八十二話:移動開始
秋になって、南征のための本格移動が始まった。
将軍ともなれば家族と言わず一族も一緒に移動する。
けど下になると兵士単体で従軍するそうだ。
許昌では門の周辺で別れを惜しむ人々が大勢集まっていた。
見送るのは女や子供。
送られるのは誰かの父、兄や弟。
そんな中を、私は駕籠で移動して通り過ぎるばかり。
「なんだか私、荷物よりも邪魔ではない?」
今日の宿泊先である誰かの家で、役目を帯びて旅立つ人々を見た感想をそう漏らした。
東の海の向こうの知識にはホテルと呼ばれる宿泊施設がある。
宿の豪華なものらしいけれど、ここにそんな物必ずあるわけではない。
あっても広い板間があるだけで寝具さえないことが普通。
木賃宿と言うのだったかしら?
「俺たちも似たようなものだろう。今さら気にすることじゃないさ」
「それに自家で人手を雇ってのことですから」
夏侯の大兄と小妹が私の考えすぎだという。
二人は他人の家という場所を気にも留めていないらしい。
これは私があまり家を出ないことと、他所の知識があるせいかしら。
宿はその土地の上位者が自らの家を譲る形で貸し出される。
それが目上に対するもてなしでもあり、礼儀でもあるそうだ。
「まだ先は長い。疲れたようなら早い内に休むといい。慣れる必要があるだろう、小小も」
「僕まだ平気だよ!」
司馬の大哥と小小も一緒に行動をしている。
そして小小に至っては初めての都外で日がくれそうな今になってもまだ元気だ。
私たちは非戦闘員で、上の者の身内。
そして大人たちの思惑で、子供だけでまとめられている。
すると子供たちで寝る部屋を作ってしまえと一緒の家をあてがわれた。
もちろん男女は別にされてるけど、今は集まって話をしてる。
「それで、今回長姫の何が作戦変更の発端に? 詳しくはまだ聞いてないんだ」
「私がやらかした前提なの、奉小?」
「やらかしたって言ってる時点でわかってるだろ?」
荀家の奉小が落ち着いて話せる場と見て水を向けるんだけど、夏侯家の阿栄が余計なことを言う。
「…………今すぐどなたかにお声がけして、阿栄だけ送り返してもいいのよ?」
「ひどい!?」
本気で嫌がる阿栄に、大兄と小妹が身内のよしみで声をかける。
「大伯父上もいなんだから、長姫のご祖父が一番なんだ。脅しじゃないぞ」
「長姫はその話嫌いですね? どうして?」
「だって、私だけのせいじゃないのに。なぜだか私だけが話にのぼるのよ」
言ってしまえばここにいる奉小以外が共犯だと思う。
「個別に呼ばれたのが長姫だからということはあるだろう」
曹家の元仲が宥めるように言った。
一人だけ成人済みだけれど、年齢はそう離れていないし、父世代は同年代なのでなんとなく一緒に集まっている。
けれど隊を率いる身分だから部屋はさすがに子供の私たちとも別だ。
「まず奉小に、説明をするわね。というか、勘違いを正すわ」
この場の全員で、曹家の祖父の養子である元明に軍についての講義を受けたことからだ。
そこからいた者たちで話し合ってどう攻めるかと言う話をしている。
結果、分散侵攻と言われるような作戦を考えたのは、上流押さえれば優位が取れるという子供の浅知恵。
「けれどそう簡単な話しでもないそうで、色んな方にお話を聞いたわ」
私は仲達さまや夏侯の祖父から聞いた問題点を上げる。
そしてそこから何故か夏侯の祖父に子建叔父さまの家に連れて行かれたことを語った。
「まぁ、清河公主さまはお怒りではなかったの?」
「父と一緒に翌日怒られたわ」
「それは少し同情する」
小妹に答えたら大兄が首を横に振りつつ言う。
つまり今までは同情の余地がなかったと?
