八十一話:南へ
秋を前に各家は大わらわ。
許昌の都を離れて南へ向かうためだ。
そして放置される子供たち。
親の仕事を邪魔するわけにはいかないのだから、そこで文句を言う者もいない。
我が家も例外ではなく、母たち女手も家の片づけに精を出している。
うちの母はお姫さまである公主だから直接掃除なんかしない。
けれど何を何処へという指示と確認は全て母がするので、やっぱり忙しい。
「慌ただしくてごめんなさい」
「いや、逆に俺たちのほうだともっと大勢が動いているからな」
我が家の客間で夏侯の大兄が言えば、同じ夏侯家の小妹と阿栄も頷いている。
「長姫のおうちは静かなほうだと思うわ。こうして座っていられるもの」
「俺らのほうは兄弟も多いし、任地について行ってない女子供がまとまってる分、ばたばたしてる」
家一つに対して、基本数世帯が同居している。
東の海の向こうの知識にある核家族なんて言葉もない。
それどころか四代同堂という四世代が同居することが理想という考えもあり、我が家が珍しいくらいだ。
だから大兄たちはおうちを手伝うべきなのだけれど、今日はちょっとお知らせがあって集めたのよ。
その中には司馬家の大哥と小小もいる。
「…………父上は、ここ数日お戻りにならないほどで」
「伯父上がね、大変だからってお手伝いしてくれてるの」
そう言えば、我が家と同じで次男の家、そして同居家族なしね。
申し訳ないと私が言おうとすると、大哥は首を横にふる。
「今回当初の作戦が大きく変わったのはもう我々の手から離れた後だ。この状況も長姫が責任を感じる必要はない」
「いったい何があったんだ? どうやら作戦が大きく変わるというのは兄から聞いてるが」
そう聞くのは荀家の奉小。
なんだかんだ手紙をやりとりするようになっていて、南征にも同行することになっている。
家長である荀家長男からは許可が下りているそうだ。
そしてこの名前もない子供の集まりの中で、唯一成人の証として名前のある元仲が口を開いた。
「私の率いる隊が、未成年者たちの監督として同行ということになった。その説明のためにこうして長姫には場を設けてもらっている」
「同行って、家ごとにじゃなくて?」
一番に聞くのは親しい間柄の阿栄。
親の監督の元、子供は移動するのだけれど、ただここに集まった中には親がいないまま同行する者もいる。
家長がいない状態でも、同じ名の家の者が面倒みる形を取ることは珍しくない。
さらには私が南征へ共に行くと強弁したから、小妹まで言い出した事実がある。
じゃあ一緒にと、同じ夏侯家の我が家で大兄と小妹を引き受ける形になるのは自然の成り行きの内。
ただそこに、阿栄も乗って来てからちょっと流れが変わった。
「まず、荀家の奉小には作戦変更の経緯を話したほうがよろしいかと」
話を主導するようだった元仲に、大哥が声をかけた。
どうやら事前に打ち合わせがあったようだ。
今までは交流なんてない様子だったのに。
というかそもそも元仲が親戚内でも交流が希薄なほうだ。
それなのにいつの間に?
