八十七話:新年のご挨拶
新年前に合肥に戻る予定が、居巣で疫病が起こったため、私たちは逗留を余儀なくされた。
しかも感染を警戒して、屋敷の奥に隔離状態だ。
病床の看護や戦準備と相まって、周囲は忙しい。
みだりに立ち歩くことも禁止された子供の私たちは、半ば放置状態で新年を迎えた。
「母から書簡と荷物が届いているわ。確かめてちょうだい」
「まぁ、新年のお召し物をご用意いただいていたなんて」
私が声をかけると、近くにいた小妹が書面を見て驚く。
そこには新年に衣服を新調する風習から、預かった子供の分も全部用意していたという内容が書かれていた。
そして必要物資は今も合肥から居巣へと送られてくる。
居巣を経由してさらに前線へと運ばれるはずが、その中に母からの書簡と荷物があり私の元へと届けられたのだ。
「どうやら許昌から送られて来たものもあるようだ」
その荷物を検めていた元仲が、区別するようにわざわざ曹家と書かれた板が差し挟んであるのを見つける。
たぶん母である甄夫人からの新年の衣服も、私の母が合わせて送ったのだろう。
大哥が小小をわざわざ呼んでいるのは司馬家からもあったらしい。
「しかしどうしたものか。新年と言っても方々はお忙しい」
「開戦が翌月にずれ込んだ今、まだ疫病も収束とは言えないしな」
我が家で用意した衣服を手に、困る奉小。
大兄も使いどころのない衣装を眺めて困った顔をするので、私は口を開いた。
「おじいさまに…………」
「いや、気まずいって」
言いかけたら阿栄に止められた。
しかも全員が頷いて私を見ている。
…………いえ、待って。
同じ祖父を持つ元仲はいいでしょう?
妙なところで曹家でも集まりに不参加の人見知りを発揮しないでちょうだい。
「あれ、書が入ってるよ」
小小が司馬家からだろう荷物の中から竹簡を取り出した。
「これは、伯父上宛だ」
確認した大哥が、さらに対処に困ったような顔をする。
どうやら新年の衣装は司馬朗という伯父上の分もあったようだ。
思えば疫病の対応で足止めされているのはあちらも同じ。
私は届いた新年に新調した服を見て頷いた。
「ちょうどいいじゃない。皆でご挨拶に参りましょう」
「皆というのは?」
「ここにいるみんなよ」
元仲に答えると反応はよろしくない。
「いいじゃない。おじいさまたちには気後れするのでしょう? けれどせっかく届けられたからには着なければ次に会った時なんと答えるつもり?」
私の指摘にそれぞれが視線を彷徨わせる。
正直帰る頃には新年から時が経って話題に上ることもないかもしれない。
けれど当の司馬家は送っただろう細君が気難しい方。
「そう、だな。着る機会は他にないし。どうせなら一度袖を通して済ませておけば」
「ふぅ、清河公主のご好意を無下にもできないか」
消極的に賛成する大哥に、私の母から衣服を用意された奉小も諦めるように言う。
その流れで、私たちは司馬朗さまに挨拶に向かうことが決定した。
身内である大哥から、荷物のことと新年の挨拶に他の同行者のことも伝えてもらい、お忙しい中時間をいただけることに。
「待たせたね」
司馬朗、字は伯達。
仲達さまの兄で、子供相手とはいえ新年の挨拶も兼ねるということで場を用意してくださった。
お仕事の合間で待たされても、文句は言えない。
私たちに合わせて一通り新年の礼を取った上で、もてなしの料理も用意してくれている。
「伯父上、もう食べないの?」
言い出したのは小小だった。
料理にほぼ手をつけない伯達さま。
私も気づいてはいたものの、忙しい方だからと納得したけれど。
(それにしては、血色はいいような…………あら、まさか?)
疲れているのだと思ったけれど、東の海の向こうの知識では疲れこそが大敵だと浮かんで来る。
「小小、伯達さまの手を握って自分よりも熱いか、冷たいかを教えてちょうだい」
「手? えっとね…………温かい? うーん?」
小小は素直にやってくれるし、幼い甥の行動に伯達さまもつき合ってくださる。
けれど私の指示には一度不思議そうな視線をくれた。
「うん、僕と同じくらいあったかいよ!」
「では熱がありますね」
私の言葉で皆伯達さまを見る。
けれど当人は何でもないように笑った。
「いやいや、なんともないとも。心配はいらない」
「この寒い時期に、常に体温の高い小小と同じくらいであるなら、それは熱が出始めている証拠では?」
「伯父上、食欲はございますか?」
大哥も心配して聞く。
「対応しなければいけないことが多く、忙しいだけでね。食事を一度抜くと次に食べる機会を逸してしまうんだ」
「では、昨日一昨日、どれほど眠られましたか? 食事はいつとられましたか?」
私の問いに伯達さまは詰まった。
思い出せないほどまともに食事もしていない上で、ほとんどとってもいない様子が窺える。
「司馬の、忙しいとは言えあなたまで倒れられては」
さすがに元仲も苦言を呈す。
「ご心配召されるな。私のやることなどさして大きな役割でもないのですよ」
「病人の看護を御自らなさっていると聞き及んでおります。それは床に臥せる者たちからすれば代えがたい慈愛でしょう」
奉小は訪ねるにあたって仕事の様子なんかを情報収集していたそうだ。
訪ねる相手のことを知っておくのは礼儀だと、荀家では教えるらしい。
つまり、伯達さまも疫病にかかっておかしくない状態の上で、食欲不振で熱がある。
ちょっと様子見のつもりが、まさかすでに病の兆候があるなんて。
(そうよ、確か戦の前に亡くなる。だったら今じゃない)
合肥からの移動や、居巣での疫病で失念していた。
初めての都外で色々思考が追いつかずにいた気がする。
けれどこうして目の前に、今も生きていらっしゃる伯達さまがいるのならば、やることは一つよ。
「お薬は届いているでしょうか?」
「あぁ、あるとも。長姫が人を動かしたと聞いている」
「お飲みになられましたか?」
「私よりも苦しむ者が優先だ」
「では、これから苦しまれるのですからお飲みください」
「いや、私よりも動けない者がいるからな」
うん、飲まないのはわかってた。
だって知識ではそう言う人だとあるのだもの。
なので私はにっこり笑って見せつつ、伯達さまを見据える。
「では、私はあなたさまが飲まれた後に薬を飲みましょう。たとえ、この後熱が出たとしても、飲まれたと聞くまでは薬を口にしません」
「ふーん、長姫がそう言うなら俺もそうする」
「…………長姫と阿栄がそういうなら」
「はい、では私も倣います」
夏侯家がすぐに応じて、私と同じく薬を飲まないと言い出す。
けれど何やら呆れたように、夏侯家の三人が私を見ているわ。
ただその反応を見て伯達さまもすぐさま先を読んだ。
「長姫が不調となり、薬を受けつけないとなれば、理由はすぐさま周知となる。となれば、私にお声がけがあるのは自明。であれば、この場で応諾することが最も易い解決である、か」
確かに私が倒れれば、祖父たちに報告があがり、原因を調べられる。
しかも夏侯家が揃って薬を拒否するとなればさらに話は広がり、結果として私たちを説得よりも伯達さま一人を頷かせる方が早いとなるだろう。
そうした手間を考え合わせた上で、伯達さまはその場で薬を飲み、私たちの分の薬も用意してくれたのだった。
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