九話:飲んだ言葉
「あの聞きわけの良い子があれほど強情に言うだなんて」
「ごめんなさい」
家に帰って母が呆れたように言うので、私は謝るしかない。
私がきっかけで小妹がおねだりをして伯仁さまが諌めたけれど諦めなかった。
すると妙才さまのほうが面白がって了承し、小妹も南の戦地に行くことが決まったのだ。
(妻になんて言えばなんて言ってた伯仁さまの様子からして、きっとうちのような力関係よね)
曹家から嫁を貰っているので、心労を増やしたことは謝りたい。
「母上が戦地に行かれたくないのでしたら私だけが父上について行きますが?」
「なりません」
きっぱり反対された。
「戦地に赴くあの人が、あなたの世話を満足にできますか。夏侯のお義父さま方が了承されたのなら致し方ありません。わたくしも参ります」
「え、えぇ? 大丈夫かい?」
一緒に帰ってきていた父が、母の言葉に驚く。
「何がですか?」
「何がというか、えっと…………」
「はっきりおっしゃってください。わたくしはこれから南へ連れて行く使用人の選抜をしなければ。父上もずいぶんと転居を繰り返していましたから、年末かそれ以降の出征だとしても今から準備をしなければ間に合いません」
「あ、はい。なんでもないです。どうぞ」
段取りをすでに描いている母の言葉に、父は道を譲るように身を引いた。
確かに曹家の祖父も転戦した末にこの許昌に居を定めたものの、今も遠征を自ら行っておりここから北のほうの魏国にいることもある。
母も実は転居に慣れているようだ。
私は温めた居間とも言える正房で腰を落ち着けた。
毛皮は脱がせてもらったけど、まだ綿入りを着たまま。
それなのに父は火鉢を私の側に置き直す。
その心遣いはやはり良い父親だと思う。
「父上、我儘を申しました。申し訳ございません」
「いや、いいよ。宝児が私を思ってくれている気持ちはとても嬉しい」
本気でいう父は、あの厳めしい祖父の息子とは思えない温和さだ。
だからこそ戦いに向かないのだろう。
(創作の三国志演義でははっきりと無能扱いされるし、最後は国から逃げ出して帰らないとか酷い書かれ方をしてるけど、この父は私と母を置いていくことはないわね)
できれば私も父には格好良く戦功を立ててほしい。
後の創作で悪く描かれないようになってくれたらと思う。
けれど目の前で笑う父も、それはそれで良い父親だし嫌いじゃない。
「ただ葬儀のことは、母上にも謝ったほうがいい。君の死を最も厭っているのだから」
「はい。すみません」
あれは本当に失言だった。
私が近い将来大金がかかることと考えて一番に思いついてしまったことだ。
もっと嫁入りとか言い訳はあったのに、まったく浮かびもしない自分の枯れように笑うしかない。
(薬代とかでないのは、この世界にまだ抗生剤がないこと知ってたせいだけど、嘘でもそういうこと言っていれば誰も悲しまずに済んだかな?)
