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八十話:沈毅の人

 司馬家で、私は安堵と疲労の息を吐いた。

 ちなみに子桓叔父さまはいらっしゃらないわ。


「何故なのかしら? 子桓叔父さまはいつもあんな風なの?」

「父がいうには相当腰が軽いそうだとは聞いてる」


 私の愚痴めいた言葉を拾って、大哥が教えてくれる。

 だからと言って私を置いて行かないでほしいわ。

 しかも代わりと言わんばかりに仲達さまを連れて行った。


 いったい何をするつもりかしら?


「夏侯家には迎えを頼んだ。もう少し待ってくれ、長姫」


 大哥は私の相手として残されている。

 小小が遊んでほしくて一度きたけれど、話があると言って大哥に追い返されていた。


 私も情報を整理したいから、落ち着いた大哥と離せるのは好都合ではある。


「どなたのところへ赴かれたか、心当たりはあるかしら?」

「長姫に心当たりはないのか。そうなるとこちらも思い浮かぶのは、辛家か曹家のどなたかくらいになる」


 辛家はきっと辛毗という方のところね。

 仲達さまと同じくらい信用される子桓叔父さまの謀臣だ。


 さっきまでの話を考えると、子桓叔父さまは前向きに検討していた。

 同じく前向きな曹家の祖父のところに行くことも確かに考えられる。

 夏侯の祖父も前向きだけれど、子桓叔父さまと仲達さまの言動を思えばたぶんないでしょう。


「国の利益となると、子建叔父さまの策を後押しなさると考えていいもの?」

「そうではないかな。正直、内々での話がここまで大きくなるとは思わなかった」


 大哥も予想外なくらい、本当に子供同士で考えた作戦でしかなかったのよね。

 私は共感して大きく頷いておく。


「もう今さら私たちが口を挟むところではないわ。けれど上手くいってほしいわね」

「そうだな、勝つことを思えば上手くいってくれなければ困る」

「いいえ、負けてもいいわ」

「え?」


 予想外らしく、大哥は素直に驚いた様子で私を見た。

 けれどこれは私の変わらない指針だ。


「私は戦場に出て誰かをお助けするなんてことはできないもの。だからできるだけ傷は少なく、生きて帰ってきてくださるよう願っているわ。そのために頭を悩ませるのであって、戦の勝敗は二の次よ」

