八話:悪い前例
「孟徳にも子林にも可愛げがあるのに、何故俺に怒る? 孝徳で言えば俺も敬われるべきだろう?」
何故か夏侯の祖父のほうが不服そうに私を抱えている。
「私の好きな父を、曹家のおじいさまは悪くおっしゃいません。敬わないわけではないですが、それとこれとは違います」
「むぅ」
夏侯の祖父まだ不服げに唸ると、父を見た。
「しかしな、これが子廉のようになってはいかんだろう」
夏侯の祖父が上げるのは、名を曹洪、字を子廉という父と同年代の曹氏だ。
東の海の向こうの知識を探ればさらに情報が出て来る。
曹操旗揚げから戦功をあげる重臣にして、金儲けに目がない吝嗇家としても有名な方。
「戦功では劣っているのに悪いところだけ同じでは後々お前も恥をかくぞ」
「元譲の息子たちって大人しいから、戦場に出ても手堅いばっかりで功は上げないもんな」
正鵠を射たらしい妙才さまに夏侯の祖父は渋い顔だ。
父も心当たりがあるらしく視線が泳ぐ。
(お金に貪欲で悪評のある前例がいるのね。その方は戦功という実績があるだけ素行が悪くても目こぼしされる。けれど父にはそれもないからより悪いと)
それが世間の評価なのだろう。
私が黙ると夏侯の祖父は膝に抱え直す。
「子建のように戦功とは違う才があればまだいいんだがな」
後に不遇をかこつ曹家の祖父三男をあげてそんなことまで言う。
名高い文化人で曹家の祖父も可愛がってるけれど常識にとらわれない方だ。
実は曹丞相の息子でなければ殺されてもおかしくない掟破りをしてしまっているちょっと破天荒な人でもある。
(皇帝のための道を使うなんて、本来なら。いえ、その皇帝もすでに権威がなくなっているために見逃されたということもある?)
東の海の向こうの知識では、さすがに犯罪的な常識破りであったために、曹植を愛顧する曹操もひどく叱りつけたそうだ。
けれどそれで名声が落ちたなんてことはなく、後継者候補として未だ存在している。
それは当世の文化人という権威があるからだ。
(どうしてそうして比較することで父を貶していると気づいてくれないの? いい父親であることが評価されないなんて、大人って難しい)
私が世の中の怪奇を思っていると夏侯の祖父がまた愚痴を言い始める。
「うちのはどうも戦向きではないが、何故七人もいて全員がそうなのだ?」
息子七人いて全員が戦功を求める性格ではない。
確かに会ったことのある伯父や叔父たちは落ち着きはあるけれど前に行くような気質ではないし、強く求めるような気性の荒さもない。
(というか、今現在も機嫌の悪い夏侯の祖父に近づかないし)
小言を言われるのが嫌なのはわかるけど、部屋の隅にいるのを見ると情けなさは感じる。
祖父の愚痴も少しはしょうがないのかもしれない。
だからって何もできないわけではなく、知識層としては中間だ。
極めて良いとは言われないけれど、駄目すぎることもないため必要な人材。
ただ決して目立つことのない人たちでもある。
(確かにどうして夏侯の祖父の子がと言うのはあるかしら)
私としてはいい感じに祖父の怖い部分がなくなってると思うけれど。
「うちはうちで元気すぎてすぐ喧嘩するぞ。それにまだ早いってのに戦場連れて行けってうるさくてな」
「むぅ」
夏侯の祖父が妙才さまの自慢に唸る。
夏侯の祖父が父や自身の息子が駄目だと思うのは、この妙才さまの自慢があるせいな気もする。
そんな私の視線に気づいた妙才さまが言い訳を探すように指を振った。
「あぁ、そうそう。ほら、孟徳さまの孫も大人しいらしいし。そういうこともあるんじゃね?」
「子桓の息子か。だが、お前のところの元気な息子を側に寄せているだろう。初陣すれば、子桓のように軍略方面に才を出すかもしれん」
自分で言ってまた顔が渋くなる夏侯の祖父だ。
確かに父は武将としても軍師としても戦場では目立たないし、政治家としてもあくどいことはしないので大成もしない。
(娘としてはそれで、うん?)
