表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
77/137

七十七話:名と得

 私は何故か丁正礼の屋敷に連行されてしまった。

 母に惚れた弱みのある正礼どのは突然の訪問にも対応してくださっている。


 もちろんこんな機会、私では作れないため乗りますけどね。


「子建叔父さまが心配なのです。本当に関羽を狙って魯粛は動くのでしょうか?」

「ちょっと待ってくれ。子建さまは長姫にそこまで話したのか?」


 どうやら近しい正礼どのも作戦があることは聞いていた。

 そして私が夏侯の祖父と会いに行ったことも聞こえているだろう。

 けれど何処まで明かしたかということは、さすがに昨日の今日では聞いていなかったようだ。


 これは素直になってもらうためにも偽りなくお答えすべきかしら。


「はい、夏侯のおじいさまが本当に関羽を倒せる秘策があるなら協力もするとおっしゃったために」

「何…………?」


 途端に真剣みを帯びる正礼どのの声。

 けれどそこは子建叔父さまも、協力を取り付けるのは無理だと判断した。

 だって夏侯の祖父は曹家の祖父第一で、今回のことに手は貸すけれどそれだけ。

 言葉にしなくとも、味方にはならない姿勢が如実なのだもの。


 けれど夏侯の祖父を前にしていない正礼どのは欲につられたようだ。


「関羽と魯粛は先年諍いを起こしたことは知っているか?」

「はい、聞きました。けれど魯粛という方は裏切りはしないという話になったのです」

「それは夏侯子林が?」


 私は母を窺うけれど、母は知らないふり。

 言いたくない様子。

 だったら、明言は避けましょう。


「はい、父と話している中で出た話です」


 返答すると母は私を見て、視線をあらぬ方向に彷徨わせて考える。

 そして正礼どのに何げない風を装って相槌を打ってみせた。


「えぇ、そう。長姫は、子林はもちろん戦場に向かう方々を心配して、よく戦いについて聞くようになったの。けれどやはり刺激が強すぎるのか、心配ばかりが募ってしまうようで。子林もお父上をお呼びになって長姫の不安解消を計ったのだけれど、結局はまた不安の種になってしまったようよ。だからあなたなら、もっと安心材料をくれるかと期待をしているの」


 母は横目に正礼どのを見る。

 頼られたという状況も相まって、正礼どのはさらに前向きになったのが顔を見てわかった。


 母も嘘は言ってないけれど、誰が何を言ったかも言っていないわ。

 もしかして、私が濁したのを母も真似て?

 いえ、それだけ言えるならいっそ応用ね。

 父が口で負かされることが多いとは思っていたけれど、実は母の口が上手いのかも知れないわ。

 …………どうしてその口の上手さを父相手に使えないのかしら?


「荊州の状況は孫呉にとって悩みの種だ」


 正礼どのは私が知らないと思ってか丁寧に説明してくれた。


「今こちらは西での戦いに勝利しており、劉蜀の動きは鈍い。ましてや我々が濡須口に軍を進める動きは孫呉からも見えている」


 状況として、荊州に子建叔父さまが行けば、それは本隊ではないことが即座に知れる。

 だからこそ危機感は薄く、劉蜀側からも関羽に援軍は来ないと見ているそうだ。


「劉備からの信頼が厚いことも、関羽が独力で動く可能性を高める。そしてその慢心は孫呉にも見えていることだろう。こちらも寡兵、関羽も独力となれば、荊州の問題を解消できる千載一遇の機会。逃すほどあの大都督も鈍くはない」

「そこで、裏切りに動くかどうかという話です」


 語る正礼どのに、母は首を横に振る。


「魯粛は仁義を重んじ声望を得た篤志だったはず。北に共通の敵を持つことを理由に手を結んだ状態で、関羽の背中を狙う人物だとは思えない…………と、言う話になったの」


 はっきりと語ってから、母は思い出したように誤魔化す。

 なので私も母の懸念を代替して正礼どのに伝えた。


「赤壁で連環の計がかけられたと聞きました。裏切りを装っての強襲を受けたと。また同じことがあるとは思えませんか?」

「あれか…………」


 父も知っていたのだから、正礼どのももちろん知っている。


「また同じように敵ならざると思っていた者が、敵に回ることもあるのではないかという懸念が上がりまして」

「む、確かに魯粛は赤壁での戦いを主導する立場にいた者。同じように裏切りを装う策を講じることもあるか。…………夏侯子林の割に考えるではないか」


 未だに父を目の敵にするのは、やはり母に思いが残っているからなのかしら?

