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七十五話:高みの見物

「それで来たのかい? あははは、おじさんは面白いなぁ」


 私たちの前で軽快に笑うのは子建叔父さま。

 突然の来訪にも驚きはしても嫌な顔はせず、招き入れてくれている。


 平然としているのは突然の来訪を悪びれもせず説明した夏侯の祖父だけで、父と私は恐縮して小さくなっていた。


「あ、せっかく来たんですから、また詩作します?」

「貴様ぼろくそに貶すだろうが」


 気軽に誘う子建叔父さまに対して、嫌がる夏侯の祖父。

 曹家の祖父と子桓叔父さまにも、お正月にずいぶん言われていたはず。

 けれどここまでの反応ではなかった。


 …………つまり、下手な詩を前にするとあれよりも辛辣に?

 正直そんな場に居合わせたくはないわ。


「それで、子建。どうするつもりだ?」

「いや、言ったら父上に筒抜けじゃないですか」

「なんだ、奴にも秘密か」

「えぇ、やはり印象づけは大事ですから。あの曹丞相を驚かせた、と言われたいですね」

「しかしそれだと長姫が不安がるぞ」

「そうかい。嬉しいなぁ、長姫にそんなに心配してもらえるなんて」


 夏侯の祖父に軽く答える子建叔父さまは、その上で嬉しがって見せる。


 けれど本気で照れていた姿を一度見た父は苦笑だ。

 私もはぐらかされる雰囲気に困ってしまう。


「策があるならあると言え。それで少しは安心もするだろう」

「いやいや、そちらで話し合ったように相手の出方次第ですから」


 子建叔父さまは首を振り振り

 怪我をしないなら方法なら籠城戦。

 けれど子建叔父さまは敵将を釣りたい。

 けれどその前に関羽がいるし、孫呉の側からも魯粛がいる。

 それ以上に曹家の祖父が驚くようないい相手の目星もつかない。


「呂子明はどうだ?」

「濡須口のほうに配置されるでしょうね」

「名指しで挑発してみたらどうだ?」

「もし関羽がやるならそれで勇みもするでしょう。けれど私では鼻で笑われるだけですよ」


 夏侯の祖父の乱暴な提案に、子建叔父さまは怯むどころか笑って否定する。


 実績と実力がある関羽と比べるのは、劣ることを自覚している謙遜にも見える。

 それでも引き合いに出すだけ、自信と自負の表れでもあるような。


(あら?)


