七十一話:利用する大人
「やぁ、長姫」
「…………子桓叔父さまとやってることが同じです。子建叔父さま」
「む、二番煎じは芸がないな」
いえ、その前に。
何故ここにいるの、子建叔父さま?
私は自室で、突然現れた客と見つめ合う。
その後ろには、止めようとしたらしい侍女を連れているところまで子桓叔父さまと同じだった。
「おや、書簡かな? どれどれ」
「それも同じです」
奉小への手紙を覗き込む子建叔父さまに、私は行動を踏襲していることを指摘する。
書いてあるのは先日集まっての対呉の話し合いで、面白いものでもない。
誘ったけれど急なことで、奉小の参加は無理だった。
そのため断りに改めて謝罪と、次は自ら誘うという書が奉小から届いていた。
お返事を書こうと思ったところにやって来たので、まだ最初の挨拶だけで続きはない。
こうして当たり前の顔してやってくる派閥争いしてるはずの叔父兄弟がくるので、友人への返事一つ慎重に書かなければいけないと思わされる。
「荀家なら行けばいい。それとも丁家に来るかい?」
「あそこは子建叔父さまのなんなのですか?」
「庭?」
以前日参するように丁家へと通った折、その度に当たり前にくつろいでいた子建叔父さま。
どうやら相当親しく遊んでいるらしい。
それでどうして礼儀や道徳にうるさい荀家と仲がいいのか謎だわ。
(人付き合いって思想信条以外のところもあるのね)
子桓叔父さまも子建叔父さまも、私からすれば決まりごとを破っても笑ってるように見える。
どちらもそうなら順当に子桓叔父さまに声望が集まりそうなもの。
けれど儒家である荀家は子桓叔父さまとは距離を取っている。
それでも曹家の祖父に仕える姿勢は変えずにいるのだからわからない。
まだ私には人同士の機微が難しいわ。
「おやおや、考え込んでどうしたのかな? 私に話してみるかい?」
優しげにいうけれど、よく思い出してほしい。
この方、他家の奥というそうそう入ってはいけない場所に入り込んでいるのよ。
たぶん父と母のどちらにも許可を取らずに。
これは、話し込んでいては私も一緒にお説教だわ。
「私とお話にいらしたのですか?」
「そうだよ」
即座に肯定。
あまりの速さに胡散臭い思いのほうが湧いてくる。
「おや、その眼差し、姉上にそっくりだ」
母が向ける表情を思い出し、私は手でちょっと目元をほぐす。
母は美人よ。
けれどちょっときつい印象があるのも事実だもの。
そんなことをしている間に勝手に室内に入って座る子建叔父さま。
颯爽とした身のこなしはあまりに自然体。
呆れるほど強引なのに物腰柔らかく見えるから不思議だ。
「今日は長姫にお礼を言おうと思ってね」
「お礼、ですか?」
心当たりがない。
と言うか、最後に会ったのは曹家の祖父が催した模擬戦の時だ。
あの時には大して話すようなこともなく別れている。
「心当たりがありません」
「父上にずいぶん面白い提言をしたそうじゃないか?」
「…………誤解です」
「はは、そんなに嫌そうな顔をしなくても」
撫でられるけれど、それほどの顔していたかしら?
していたかもしれない。
何せ不本意な結果なのだから。
私だって夏侯の祖父に連れられて巻き込まれたようなものだし。
別に戦いを助長したいわけではないのに。
「分散侵攻で江夏にも兵を出すそうだね。無駄になりそうだけど、正直面白い動きだ」
「やはり手間が大きいのですね」
仲達さまも賈文和も言っていたので、無駄になりそうな作戦よりも身の安全を重視してほしいのが私の本音。
「それなのにどうして面白いのですか?」
「確実に敵の勇将を一人引っ張れる」
子建叔父さまが指を立てて言い切った。
その指に目を向けると、さらに指を増やす。
「もちろんこちらが軍を立てていれば勇将独りなわけがない。名か実績のある者を何人釣り出せるかな?」
子建叔父さまは楽しげに指を全て広げてみせる。
けれど私は不安のほうが大きい。
心配を言っていいのかしら?
家妓にも結果を想定しろと言われたけれど、知らずに送り出すのも違う気がする。
この方もまた私の叔父なのだから。
「あの、子建叔父さま…………あら? 江夏へ行くことはもう告げられているのですか?」
今、普通にそちら側に立つような口ぶりをしてはいなかった?
「いや、まだ分散侵攻を父が計画し始めたとだけ。調べたらどうも長姫がと聞いてね。来てみたんだ」
何をどう調べたのか、いえ、父親のご実家での話だもの。
誰が訪ねて曹家の祖父と話したかくらい知れるでしょう。
あの日あの場に集まった中で、誰も想定していなかったことを言い出すのは私だとあたりをつけたのかもしれない。
「まぁ、元の軍容を今さら大改造なんてしていたら年を越す」
子建叔父さまは広げていた指を握り込んで見せた。
軍の準備ですでに半年を使っている。
歴史どおりなら冬に戦いが始まるので、本当に一年がかりでの戦いだ。
「だったら、無駄になるかもしれない陽動で動かしたい人物は私だろう?」
どうやら本人に自覚がおありらしい。
調べたならあの場に仲達さまがいたこともわかっているはず。
そうなると、主戦場から遠ざける言い訳に使われることも想定済みなのでしょう。
「おや、憂い顔だ。あの場に兄の教育係どのがいたのは知っているけれど、長姫相手に何を言ったんだろうね?」
「いえ…………」
「あの方、もしや長姫相手には口が軽いのかい?」
「そんなに期待した目をしないでください」
そう言えばそんな情報をちらつかせたこともありましたけど。
ただ今回は本当に大したことは私、知らない。
いえ、今考えるべきは江夏に子建叔父さまが行く気があるということかしら。
となるとそこで働いている満寵とも出会うはず?
「何か面白い話かな?」
「ですから、期待されることは何も。…………ただ、兵はどうするのでしょう? 江夏のほうの方を使う形でしょうか?」
「あぁ、そうだね。私が連れて行くだけでもいいけれど、やはり大物を釣りたいしな。できれば見栄えがする数は揃えたい」
どうやら子建叔父さまはやる気だ。
その上で、主戦場から離されることも理解していて、いっそそれを利用して、名のある武将を相手に武功を挙げようとも考えている。
(やっぱり私とは違う。歴史どおりなら、荊州に踏み入った途端に孫呉からは本当に名のある方が現われるのだし)
ただそれはまだ三年先のことで、子建叔父さまは本来表舞台から消えた後のこと。
そして孫呉から派遣されるのは、都督という軍事の最高につく未来がある二人の将。
一人は次の都督で、もう一人はさらに次の都督という、孫呉における未来の軍の要人だ。
もし本当に出てきたらどうなるか、私には想像が及ばない。
「あの、釣果を求めるのもよろしいですけれど、何よりご自身の身を慮ってください」
「おや、兄上びいきかと思っていたけれど?」
「どちらも私にとっては大事な叔父さまです」
真っ直ぐ見つめて言うと、視線を塞ぐように頭を撫でられる。
これははぐらかされているのかしら?
「その、戦功を立てることも大事でしょうが、それもお怪我やましてお命にかかわるようなことは…………」
「わかった、わかったから、ちょっと待って」
普段と違う声の質が気になって、手を避けるように見ると子建叔父さまが赤い。
「参ったな。そんなに真っ直ぐに心配されるのは、とても久しぶりだ」
そう言って、袖で顔を隠すようにしてしまった。
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