七十二話:父のお仕事
なんだかいつもの調子を崩した子建叔父さまは帰っていった。
その後に家にいた父が、私の部屋へとやってくる。
「いったいどうしたんだい、子建さまは?」
「どうとは?」
「なんだか照れくさそうな顔をして帰ったよ。門の向こうで待たされていた従者たちも不思議そうにしていた」
どうやら父は、いつの間にか入り込んでいた子建叔父さまの見送りをなさったらしい。
そして子建叔父さまも従者は置いて、自分だけ無断で屋敷に入ったようだ。
そこは一応血の繋がっているけど他家ということで配慮なさったの?
もう少し別の気遣いがあってよかった気もするけれど。
いえ、何よりばれないためにお一人だったのかもしれないわね。
「曹家のおじいさまのところでの話をお聞きになられたそうで」
「あぁ、丞相府を中心に大わらわになっているからね」
父も宮仕えだからわかっていることもあれば、腹心の家系とも言えるので、たぶん丞相府の動きも漏れ聞こえる立場なのでしょう。
そうでなくても、子建叔父さまと同じかそれ以上の情報くらい、あの場にいた夏侯の祖父から聞けるはず。
「長姫が発案とでも聞いて確かめにきたのかな?」
「たぶん、そうだと思います」
「それでどうして照れて帰るなんてことに?」
「父上はもちろん、私はお身内の誰も危険に陥っては欲しくないので、そのことを伝えたところ、あのように…………」
「あぁ、本当にただ照れていただけなんだね」
父は微笑ましそうに笑って納得した。
「子建叔父さまを心配なさる方は他にもいらっしゃるのでは?」
「そうだろうけど、口に出さないのが武人に対しての礼儀ではあるからね。だいたいは、あなたならできる、必ず手柄を立てられるって鼓舞する方向になるかな」
私は悪くないというように、父は優しく撫でて来た。
「だから、飾らない心配の言葉に慣れていなかったんだろう」
「そうなのですか? 母上はあまりそうしたことを言っていないような?」
父を鼓舞することはたまにあるけれど、それを言うのも叱る時だ。
「それは、私が鼓舞されても、ね」
照れると言うよりも困った様子で父は頬を掻く。
けれど思えば父も戦の経験があり、目立つ功はなくてもそれなりの仕事をこなすからこそ今回の南征も同行をするはず。
ましてや、後には重職となる西の守りの総司令的な位置の安西将軍に収まる。
節を与えられるという、皇帝の権威を預けられるほどの信頼があった。
(あぁ、けれど征西将軍ではなく安西将軍なのは、やはり父を武将としてではなく官として評価した結果なのかしら?)
簡単に言えば攻撃することを前提としていない治安維持が主眼の将軍。
いくらか大兄たちと学んだ中で言えば、拠点防御と言うのだったかしら?
「父上は、軍の指揮を取られたことが?」
「あるよ。まぁ、そんなに活躍らしいことはしていないけれど」
「そうなのですか? 戦うなら相手を倒すことが功になるのでは?」
「あぁ、どう説明したものかな。軍と言っても指揮官ごとに役割がある。それらが独自に動いても、功を取り合うばかりで軍は弱体化する。まぁ、功を競うような戦場もあるにはあるけど。戦の巧さはそういうことじゃないんだよ」
甲という敵を倒そうと軍を起こすとして、と父は前置きをした。
「正面から甲を倒すなら競って戦果を狙ってもいい。けれど、その甲に乙という増援が来る予定がある。そうなると、軍を割いて乙に対処する者が必要だ」
問題は甲を倒す必要はあるけれど、乙を倒す必要はないという状況。
だから砦にでも籠って耐える戦いが安全だけれど、それをする者に華々しい功績は与えられない。
そして前線で戦うこととは別に、乙に対応する軍を支える必要が生じる。
命じれば一人の指揮官が全てを請け負うなんてことはない。
戦う者、戦いを指揮する者、戦いの間陣地を維持する者など分担が求められるそうだ。
「他にも甲を攻撃する味方を支援するために軍を動かすことも考えなければいけない」
「支援ですか?」
「例えば、別動隊を率いさせて、敵を消耗させる。輜重車なんて足が遅いし人数は割かれるしで狙い目だ。もちろんこちらも同じだから、守るための軍も用意されるし、その軍の指揮を任されると敵将を倒して功を競るなんてやっていられない」
「父上はそうした軍の指揮をなさるのですか?」
「夏侯家はだいたいそうだね。父上なんて基本的に曹丞相閣下の後方支援がいつもの役割だ」
夏侯の祖父がそういう役回りだからと言って、一族でそうなの?
