八十三話:晒す情報
仲達さまは今回の軍事に際して、書簡を出していたと大哥が言う。
あて先は樊城。
しかもそこを守る主将の曹仁へ。
字は子孝さまで、曹家の祖父の配下でも頼もしい戦功を収めている方。
曹家の祖父の従弟で、将軍としてこの先も曹家のために戦われる方だけれど…………。
「何か個人的な関わりがあられただろうか?」
曹家の元仲が思い当たらない様子で首を捻る。
確かに子孝さまと仲達さまに、直接的な接点があるとは思えない。
「そもそも子桓叔父さまともそこまでないはずよね?」
疑問を呟く私に、同じく曹家の娘を母に持つ夏侯の大兄が頷いた。
「そもそも、同じ曹家とはいえ外様の扱いの方だからな」
大兄が言うとおり、血縁と関係性のややこしいところが子孝さまにはある。
そもそも曹家の祖父の祖父にあたる方の兄が、子孝さまの祖父だ。
つまり曹家としては本家にあたる血筋の直系である。
けれど人臣位を極めた高位は、曹家の祖父が勝ち取った。
ましてや曹家の祖父の父は夏侯家からの養子であり、つまり曹家の血筋としては、子孝さまのほうが正統だと言える。
それ故に魏王となった曹家の祖父を本家とする血筋からすれば、同じ曹家と言えど別の家、外様となり身内としては扱われない方だった。
「浅学で済まないが、夏侯の大兄たちのお母上も、確か外様の曹家ではなかったか?」
荀家の奉小が、外様というだけで曹子孝さまが別扱いをされることに疑問を呈す。
よほど深いつながりがないとわからないだろう。
それで言えば荀家と関わり深いのは曹家で、夏侯家ではない。
ましてや祖父の代の詳しい血筋はそうすっとは出てこないのもわかる。
「我が母と伯父上は、曹丞相閣下のご厚情により養育されました」
小妹がいうとおり、外様でも家に入れられた血筋の曹家という、子孝さまとはまた別枠の扱いなのだ。
母方の祖父が早くに死んだため、大兄と小妹の母とその兄は曹家の祖父に養育された。
しかも子桓叔父さまと同じように育てられたというのだから、扱いが完全に身内。
つまり血の繋がらない曹家だから外様というわけでもない。
曹子孝さまはその生まれと経歴から、曹家の中でも外様扱いなのだ。
「結局、交流の深くない相手に書簡送ってどうしようってんだ?」
曹家の元仲と仲がいいというだけの阿栄が話を戻す。
要点は曹家と言えど交流の深くない相手だということ。
そこにそもそも交流があるかも怪しい仲達さまが書簡を出した。
確かにその意図が問題だ。
「何を書き送ったかは?」
「たぶん、今回の子建さまの出陣に関して、動かないようにという内容だ」
私が聞くと大哥が答えた。
つまり、戦いにおいて子孝さまに戦場に出るなと言う書簡らしい。
子建叔父さまが孤立しているように見せかけて隙を作る。
その後に刺すと考えれば、あり得る指示ではあった。
けれど不思議なのは、なぜ仲達さまが命令でもなくそんな書簡を送ったかだ。
「…………おかしいな」
元仲が小さいけれど、確かな確信を含んだ声を漏らす。
見れば、考え込んでいた体勢から、大哥に目を向けていた。
「どうして書簡の内容を知れたんだ?」
「僕も知ってるよ」
無邪気な小小の言葉に、おかしさのわからなかった私たちも違和感を覚えた。
仲達さまから子孝さまへの書簡は、軍事的な動きだ。
その上で秘密として守られるはずの内容。
それを、年端もいかない小小まで聞き及んでいる。
「もしかして、わざと漏らされてる?」
私の問いに小小以外が否定できずに考え込む。
考えるのはそうしてどんな利益があるか、だろう。
「絶対わざとだよな?」
「小小にまで聞こえているならそうだと思う」
阿栄に奉小が答え、大兄が指を立ててみせた。
「つまり、聞かせたい誰かがいるのか」
「そうなると答えは簡単だ」
応じて頷く元仲に、大哥も神妙に答えた。
「あえて、敵に曹将軍が動かないと報せるため、ですね?」
「でも許昌でのことよ? どうやって?」
私が聞くと元仲と大哥から微笑まれる。
何かしら、その反応?
