七十三話:呼び出し最上位
私は父に、子建叔父さまが心配であることを伝えた。
するとどうやら子建叔父さまには、功績を上げさせないためにも無茶をさせる気がないらしいことはわかる。
誰の差し金か聞きたいような、聞きたくないような、もはや知っているような気もするけれど。
きっと分散侵攻が決まった場にいた悪い大人のはかりごとなのでしょう。
「だからこそ、そのような計りごとさえ掻い潜ろうと無茶をなさるのではないかと心配なのです」
私の本心から懸念を伝えた。
場所は我が家。
そして家族が入れる正房。
その上座と言うべき場所に座るのは、夏侯の祖父であり、私の訴えを聞く方。
「ふむ」
最も現状の詳しい話を聞ける最上位を、不安がる私のために父は呼んでくださった。
ただ当の父は、独眼で厳めしい顔の夏侯の祖父の顔色を窺っている。
父が押し弱いのは、この祖父の影響もあるのではないかしら?
「正直、順当に行けば一番うるさくなくていい」
何がとは言わない。
けれど流れからして継承の話だと思う。
夏侯の祖父は曹家の祖父と近しい。
その上で政治でも戦でも目立ったところはない。
それはひとえにこの裏表を使い分けるような器用さのない性格だろう。
言い方を変えれば実直さと言えるとは思うけれど、はっきり言って権謀術数には向かない方。
「だが、先を思えば率いていける実力があるならば、それに越したことはない」
「父上、宝児を前に何をおっしゃるんです」
「この歳ですでにその辺りわかっているのだろう? 子桓も子建もそういうことを含めてこの子にちょっかいを出している。本当に思うならお前がどちらか選んで下知しろ」
父は逆に怒られて、委縮してしまった。
そこは父として、私の意志を尊重するからこそ上から押しつけない優しさだと思う。
それと同時にどちらかに与するかを決めきれない、煮え切らない性格もあるでしょう。
ただそれは母が叔父さまたちの上という立場も含めての葛藤だ。
優しいからこそ優柔不断。
そんな父は、ずっと曲げずに真っ直ぐ生きてきた夏侯の祖父からすれば頼りないことだろう。
「おじいさま、そのような話を、母上には言わないでください」
「うん? 何故だ?」
「喧嘩の元です。私は両親に仲良くしていてほしいですから」
「そうか…………? そうか、ではお前も言うなよ、子林」
祖父の言いつけに、父は何度も頷く。
元から言うつもりもないのだろう。
夏侯の祖父は私から思わぬ方向の話をされてまだ首を傾げている。
ただ夫婦関係に響くとなると、政略結婚の上では曹家と夏侯家の関係に置き換わる。
なので穏便なほうを取ったのだろう。
「それで、子建叔父さまがお怪我をしないような方法はないでしょうか?」
私はもう、こうして呼んだ理由をそのまま告げる。
夏侯の祖父としては、争うならそれもまた良しというなんとも血の気の多い考えのようだから。
けれどそれは私が嫌だ。
私にとってはどちらも気にかけてくれる叔父なのだから。
「怪我をしない戦?」
「さすがに宝児もそこまでは」
夏侯の祖父が心底わからない顔をすると、父がそこまで極端な話ではないと訂正。
私も頷いて補足をした。
「命にかかわる怪我をしないなどです」
「となると籠城戦くらいじゃないか?」
「父上、それは怪我はなくとも命の危険があります」
「子文ではないのだから撃って出たりはせんだろう?」
子文もまた叔父の一人で、曹家の祖父の次男にあたり最も武に秀でた方だ。
今は魏の国を任されていて、この都には不在。
「と言っても、子文は腕力だけだからな」
「父上、拙宅とは言えもう少しお言葉を選んでください…………」
武には秀でているけれど、計略はからっきしの子文叔父さま。
その分名声欲はあっても、他人の上に立とうと言う立身出世は二の次の方。
また頭に血が上りやすいので、戦場でなくても突撃していく性格をしている。
悪い人ではないけれど、あまり上品さを求められる場にはなじめない方でもあった。
その辺りは曹家の祖父はもちろん叔父さまたちもわかっている。
けれどあえてそれを言ってしまう夏侯の祖父はもう少し周りを見てほしい。
室内に侍る我が家の使用人たちが、居た堪れない顔をして黙っているの。
「その、戦場に孫呉からは誰が来るかという話を、子建叔父さまはしていらして」
「あぁ、孫権が釣れたら大当たりだな」
「あり得ますか?」
「まぁ、ありえんだろう。孟徳を無視するわけもない」
疑う父に、夏侯の祖父も頷く。
戦場の位置関係は、私たちがいく濡須を真ん中に西に要地荊州にある江夏、東に孫呉の本拠地建業がある。
建業にいる孫権が江夏に行くなら、曹家の祖父が狙う濡須を素通りして上流へ。
確かにありえない動きだろう。
「では誰が? 今の時点でわかるものですか?」
正直、私にはあてがある。
東の海の向こうの知識では、将来その辺りで戦いが起こるのだ。
ただそれは満寵と同じで時期が三年ほどずれた話。
そしてそれで籠城戦となると、完全に負ける可能性しか見えない戦いの歴史だ。
「江賊上がりが生きていれば、真っ直ぐ奇襲をかけてくるところを引き込むという手もあったか?」
「何故そんな言いきらない感じなのですか?」
首を捻る夏侯の祖父に、父も疑問符を投げかける。
「俺では奇襲の時期を読めない」
「あぁ」
そこで納得してしまう上に、わかるって顔をしないでください。
敵の奇襲を予見できるのに、いつ襲ってくるかわからないなんて。
戦場に出たこともない私もわからないのですから。
不安が増してしまったわ。
「それに荊州に子建が行って、関羽の野郎がどう動くかもな。昔は身軽に兵卒を率いて突っ込んできたが、今はそうでもない」
「動かないほうがこちらとしては心穏やかですし、静観してはくれないでしょうか?」
「どうだろうな? あいつらの戦い方は平気で横から殴ってくるぞ」
乱暴な言い方だけれど、夏侯の祖父の声には実感がある。
「では、優秀な将兵をつけるようなことはできないのでしょうか?」
私の言葉に祖父と父は顔を見合わせた。
「させんだろうな」
「私より上の方々は派閥色出しませんからね」
どうやら継嗣争いの気配はあっても、それを推す武将はいないらしい。
「そりゃ、孟徳が何も言わないんだ。勇み足するほど馬鹿じゃない」
「あぁ、派閥で言えば曹丞相閣下一強ですか」
父は何げない様子でとんでもないことを言う。
確かにそうなんでしょうし、それで言えば夏侯の祖父も特別どちらかの肩を持つことはしない上で、曹家の祖父が選べばどちらであってもそのまま受け入れそうではある。
もしかしたら他の武将の方もそういう感じなのですか?
もしや武に関心のある子建叔父さまは、そちら方面からの声望を得る目的?
政治では拮抗状態なのだから、あり得ないとは言えないけれど。
「うーん」
私は考え込みすぎて、声を漏らしてしまう。
すると夏侯の祖父が立った。
何をするのかと思うと、座っていた私を抱えて戻る。
そのまま膝に乗せると、頭を撫でられた。
「はい?」
「今の話の何処に悩む要素があった?」
「私にもわかりかねます」
問いかける夏侯の祖父に、父も困り顔だ。
うん、私の考えすぎという気がしないでもないわ。
継嗣争いなんて実は夏侯の祖父は全く気に留めていない気がする。
ともかく今は子建叔父さまどうこうよりも、対呉について聞いたほうがいい気がしてきた。
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