「それは勝つことじゃないのかな?」

「負けても生きて帰ればいいわ。だって、勝つまで戦うことができるじゃない」


 世の中そんなに甘くはない。

 それは東の海の向こうの知識を見ればわかるけれど、戦って助けることができない私が望める最上の結果はそんなところ。


「連戦連勝なんてありえない。それでも今日まで生きていらした曹家のおじいさまを思えば、無理ではないはずでしょう?」

「確かに、目の前の勝ちだけに拘るのも違うのか」


 ふと知識が開いて、浮かぶのは大哥の将来である司馬師のこと。

 司馬師は父の跡を継ぐも、傷が元で死んでしまうという。

 病気の対処のための傷だそうだけれど、戦場で奇襲を受けた際の興奮で悪化。

 激痛を堪え戦闘を続行したところ、命を蝕むほどに深刻化して亡くなる。

 その一連の死の状況から、怒りで傷が悪化しての憤死として創作されることもあるそうだ。


「…………大哥も気をつけてね。一時負けても、生きていれば次があるわ」

「確かに将来、この身は戦場に立つだろう。その時には、曹丞相を手本に男子の本懐を成し遂げられるよう努めよう」

「えぇ、真似できるところは真似て吸収すればいいわ。あぁ、けれど…………」


 思いついてちょっと言葉に迷うと、促すように大哥が見て来る。

 目が合ったからには言わないわけにもいかない。


「その、子桓叔父さまの腰の軽さは、あまり真似てほしくないわ。国益を思って動かれることを否定はしないのだけれど、ね?」


 言葉を選ぶと、今度は大哥から共感の籠った頷きを返された。


「あの方の良さはいくらでもある。ただ、悪癖があることもわかってる。そこは見て来たから…………」


 遠くを見る大哥。

 いったいどれだけ仲達さまが巻き込まれたというのかしら。

 私も今回、前回と巻き込まれてこちらにお邪魔しているから他人ごとではないわ。


「どうして皆私を抱えようとするの? 確かに小さいけれど、最近は起きている時間のほうが長いのに」

「寝付いていた時間のほうがまだまだ長いんだ。心配されているんだよ。それに…………」


 大哥は突然私の手を取る。


「やっぱり冷えてる。長姫、普通人は動いたりすると血が通って熱くなる。けれど長姫は疲れると冷えるんだ」

「そう、なのかしら?」


 突然触れるものだから、びっくりした。


 私が詰まったことで大哥は訝しげにこちらを見る。

 そして手を握ってることに気づいて慌てて離した。


「す、すまない! 小小にするみたいに、いや、そうじゃなくて、無礼を働いたのは確かで言い訳をするつもりは…………!」


 慌てようにいっそ私は笑う。


「いいえ、いいわ。私を心配してくれたのでしょう? 謝らないで。あまり物事に動じないと思っていたけれど、そうでもないのね」


 大哥は調子を取り戻そうと居住まいを正す。

 けれど慌てた名残が眉間に残っていた。


「冷静に物事を見極めるには、感情に左右されないようにと自制しているんだ」


 言って大哥は私を見る。


「できれば、長姫のような沈毅さが欲しいから」

「私? まさか、予想外のことには動じてばかりよ」


 信じられないような表情をされるのは、たぶん子桓叔父さま相手の対応よね。

 あれは慣れよ。


「そうかい? 戸惑いは確かにあるが、言うことは言うだろう」

「言いたいから言うだけよ?」


 お互いに首を傾げる。

 何処かで認識がずれてるのはわかるけれど、なんと言えばいいのかしら。


「私は大哥のほうが沈毅だと思うわ」

「いや、心がけてはいるが、まだまだ。先ほどの話ももう少し言えることがあったはずだ」

「あれは黙っていて正解。というか私が巻き込んだんじゃない」

「そう、巻き込まれただけで黙っていた。これではいけない」


 大哥なりに現状の問題を見据えての言葉らしい。

 確かに上からの命令で諾々と従い、そのままだんまりだなんて将来を考えると危うい。

 というか、今の時点でそういう考えがそもそもすごいと思う。


(いえ、もう数年で成人の可能性があるのよ。そうなると兵を率いる立場になるのは自明で、今から考えて遅いなんてことはないんだわ)


 阿栄がそうだ。

 知識でも成人直後に出兵し、そして戦死する。


 今回南に行くことが歴史どおりかはわからない。

 けれど少しは学んで思いとどまってほしい気持ちがある。

 というか、大哥がしっかりしすぎなのか、阿栄が浮かれ過ぎなのか。


「では、大哥はどうすべきだと思う? すでに上の方々が、いえ、子桓叔父さまは今から動くのでしょうけれど。ともかくすでに動いていることに打てる手がある?」

「たぶん子桓さまは後押しをされるんだろう。もしくは失敗した時の助力か。今さらだが、作戦の概要は知っているのか?」

「私も聞きかじりだけれど」


 話すのは本当に色々聞いた話を統合してのこと。


 子建叔父さまは関羽を釣りだし、餌にして魯粛も釣りだそうとしていた。

 そうして孫呉と劉蜀を争わせるのが目的。

 けれどそこに、魯粛は釣られないという疑義を呈したことで、曹家の祖父にまで話が及んでいる。

 宣戦布告の挑発については、仲達さまは関羽でも魯粛でもなく、呂子明を釣りだすためだとおっしゃった。

 そして呂子明であれば必ず関羽の後背を突くと考えている様子。


「関羽との争いを本当だと見せなければ、呂子明が戦場を変えることはしないだろう」

「では、曹子孝将軍を主軸とするのかしら。そちらを本隊として誤認させるために、子建叔父さまはあえて手薄にもする?」

「うん、そう思う。問題は、たぶん未だに曹子孝将軍に作戦の報せが届いておらず、連携不足が予測されることか」


 それじゃ駄目なのに、他に手は…………いえ、籠城として備えるなら大丈夫?

 だったら手薄に見せかけるだけかもしれない。


 私は気づけばじっと考え込んでいた。


「やはり長姫こそが沈毅の人だ。望まない状況でも、そうして自らの知に働きかけて手段を模索する。静かで、強い心根を持っているからこそだろう」


 大哥は私を見つめてそんなことを言う。


「こうして話せるのはいいな。伴侶にはそうであってほしい」


 悲しそうに大哥の目が揺らぐのは、自身の両親を思ったのかもしれなかった。


週一更新

次回:南へ

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― 新着の感想 ―
[良い点] いい方向に向かってはいるが、呂蒙、関羽というこの時代でも傑物と言われる人物相手にどのような、戦いをするのか楽しみです。 長姫ちゃん戦場出れないから話聞くだけだろうけど。 [気になる点] …
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