「間者が紛れていることが前提なんだ。人が多く集まるからこそ都には各地から間者が入り込んでいるんだよ」
「こちらも遠く離れた土地の武将や能吏の話を聞くことがあるだろう? それは人を送り込んでいるからだ」
元仲と大哥の説明に、言われてみれば情報は人伝いにしか広がらないという当たり前のことに意識が向く。
だったら人が出入りして見聞きしたものを、国許へ伝える間者が確かにいるんだろう。
許昌は皇帝が住む都で、人の出入りも多ければ住む者も多く、地方から出て来る見知らぬ者も当たり前にいる。
そうなると敵方の間者を止めるなんてこともできない。
「けど余計におかしくないか?」
阿栄が腕を組んで考え込んでいた。
「間者に報せるにしても、関わりのなかった司馬家が動く理由はなんだ?」
そう言われればそう。
だけどだからこそ見えるものもある。
「あぁ、目くらましを装って信憑性を高めているのね。しかも相手が仲達さまなら…………」
仲達さまが子桓叔父さまの側近なのは周知のこと。
その上で、親しくもない子孝さまに書簡を送った。
そうなると行動の裏に子桓叔父さまを怪しむのは当たり前だ。
その上で子孝さまの領分に行くのは子建叔父さま。
両者が揃えば事前情報がある者ほど継承権争いを想起するだろう。
つまり子建叔父さまを孤立させる動きがあると、裏を疑う。
(しかも相手が子孝さま。つまり曹家の中でも外様で、曹家のおじいさまに服従というわけではない方)
継承争いになっているのは、曹家の祖父が子建叔父さまを気に入っているため。
曹家の祖父を重視する臣下なら口は出せない。
けれど子孝さまは外様だからこそ、口が出せる立場でもある。
そう思える下地がある。
そしてそれをあえて利用する形を仲達さまか、子桓叔父さまが取ったのだろう。
「まぁ、そんな…………身内の争いなど…………」
「小妹、あくまでふりだ」
「なんだか難しいよぉ」
心配する小妹に、大兄が苦笑する。
その横で小小は欠伸をして頭を垂れた。
日も落ちて来ている今、幼い小小は興奮が抜ければ体力が続かないんでしょう。
明日も旅は続く。
そしてそれは二カ月にも及ぶ旅程だ。
ここで体力は温存するほうがいいだろう。
年少二人よりも体力ないかもしれないのは私だし。
「孤立を本当らしく装うなら、確かに隠すように他人を仲介したほうがそれらしいな」
「けれど実際は籠城の構えか。すでに挑発文も送っていると言うし、上手くいけば釣れそうだ」
大兄に奉小が頷くと、それに元仲と阿栄も乗る。
「関羽がそこを攻めたとしても、すぐには落ちない備えがあるのがいい的にも見えるだろう」
「呉からすれば攻めあぐねたところを後ろから襲うってことか」
「いや、もしかしたらもう一段策があるかもしれない。大都督は共通の敵として、曹丞相の脅威を謳った。その後継者の候補に上がるほどの方の打倒は共通の目的となる」
魯粛が関羽に協力して出て来る可能性もあると、大哥は言う。
けれどそれは子建叔父さまも危険ではないかしら。
実際には孤立はふりで、子桓叔父さまも備えているというし…………いえ、話を深めたいけれど、今は休む方が先決だわ。
「今日はお開きにしましょう。小小が本当に寝入る前に移動をしてほしいわ」
私の声で話し込みそうになっていた男の子たちが顔を上げる。
小妹に支えられて、小小はすでに船を漕いでいたのだった。
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