「戦いは?」
「もっと上手い将軍たちがいるし、作戦立案が得意ということもないから、だいたい裏方さ。でも大事なんだよ。食がなければ飢えて戦えない。どんな猛将も食べなければ死ぬんだ。兵士だって食が安定していることは士気に直結するしね」
もっともな話だけれど、つい最近張遼という武勇の話を聞いたせいか地味に思える。
だいぶ私が想像する将軍と違った。
ただ言われると納得もする。
父上が将軍と呼ばれる地位にいても前に出て戦うなんて考えにくい。
けれど裏方で指揮を執って、食事や人の配置をするのなら、想像できた。
「私の仕事に興味があるかい? つまらなくない?」
「いいえ、大変興味深いです」
心からの言葉を笑顔で告げれば、父は照れた様子を見せた。
「そう? 心配されるのも嬉しくはあるけれど、心配され過ぎるのもね。私は人の先に立って活躍するような気質ではないし、安心してほしい」
そう言えば怪我が心配でって言ったのだったわ。
本当は浮気が心配だったのだけれど。
そう思えば正面に立って戦う位置にいないからこそ妾を囲うことをするの?
あら、これは?
「父上、お伺いしたいのですが」
「なんだい?」
機嫌よく答えた父はにこにこしている。
「分散侵攻については、どれくらいお聞きになっていらっしゃいますか?」
「あぁ、それか。子供たちの遊びの中でというのに、それを本当にしてしまおうと言うのがすごいね、あの方は」
どうやら曹家の祖父は本当に動いている。
そしてそれも下知されている段階に来ているらしい。
「今から、軍を増やして、食べ物などどうするのでしょう? 用意していた分を別けるのですか?」
「あぁ、えっとね」
父は説明することを整理するらしく、一度黙った。
「まず、一日に一人が食べる量を考えようか。一日二食。穀物を一食として考えて、大人だと六合くらいかな?」
「まぁ、大変な量を必要とするのですね」
東の海の向こうだと一キロという単位が出て来る。
私にとっては大変な量で、想像するだけでお腹いっぱいだ。
「塩や水を穀物と煮て粥にするか、別々に口にさせるかはいろいろだけどね。単純に考えて一日に十二合いるわけだ。それを十万で、えっと、想像できる?」
大きな単位になったせいか、父は不安そうに聞いて来た。
確かに七歳には大きすぎる数字だけど、私にはすぎた知識がある。
一日二キロの米が十万人分で、二百トンという単位がわかるのだ。
そして一トントラックという言葉と巨大な鉄の塊が脳裏に浮かぶため、その規模は視覚的に想像しやすい。
「どうやって運ぶのですか? 一度では無理ですよね?」
「そう、そこなんだ」
通じたことに父ほっとして頷く。
「実はすでに物資の集積は始まっている。だから合肥のほうに持って行った分とはまた別に今から用意しなくてはいけないんだよ」
「まぁ。そう言えば仲達さまと賈文和さまが、死人が出るかもとおっしゃっていたのは、もしかして?」
「あぁ、うん、冗談半分だろうけど、ね」
半分本当なのですか?
どれだけの兵を回すか、どれだけの物資を用意するか。
その手配が私たちの思いつきで実現を目指して動き出している。
「大丈夫でしょうか? 仲達さまは子建叔父さまを主戦場から外すおつもりでした。けれど、子建叔父さまは将を落とすつもりでいらっしゃるようなのです」
「子供に何を言っているんだあの人たちは…………」
父はぼやくと、私の表情に目を止めて笑って見せた。
「あえて負けるようなことはさせないし、死地に向かえるほどの過剰な戦力も割かない。そうなるよう目を光らせるから、そんな不安げな顔をしないで」
私を慰めるように、父は言ったのだった。
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