「つまり、ここで話した内容が作戦に採用された?」
「方向性を採用されたと言ったほうがいいと思うわ。後は聞いた方々が各々の判断と才覚で。私たちが話し合ったものとはもう違う形よ」
驚く奉小だけれど、私たちの考えに関羽なんていなかったもの。
血縁の関係で連れ回され、当事者となってしまった私も説明に回る。
初めて聞く大兄と小妹も驚くけれど、教えてほしかったと言わんばかりに私を見ていた。
そうしてそれぞれで話始めようとするのを、元仲が止める。
「もうこの顔ぶれの半数が固まっているなら、また何か面白い話が出るかも知れない。その際に伝達は早いほうがということになったらしい」
「…………何処で誰が?」
私が聞くと、元仲は大哥と目を見交わす。
つまり、子桓叔父さまと仲達さまの間なのね。
けれど軍の動きとして採用しているなら、すでに話は曹家の祖父にも伝わっているのでしょう。
「元仲は子桓さまの元にいなくていいのか?」
こちらのやり取りなんて気にしない阿栄に、大兄も元仲の配置を気にする。
「確かに。お父上の下で学ぶべき時のはず…………」
「いや、深読みをする必要はない。これも役目の一つだ」
けれど当の元仲は、なんでもない風に言って見せた。
「あら、でも元仲さまの妹君は?」
小妹が気にするのはこの場にいない元仲の妹。
血縁や年齢の近さで纏められるとなれば、妹君もいておかしくはない。
言われて私も思い出せば、元仲がそもそもの勘違いを正す。
「母と共にこちらに残る。学問を続けるならこの許都が良いだろうということでな」
「すごく偉いね」
小小は素直に感心するけれど、大哥はすぐに弟の口を塞ぐ。
将来つかえる者の娘か妹であることを思えば、大哥の対応も致し方ない。
ただ私には、父親である子桓叔父さまの気を引きたい子供らしい気持ちが見えている。
そして元仲は未だに苦手意識で、子桓叔父さまを避けてしまっているのも見えていた。
自分が子桓叔父さまの子ではない可能性を捨てきれずに嫌う方向で距離を取ったけれど、妹君のことで子桓叔父さまが近づいてきている。
それでまだ対応を決めきれずにいるのよね。
(ずっと悩んでいたならその分踏ん切りもつかないのかしら? こればっかりは、私が考えたこともない悩みだから…………)
ただ素直な小妹や小小を見る元仲の目は、何処か羨ましげに見える。
たぶんすぐに子桓叔父さまに近づこうと選択した妹君にも同じような目を向けるのではないかしら。
だったら少しは気持ちの変化もあるといいのだけれど。
「それでは、動きの説明をしよう」
私と目が合った途端、元仲が話を変えるようにいった。
そんなあからさまな顔してたかしら?
でもやっぱり親戚の家族仲が微妙だと気になるし。
何より歴史で見れば尾を引くとわかってるから、苦手意識は克服してもらいたいわ。
「あくまで、隊として移動を許可される。好き勝手に移動していいわけではない」
「それはもちろんですが、後方にいるばかりではないと?」
「え、本当か? 何処まで見に行っていいんだろう?」
大兄と阿栄の疑問には、事前に聞かされていたらしい大哥が答えた。
「拠点の街を移動するだけなら確実にできる。もちろん指揮官の指示には従う形にはなるが」
戦地は濡須口で、そこを奪うために軍を進める。
そして前線拠点は居巣、後方拠点は合肥。
さらに中継地点があるけれど、そちらは子桓叔父さまがいるはずで、きっとそこで荊州の動きも中継するのでしょう。
「私たち、合肥から居巣まで行けるの? 濡須口は見られるかしら?」
「本当に言うんだな」
「長姫…………」
何故元仲と大哥がそんな反応をするの?
二人の様子を見て奉小が首を傾げた。
「もしかして、長姫が濡須口、最前線まで行きたいというかもしれないから、隊をつけて止めるように言われていた?」
「え、私のせい?」
待って、みんなして納得の顔しないで。
「言ってはみるけれど、本当にできるとは思ってないわ」
「長姫、言ってしまう時点でもう周囲をその気にさせてしまうのではない?」
「長姫が行くなら僕も行くよ」
小妹の言葉を肯定するように、小小が元気に手を挙げた。
そんな小妹に大兄は頷き、小小は大哥がまた口を塞いで手を降ろさせる。
「ともかく、指揮下に入る形での移動になる。故にどなたの元へ行くかをきちんと決めておかなければ、ご迷惑がかかる」
元仲が今日集めた理由をようやく告げるので、私も咳払いをして今度は真面目に第一に気にかけるべき名を上げる。
「曹家のおじいさまへのご挨拶は?」
「一番にそこを上げられるのがやっぱり長姫だよな」
阿栄に笑われ、言い返そうとしたけれど、全員が頷いていて言えない。
どうやら逆に憚るべき相手すぎて、会えるとも思わない方だったようだ。
言い返そうにも、今日は同じ孫の立場の元仲もいて何も言えなくなってしまった。
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