 私は脳裏に浮かぶ知識に意識を向けた。

 それは四年後に起こる戦い、荊州の覇権を三国が争う大戦。

 曹魏と呼ばれるこちらは、前年に妙才さまという将軍が欠けるという手痛い状況。

 それを好機とみて、関羽が荊州の曹魏側を侵攻することで始まる。


 その戦いに横やりを入れて来たのが孫呉。

 そして率いたのは魯粛亡き後に都督となった呂子明だ。

 そして次代の都督となる陸遜という者も参戦する。


「関羽が動けば孫呉は動くのでしょうか?」


 私の問いに子建叔父さまは目を細める。

 父は考えても答えが出ない。

 夏侯の祖父はあまり考えず答えた。


「濡須口に軍を進められて、孫呉の側に動く余地があるか?」

「だからと言って、無視もできないでしょう?」


 夏侯の祖父の疑念に、子建叔父さまは素っ気なく応じる。

 なんでもないふりをするその姿に思い出すのは、私を探りに家まで来た時のこと。


「確実に敵の勇将を一人引っ張れる、そう、子建叔父さまはおっしゃっていたはずでは?」

「ほう、魯粛を動かせるということか?」

「いえ、勇将独りなわけがないと思います。名か実績のある者を何人釣り出せる目算があるのではないかと」


 私が夏侯の祖父に答えると、子建叔父さまはしまったと言わんばかりに片手で顔を覆う。


「口を滑らせたなぁ」

「お前はどれだけ大掛かりな釣りをするつもりだ」

「それは関羽も無視できないでしょう。大規模な戦いになることを想定しているのでしたら、相談の上で行ったほうが良いのではないですか?」


 呆れぎみな夏侯の祖父に続けて、父も心配が大きくなっているようだ。


 その間に、私はさらに交わした言葉を思い出す。


「できれば見栄えがする数は揃えたいと。どうして質ではなく、数を?」

「あー、そんなことも言ったかな?」


 子建叔父さまが雑にとぼけると、夏侯の祖父が胡乱な目を向けた。


「質よりも数? お前は自分がどういう立場で送られるかわかって言っているのか?」

「そこは言われずとも。と言っても、今はすぐさま争うこともないと考えるようになりましたよ」


 子建叔父さまの言葉に、夏侯の祖父はわからない顔をする。

 子建叔父さまが争う理由は、曹家の祖父の継嗣となるため。

 相手は子桓叔父さまで、そんな話が出たのは曹家の祖父の年齢と大きな戦を前にした今の状況があるからだ。

 夏侯の祖父もその辺りは理解している。

 だからこそ先延ばしにできないこととして静観を決め込んでいるように思えた。


 けれど子建叔父さまは別の未来を考えるようになっている。

 曹家の祖父からの継承ではない。

 子桓叔父さまからの継承を見据えるようになっているらしいことは、母と共に聞いた。


(歴史的にはないことだわ。けれど、私の両親の関係改善を思えば、絶対でもない…………)


 ここは後押しをするべき?

 いえ、してどうするの?

 継ぐのは元仲であるべきで…………いえ、けれど歴史的には子桓叔父さまの逆を行くのよね。

 それで言えば後継者として事績を継ぐ気のあるのは子建叔父さまのほうが?


(わからない。どちらがなんて、本当に知識だけしかない私には決められないわ)


 考え込んでいると父が、私を安心させるように背中を撫でてくれた。


「どうやら子建さまにもお考えがあるようだ。宝児が心配なのはわかる。けれど、心配しすぎても失礼になってしまうよ」

「あぁ、そうだ。長姫が心配するから来たのだったな」


 父の慰めで、夏侯の祖父が思い出す。


「で、お前は何をする気だ? 勝算は?」

「えぇ? 言わなきゃ駄目ですか?」

「そっちで上手くやればこっちが楽になるだろう。だったら手を貸してやってもいい」

「本当に?」


 夏侯の祖父は元から継承に興味ない。

 その上で目の前の戦いを重視している。

 だから濡須口の兵数を減らせる算段があれば乗るつもりらしい。


「だったらおじさん一緒に荊州行きませんか?」

「え、それはちょっと。さすがに父上のお立場があります」


 自分の側に立てと正面から誘う子建叔父さまに、父が待ったをかけた。

 ここで応諾すると、完全に夏侯の祖父を継承争いの盾にされるとわかっているからだ。


 夏侯の祖父を窺って見ると、わかっていて言ってる様子。

 その上でたぶん、曹家の祖父がどちらかに決めれば全く気にせず追従するつもりであることもなんとなく窺えた。

 子建叔父さまも夏侯の祖父の顔を見て肩を竦めて退く。


「興味があると思ったんですがね。何せ、僕が釣り出すのは関羽ですから?」

「ほう?」

「父上、相手がその方なら決して丞相閣下は父上をぶつけることはしませんから」


 子建叔父さまの誘い文句に乗り気になった夏侯の祖父だけど、父の言葉で否定もせず舌打ちをして身を引く。

 これはたぶん、曹家の祖父が認める武人なので、夏侯の祖父では敵わないとわかっているから当たらせないということなのでしょう。


 そこで曹家の祖父の裏をかいてでも戦おうとしないあたり、夏侯の祖父だ。


「簡単に言えば、想定は籠城戦です。向こうが動くだけの人数がいればいい。後は精兵だけで立てこもっている算段でしたので」


 子建叔父さまが手の内をばらすようにそう言った。

 そして爽やかな顔で悪辣なことを言い始める。


「そんな獲物を前に関羽が背中を晒せば孫呉は刺しに来る。しかも確実に仕留めるために魯粛は信頼のおける武将を引っ張ってこなければならない。それを僕は砦の中から眺めるだけでいい。模擬戦の時に高みの見物は楽でいいなと思っていたんです」

「えぇ?」


 思わず声を漏らした私は悪くないと言いたい。

 だってそれ、私も見に行ったあの模擬戦ですよね?

 賈文和に絡まれて意識を向けていなかったけれど、まさかそんなことを考えてるなんて思いもしなかったわ。


 子建叔父さまは私が望むとおり安全な場所にいてくれるようだけれど、そうじゃないと言いたい気持ちになってしまった。


週一更新

次回:母の伝手

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― 新着の感想 ―
[一言] 関羽を釣って呂蒙を動かす――なるほど。関羽を動かすのは彼の性格を突けば史実味がありますね。曹植の文才が炸裂するか。 さて、となると本格的に史実改変が動き出すことになるのかな? どの程度のレベ…
[良い点] 夏侯惇さん、曹操からの絶大な信頼もあるでしょうが、冷静に戦場を見極められるのは流石ですね。 [気になる点] 曹植はどのように関羽を釣るつもりなのか非常に気になりますね。また、樊城では曹仁…
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