さらに話が巡り巡って子桓叔父さまに司馬家へ連れて行かれたところに話しは行きつく。
そうなるともう最初に私たちが話した作戦なんて跡形もない。
「うーん、挑発されて呂子明が動くかどうかが肝ということか」
「そうか? まず関羽に攻められて耐えるほうが大事だろ」
「こうして予定どおり移動なら、目途が立ったと思うべきかも知れない」
大兄の考えに阿栄が別の問題を上げると、奉小が大人たちの動きから想像する。
「ねぇ、どれくらいかかるの?」
小小の抽象的過ぎる質問に、そこは兄の大哥が答えた。
「行程で言えば二カ月かけて合肥へ向かう。さらに前線への移動でひと月くらいだ」
大哥が目顔で確認すると、元仲が応じる。
「居巣で兵を整えて、問題なければ南下して濡須口へ兵を移動させる。ただ私たちは基本的に合肥での滞在となる」
私の知識では濡須口の戦いの始まりは二月と出て来る。
たぶん本来は、言うとおり今から三カ月ほどをかけて侵攻の準備をするんだろう。
けれど居巣で問題が起きるそうだ。
兵士たちの間に疫病が流行ると東の海の向こうの知識にはある。
だから歴史では、さらにひと月遅れての侵攻になっていた。
「大哥、小小。司馬家は、どなたがいらしているのかしら?」
私は答えを知っていて、確認する。
「父は子桓さまのお側でお勤めだ。ただ伯父上が前線へ赴かれる」
「伯父上ね、長姫のおじいさまの下で務めるって言ってた」
そこもやはり知識どおりで、できれば違ってほしかった。
けれどそしてそうなると二人の伯父である司馬朗は、居巣で起きる疫病で亡くなる可能性が出て来る。
人格者であったために、手ずから兵士を見舞い病を得て亡くなるという方だ。
「では、ご挨拶をしなければ。元仲、予定の内で調整はできるかしら?」
「河南尹へのご挨拶の予定がある。その時にお時間いただけるようお願いしよう」
一応居巣まで行くことは許可を取りつけてあった。
そこから濡須口まで無理だったけど、合肥で待機のはずの夏侯の祖父が、面白がって居巣まで一緒に行ってくれるという。
それはそれでどうかと思うけれど、夏侯の祖父としても交戦前なら様子を見たいという武将としての意識があるのかもしれない。
私としては司馬朗という伯父が死ぬことで、仲達さまが司馬家の代表的な地位に昇った後が気にかかっている。
もしそこに、人格者で内政手腕のある兄が健在であれば?
(もしかしたら、将来の争いがなくなるかもしれないじゃない)
仲達さまは後に、曹家の皇帝を廃して新たに即位させる。
その後は曹家の力が弱まり、小小の息子の代になって帝位を追われることになっていた。
(つまり、仲達さまが政治闘争で追い詰められなければ、司馬家が曹家の皇帝を挿げ替えるような政変も必要なくなるはず)
人望があるという司馬朗が生き残れば、司馬家は曹家の輔弼でいてくれるのではないか。
(何よりここで死を回避できるなら、その可能性を試したい)
この知識があることで死の回避が可能であれば、もしかしたら祖父たちの死も…………。
けれどたぶん病死なのよね。
だから悪化しないように?
そのためにはと考えれば、知識にストレスという言葉が出て来る。
つまりは気を揉む状態がないようにすべき。
(死の直前に妙才さまの死、そして関羽の死による情勢の変化。それがなければ)
私が考えていると、すぐ側で同じ名前が聞こえた。
「関羽を倒すためには樊城の曹将軍が動いたほうがいいんじゃないか?」
「確かにどうして呉軍を率いれる必要があるんだろうな?」
「関羽倒して疲弊してるところを狙えば、荊州取れるからだろ」
大兄と奉小が話し合っているところに、阿栄が当たり前のように意見を挟む。
その先読みは、けっこういい変化ではないかしら?
「そうか、そうすると曹将軍が動かないふりをしないと、呉も警戒して動かない」
「あぁ、だから父はあんな書簡を樊城へ…………」
成人しているとはいえ、作戦の全容までは知らないらしい元仲の言葉に、大哥が呟く。
それに私たちも反応すれば、視線を集めた大哥は知らないふりをした。
誰もじっと待つ中、小妹と小小はたぶん周囲に合わせているだけで、楽しそうに見てるだけだけど。
圧に負けて大哥は息を吐く。
話し出すのは、策謀家としての仲達さまの一手だった。
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