私は体が弱いし、そのせいで風邪で死にかける。
風邪薬なんてないから体力勝負だと、知識を得てから薬に頼るべきじゃないと思っていた。
「宝児、君は本当に賢い。けれどまだ世の中を良く知らない。そのためにまた誰かに言ってほしくない言葉を言ってしまうかもしれない。わからないこと、思うことがあれば私か母上に話してほしい」
しっかり目を見て話してくれる父には、やはり今のままでいてほしい。
「あの、でしたら一つ、父上にお聞きしたいことがあるのですが」
「なんだい?」
「どうしてお金を稼ぐ理由を話されないのですか?」
私の質問に父は目を泳がせる。
「おじいさまの前で反論もなさらない。あれだけ言われて言い返せないのに続けることがただの趣味嗜好だとは思えません」
母に弱いし、母を相手に引くことを当たり前にしている。
なのにお金のことを責められてもなじられてもやめないのだ。
そして祖父はもちろん、一族や世間からも冷たい評価をされているというのに。
そうとわかっていてやるのなら、もう何か目的があるとしか思えなかった。
「本当に、賢いなぁ。私の子供にはもったいない」
「私は父上と母上の子に生まれて嬉しゅうございます」
父は照れたように頬を掻いて、横を向く。
そのまま何処か遠くを見るような目をして話し出した。
「幼少の頃、戦続きだった。もちろん私だけじゃない。曹家だってそうだ。皆十を数えて馬駆ができるようになれば初陣をしていた」
少年が過ごすにはあまりに過酷な環境に聞こえる。
けれどただ一緒にいたいというささやかな家族への願いを叶えるには、そうするしかなかったんだろう。
それに戦いで生き残らなければ生きていけない時代だ。
早くに親が守れる中で初陣をする。それが一つの子育ての形。
「ただ父は、お前のおじいさまは特殊な立場にあった。不臣の礼で重んじられるが、年少の妙才さまのほうが戦功は上。それに片目を失くしてからは馬も危うくて乗れない。後方に自らが下がってそれでもなお重んじられる。それに、思うところはあったんだろう」
父の語る夏侯の祖父は苦悩を抱えていたようだ。
曹家の祖父を相手に軽口のように不臣の礼をやめろと言っていたけれど、それは紛れもない本心であり、悩みの種のように父は見ていたらしい。
「自らに与えられる褒賞はそのほとんどを部下に分け与えて手元に残そうとはしなかった。分不相応な扱いと周囲の批判を回避する手だったのかもしれないし、実際父はその行いを讃えられ重んじられた」
そう語る父の表情が暗くなる。
「けれど、家族は困窮するしかなかった。宝児の言うとおり、戦には金が必要だ。鎧や武器もそうだし、馬もそう。兵士を賄うためにも金がいる」
実感と共に吐き出される言葉には疲労さえ滲むようだ。
「重んじられるだけの体裁が必要だが、それを捻出するための褒賞を、父は家に持ち帰らなかった」
「それは、生活はどうしたのです?」
聞き返す私に、父は微かに笑った。
「母が、お前のおばあさまが、親類縁者に頭を下げて賄ってくれたんだよ」
「つまり、お金を借りて?」
「お金に限らないけど食べ物だとか、布だとか借りられる物はなんでもね」
家族だけという話では収まらない。
夏侯の祖父は曹家の祖父に近いことから、今や夏侯家の筆頭のような存在。
一族に頼られることもあり、使用人を抱えて身分に相応しい屋敷を維持する必要もある。
けれど夏侯の祖父はそれを維持するためのお金を家に入れなかった。
(それに子供も十人いることは珍しくもない。それだけの子供を養って、早くに自立させるにしても、結局は戦に出すはず)
そのためには夏侯の祖父に加えてさらに武器防具に馬や兵が必要になる。
女の子なら嫁入り道具を揃えて持参金を用意し、相手方に送り届けるための馬車や人員の準備も必要だ。
かかるお金を考えれば気が遠くなりそうなだし、碌でどれだけ賄えるか。
お金をかけて戦に送り込んでもらえる褒賞は喉から手が出るほど必要だっただろう。
「おじいさまに訴えたことは?」
お父さまは首を横に振った。
「聞く方ではないし、家を宰領する母が言わないのに子が口を出して泥を塗るわけにはいかない。それに父の立場や先陣に立てないことを思えば致し方ないやり方とも言える」
父は夏侯の祖父の行状に対しては諦めぎみだけれど、決意を持って私を見る。
「言えなかった、止められなかった。だからこそ、私は妻に母のようなことはさせられない。君たちにお金がなくて恥ずかしい思いはさせたくないんだ」
だから稼ぐし、無用な出費は嫌がる。
吝嗇と言われても恥ずかしいと言われても、商人の真似事で金を稼いで溜めるのが父の在り方だった。
そうして語られる父の思いを、私は決して卑しいとは思わないし、父の言わないという覚悟を否定することもできない。
確かに言えるのは、やはり父の娘で良かったということだけだった。
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