり休んでから合肥に移動だ。元譲がずいぶんとうるさかった。謝罪の言葉を考えつくまでいてもいいぞ」
曹家の祖父は冗談で言っているのでしょうけれど、その反面、自信が感じられた。
正面から戦っても負けない人数差がある上で、初戦と言える築城妨害は勝利。
続く砦の防衛も、撤退してはいるけれど名のある武将を捕縛しての実質勝利だ。
でもまだ負ける可能性はある。
私はそんな不安を覚えつつ、曹家の祖父との面会を終えた。
そうして案内されるため歩き始めたら、待ち受ける人影が見える。
「父上、母上まで?」
そこには、私の両親が揃ってた。
父は合肥のはずだし、それに戦なんて縁遠いはずの母までいるなんて。
「宝児! 無事でよかった」
「良いものですか! どれほど心配したことか!」
あ、お叱り一番乗りは私なのね。
それでも、口元が緩む。
両親がそろっている、心配して駆けつけてくれている。
そのことが嬉しいし、ようやく危機を脱したんだと肩の荷が下りた安心感が胸に湧いた。
「何を笑っているのですか」
母はお怒りだ。
でも気が抜けてなんだかぼんやりして来たわ。
「お二人が熱でもないのに揃っていらっしゃるのが嬉しくて」
言ってから、それはもう去年のことと思い直す。
去年の内もずいぶん一緒にいてくれたのに、このいいかたは失礼だったかもしれない。
そう思って父を見ると首を傾げていた。
「宝児、顔が赤くはないかい?」
「まさか…………!」
母が私を抱き寄せる。
そして額に手を当てられた。
母の手は冷たくて気持ちいい。
「熱があるわ!」
「た、大変だ!」
言われて自分で確かめようとしたけれど、そのまま母に抱えられてしまった。
曹家の祖父の言いつけで、すでに医生は呼ばれていて、行く先も一緒。
なのでみんなと一緒に移動をしているのだけれど、私だけ抱えられている。
(私より幼い小妹も小小もいるのに、気を抜くには早すぎたわ。でも、もう…………体が、重い…………)
そうして気を失うように眠りについた。
そんな私が枕を上げられたのは二日後。
非戦闘員としての天幕、女性限定で出入りが許された場所で寝かされていた。
「母上、外は雨でしょうか?」
「まぁ、宝児。冷えるかしら?」
「いえ、また水が増えるかと思っていました」
「長姫、このままお水が増えていれば呉軍は来ないでしょうか?」
一緒にいる小妹が、私たちの会話に疑問を投げかける。
私が持つ東の海の向こうの知識を探れば、そうでもない。
増水しても渡れる技術が呉軍にはある。
逆にこちらは荒波を越えられないので、攻めても決定打に欠けることになる。
「船は、あちらが得手のはずよ」
「そうですね。船を使った戦いには負け越しています。騎兵を使うならばこちらが強いのに」
母が頬に手を当てて口惜しそうだ。
たぶん張将軍のような機動力を発揮するのだろう。
今回朱然捕縛も騎兵による急襲で成し遂げたから、母の言葉は納得できる。
そして怒られないことに内心安堵した。
熱を出したことで怒っていた母の感情が心配へと比重を変えたせいだ。
それと、私が寝込んでいる間に元仲たちが今回無事に戻れたのは私のお蔭だと言ってくれたかららしい。
「戦いは、今どうなっているのでしょう?」
「呉軍は雨による増水で退いて、立て直しているようです。また雨が降っているので動きはなし。こちらは、父が動き始めたようですよ」
「おじいさまが?」
母は考えつつ、頬に沿えていた手を口にずらす。
言いすぎたと思ったようだ。
「お教えいただけませんか? わからない状況が、不安で」
「長姫は、砦でも聞いて一生懸命みんなを守ろうと必死に頑張っていました」
小妹が私を後押ししようと思ったらしく言うのだけれど、その言葉に母は悲しそうな顔をしてしまう。
そして私を撫でた。
「お願いだから安全にしていてちょうだい」
「けれど、こうしてここにいてしまうからには、対処を考えなければ逃げることもできません」
「そう、ね」
私の説得に、母は否定できず折れてくれる。
「私も子林に聞いたことですが」
父は毎日見舞いにやって来ていた。
時間が取れたり少し後方に近くなると顔を見せるので、一日に何度も。
この天幕は女性の専用なので寝かされたままの私は会えていないけれど。
それでも寒い天幕の外に母が出て対応してくれているのは知っている。
どうやらその時に、母も状況確認をしていたらしい。
「父が内部工作をしているそうなのです」
「はい、それは聞いて、あ…………」
「誰に、と聞く必要もないでしょうね」
出兵前に曹家の祖父の所へ行って聞きました。
そういう計画あることは、曹家の祖父本人が口にしていたことだ。
そうして東の海の向こうの知識を探れば、孫呉の領内で反乱するよう誘いをかけたことが見つかる。
どうやらその作戦が実行されているらしい。
「近く一万の蜂起が起こる予定です」
「一万? そんなに?」
「孫呉は文化を異にする民族や不服従の者も領内に抱えているのです。普段は伏して動きません。けれど機会があれば立つ者たちです」
私は改めてその蜂起に関する知識を探った。
出て来るのは陸遜、そして賀斉という武将が数千を倒して鎮圧するという結果。
さらには降伏した数千を兵として再利用し、この戦いに投入すること。
「鎮圧には誰が向かったのでしょう?」
「そこまでは聞いていませんよ。けれど呂子明がおらず、朱然という将も欠いたなら多くは差し向けられないはず」
母の考えを聞いて小妹が素直に疑問を口にする。
「では、鎮圧できる人が行きますか?」
「そうね、そうでしょう。そうなると無名の者ではないでしょうね。確か朱然という将は平定の実績があったとか。そう考えると上手く要人を前線から引きはがしたものね」
結果として曹家の祖父の助けになった状況に、母は苦笑いを浮かべた。
「これでは父があまり叱るなとおっしゃるのも無理もないわ」
どうやらおじいさまに、何か言われていたようだ。
雨で戦いのない日はそうして静かに過ごした。
翌日父やって来て、私は母に抱えられて顔を見せたら喜んでくれる。
「さ、もういいでしょう。また熱がぶり返したら大変です。もう中へ戻りますよ」
「そうか、良く休むんだよ。宝児」
「あの、父上。おじいさまの策で誰か前線を退きましたか?」
「あぁ、賀公苗と言ったかな? 鎮圧戦に実績のある武将が一人陣を払って移動したそうだ。それがどうかしたかい?」
その名は知識に出て来た。
陸遜と一緒に知識に出た賀斉の字だ。
けれど陸遜が出たとは父は言わなかった。
つまり、どういうわけかまた一つ、歴史が変わったらしい。
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