 いっそ母に選ばれなかったことで、同じ男として負けられない相手という新たな認識になっていたりはしない?


 そんな確執は横に置いておいても、正礼どのは母の懸念どおり、魯粛は停戦を結んでいる関羽を狙うと疑ってなかったらしい。

 計略を用いる人物なのだから、好機を逃さないはずだと考え、国の利益を取らないかもしれない人品までは考慮に入れていなかったということのようだ。


「ちなみに誰を誘うつもりでいたのです?」

「どういうことかな?」

「夏侯のおじいさまと話していて、孫権が釣れたら当たりだとおっしゃっていました。けれどそれはない。結果として関羽で魯粛を釣ると聞いています。けれどそれをしても濡須口での戦いと連動するとは思えないのです」


 あの時聞きそこねたのは、思わぬ大物の名前に驚いたから。

 けれど一晩経って考えてみれば、この戦いの主戦場は濡須口。


 戦功を求める子建叔父さまからすれば、曹家の祖父が指揮を執る濡須口の戦いに噛んでこそ。

 だったら、主戦場に益のあることをするはず。

 そのためにはやはり、主戦場に関わる将兵を削ることが本来の目的であるように思う。


「それで言えば、呂子明ではないの?」


 母が未来の大都督の名を上げる。


「前回の戦いで主力を担ったからこそ、呂子明はないのではないかと言う話にもなりました」

「大都督とは旧知であると聞いています。その上で名のある関羽を討つと考えるのであれば、確実な戦力を求めるでしょう。孫呉も今日まで荊州を掌握できなかったのは関羽という強敵が構えていたせいなのですから」


 言って母が正礼どのを見ると、溜め息を漏らされた。


「…………そのとおりだ」


 どうやら子建叔父さまの狙いは呂子明で、母の予想は当たり。

 関羽を誘って魯粛を釣り、そして関羽という強敵を倒すための矛として、呂子明を濡須口から引き離す。


「上手くいけば曹家のおじいさまは驚いてくれそうですね」

「驚く?」

「子建叔父さまがおっしゃっていました」


 話した時の様子を語ると、正礼どのは苦笑した。


「やれやれ、長姫を前にするとあの方は良い顔をしようと喋りすぎてしまうようだ」

「であれば、子桓も同じようなものですから、心配はいらないわ。二人揃って宝児に余計なことを教えてばかり」


 母も苦笑するけれど、そう言えば宮中でも大変な目に遭った。

 あれはもしかして、慌てる私を見たいという意地悪とかではなく?

 ただ私を前に、兄弟で見栄を張り合っていたと? 

 なんにしても心臓に悪いです。


「その、子建叔父さまの安全のためにも、魯粛を確実に動かす方策をもたれたほうが良いのでは? 動けばこそ、呂子明を引き離すことも叶うと思うのです」

「逆に魯粛は動かないままでいいのかも知れないわ」


 母の言葉に私は驚く。


「呂子明に劉蜀に対する肩入れはない。だからこそ関羽を狙う判断もできるはず。好機があると知れば、果敢に攻めるのが呂子明ではないかしら。であれば、魯粛を釣るよりも…………」

「だが荊州にいるのは魯粛だ」


 正礼どのの指摘に、母は少し考えて答えた。


「失敗含みで独力でやるか、確実性を期して父上にご相談し、呂子明だけを狙うかを選ぶ。どちらかしかないでしょうね」

「しかし」

「あら、そこは子建に選ばせればいいわ。籠城して関羽を相手に困るのはあの子だもの。場合によっては父のさらに後方に残って指揮を執る子桓に助けを求めることになるかもしれないけれど」


 確かに子建叔父さまの策は魯粛が動く前提で、その前提が覆ると打つ手がない。

 そうなれば救援を求める必要があるけれど、曹家の祖父は自ら軍を率いて濡須口北の巣湖にいて、合肥には夏侯の祖父がいる。

 さらに都と合肥を繋ぐ要地を子桓叔父さまが詰める予定だ。


 位置からして救援が発されるのは子桓叔父さまのところ。

 そう考えた時知識が浮かんだ。


「名を取るより得を取れ…………?」


 それは実益のない名誉よりも、実利を求めるべきだという格言。

 けれど逆の得を取るより名を取れと言う言葉も浮かぶ。

 どちらが正解か私にはわからない。


 けれど私の呟きに、正礼どのは真剣な目をして考え込んでいた。


週一更新

次回:予想できた来襲

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