東の海の向こうの知識が閃く。
それは妙才さまの息子である夏侯栄、字は幼権、十歳について。
私と同年代で勇ましい元気さは同じく同年代の大兄と比べても元気すぎるくらいで知っている。
きっと戦場へと言ってるのはその幼権だ。
字をもらう予定が立ち、大人の仲間入りだとはしゃいでいたのは私も見た。
(ちょっと待って、この知識、どうして幼権の名が? 歴史に名を遺すことを、したのが、定軍山?)
私は硬直してしまった。
幼権は妙才さまが亡くなる定軍山の戦いに同行する。
そして父である妙才さまの戦死を受けて後を追い討ち死に。その年齢、十三歳。
(小妹より若くして死ぬ身内がいたぁ!)
私は呻きそうになるのを堪える。
もうこうなると、父が戦場に行くのも怖い。
たぶん夏侯の祖父や妙才さまより長生きだし、子桓叔父さまよりも長生きだ。
けれどいつ死ぬか、何が原因で死ぬかわからないし、元気でいてくれる保証がない。
そういう時代だ。
「…………次の戦争には、父上もいかれるのですか?」
私は夏侯の祖父の膝の上から父に聞く。
「あぁ、そうなるだろう。けれど宝児は長い移動は辛いだろうからこの許都に」
「いえ、行きます。連れて行ってください。父上と離れたくないです」
力強くお願いすると、父はびっくりして目を瞠る。
夏侯の祖父や妙才さまも不思議そうに私を覗き込んだ。
「今度はなんだ?」
「お、子林の長姫は戦場に興味があるのか?」
そんなわけないです。
けれど気づいたのだ。
父がいつ浮気をするかもわからないことに。
(夏侯の祖父も言ったとおり、弱い私がいれば母と残っても当然と受け入れられる。つまり父は一人。その間に浮気を覚えるかもしれない)
妾は合法だけれど人との結びつきも強い世の中。
つまり妾を迎えるには正妻の許しが必要だ。
ところが我が家は母のほうが強い。性格に留まらず身分的にも地位的にも。
そう簡単に妾や第二夫人なんて許さないだろう。
そしてのちに母と別居した状態で父は妾を囲って完全決裂する。
その端緒が何処にあるかわかったものではない。
(幼権の死の端緒は今。だったら父の浮気の端緒が次の戦で一人離れることであってもおかしくはない)
私の突然の申し出に父は困っている。
「急にどうしたんだい? 今までそんなこと言っていなかっただろう?」
「その、私、父上が、心配で。け、怪我をなさったら、それで熱が出たら? 私が熱のある時には父上と母上がいてくださいました。けれどお一人なんて…………」
さすがに浮気を疑ってるなんて言えないけれど、一人にするのが心配なのも本当。
私はこの優しい父に魔が差さないでほしい。
そのために私は言葉を絞り出す。
「いいなぁ」
何故か父が何か言う前に妙才さまが呟く。
「俺も娘にそういうおねだりされてみたいなぁ。やっぱり女の子はこういう心遣いっていうか可愛げがあるよなぁ」
妙才さまが微笑ましそうに言うと、父の頬が緩んで照れ始める。
祖父は難しい顔のまま父と妙才さまを見比べていた。
そんな中、妙才さまの言葉に反応した者がいる。
それは思わぬ方向からだった。
「お父上、私も離れたくありません!」
小妹が父である夏侯尚に抱きつく。
顔を赤くして慣れないことをする羞恥を覚えているようだけれど、その小さな手は父親を掴んで放そうとはしなかった。
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