六十九話:侍女の教え
「良いですか、長姫」
何故か侍女に膝を詰めてそう念を押された。
ここは私の寝室と続いている前室。
真剣な顔の侍女は、いつも私の身の回りの世話をしてくれる相手だ。
普段は静かに見守ってくれているので、あまりない状況に私も緊張する。
(お説教をされる時にはこうして正面から真面目な顔で詰められるのよね)
怒られる理由は何かしら?
先日、筆の片づけを言い損ねて筆を痛めたり、墨を乾燥させてしまったこと?
それとも庭で急に動いて袖に枝を引っ掛け、衣に穴をあけてしまったこと?
どちらもその場では元気になった証拠と許してもらえたはずだけれど。
「南征同行についてよく覚えておきいただきたいことがございます」
「はい…………」
南征についてね。
えぇ、怒られる心当たりがありすぎるわ。
その中でもつい先日、曹家の祖父のやる気を煽ってしまっているし。
けれどあれは不可抗力だし、ご本人方が何やら思惑もあってのこと。
後は何かしら? 普通に軍事に口を挟んだ形が淑女として駄目だった?
あ、そうだわ。
その前に男子とそういう話をしたこと自体はまだ怒られてない。
あまり褒められたことではないとわかっているけれど、屋敷を出ることの少ない私としては、正直お話をするのは楽しい。
そして相手の半数は身内だから、気を抜きすぎてしまうし、会うことも許されている。
けれど慣れ過ぎていたのは否めない。
そのことのお説教かしら?
「南征の際、夜はお一人でお眠りいただきます」
「…………はい?」
予想外の言いつけに、私は返事が遅れる。
だいたいそれはいつものことでは?
というか、すでに私は一人部屋なのに?
この家は家族三人しか住んでいない。
裏には使用人たちの住居もあるけど、屋敷で暮らすのは三人だけ。
その割りに広いから、私も幼い内から一人部屋を使っている。
「できるだけ、南征の折にはご両親にお近づきにならないようお願いします」
思わぬ言葉に唖然としていると、侍女が居心地悪そうに眉を下げる。
なので私はともかく思い浮かんだことを質問してみた。
「それは、母上がお命じになったのかしら?」
「いいえ、わたくしども仕える者どもの総意でございます」
私は壁際に控えている家妓に目をむける。
するとお願いするように礼を取られた。
本気と言うか、何か理由がありそうね。
総意とか、私に言うところとか。
「聞かせてもらえる?」
「はい」
侍女は神妙に頷くと、話し出した。
「方々のご関係は、聡明な長姫のお蔭をもちまして以前に比べれば良好と言える状態にあります」
さすがに同じ家で生活しているので、侍女を始め使用人たちも両親の仲が悪かったことは周知だ。
さらにそこに曹家と夏侯家という、権勢に関わる家同士の思惑が絡む。
結構使用人たちも、両親の関係悪化は死活問題だったりするのだ。
(よく考えたら将来的に母が父の処刑を望むのよね。その際使用人たちはどうなるの? 一家の主人が罪に問われたら連座もありうるはず…………)
私は悪い想像に一度目を閉じる。
「長姫には本当に感謝をしております」
私の表情をどう思ったのか、侍女が改めて頭を下げる。
「そんな。私も両親が心配でしたことよ。どちらも私を思ってくださるのに、何故かお互いのこととなると全く見えていないのだもの」
「ふふ、えぇ、えぇ。わたくしどもも、長姫がそのようになさって初めて、方々のお心の内を知りました」
どうやら侍女を始め、この家の者たちは、両親が心から嫌い合っていると思っていたらしい。
思わぬ話に茫然としてしまうと、そんな私に侍女は恥ずかしげに視線を下げた。
「本当に慧眼でございます。まさか歩み寄りのできる余地があるなど。どころかたった一歩近づいただけであれほどわかりやすくおなりで…………」
家妓も大いに頷いている。
そう言えば族内でも有名な不仲な両親だ。
仲が良くなったというだけで他家から手紙で問い合わせが来るほど、劇的に思われていたのよね。
「けれどそれが、どうして南征の折、両親に近づかないという話になるの?」
「これは少々、長姫には難しい話かもしれません」
慧眼だとか褒めた後で、何やら言葉を選ぶ。
私は侍女の言葉に首を傾げつつ続きを待った。
すると侍女は戦場に行った際の男性の夜について話し始める。
「命かけたる方々は、戦場にあってこそ癒しを求め、また戦意の高ぶりを持て余すこともあるのです」
だいぶ遠回しだけれど、一つ思い当たることがあった。
それは従軍していく女性の話。
元明が避けたあれだ。
それを侍女はあえて遠回しながら私に伝えている?
それでこれは、私の両親の話で…………あ。
顔に血が集まり両手で頬を覆うと、気づいた家妓が言葉を選ぶことに必死な侍女を止める。
「長姫はご理解なさっておいでよ」
「まぁ…………」
「あ、あの、これは、軍について、元明さまにお聞きした際に、じょ、女性たちも夜、のために従うと、聞いていたから…………」
慌ててそのまま言ってしまうけれど、私、完全に耳年増です、はい。
東の海の向こうの知識で理解しているのだけれど、本来の七歳が理解しているか怪しい話題よね。
自分で言っていて恥ずかしいわ。
「こ、こほん」
恥ずかしがる私を前に、侍女もつられて赤面している。
その上で空咳をして仕切り直した。
「でしたら、話が早いと思いましょう」
「え、えぇ、本題に入ってちょうだい」
「あらあら」
一人家妓だけが余裕だわ。
そう言えば家妓は屋敷の主人の妾にもなる人だったわね。
侍女は心底真剣な表情で言った。
「お二人には、同じ寝所を使っていただこうと思っております」
「つまり」
「ねんごろになっていただきたく」
「なるほど」
短い言葉であっても、十分すぎるほどその意図はわかる。
前言を思えば、確かに私は一人で寝るべきね。
どうやら戦場で男性は女性を求めるというのが一般的らしい。
そして父は戦場へ行く。
その際、できる限り母を側へ置いておきたいと言うのが、侍女たちの意見。
そのためにも、両親が心配して目を向ける私は、他所へ行っていてほしいということらしい。
「どちらかがお誘いになれば早いのですけれどね」
「それができれば同じ屋根の下にいてこれだけお通いがないなどありませんから」
溜め息を吐く家妓に、侍女が遠い目をして相槌を打った。
子供は私一人、そして通いがないというのはきっと寝所の話ね。
その理由の一つとして、思い当たることがあるにはある。
「なんだか、ごめんなさい。父も母も私を心配してくださるから」
「そうではありません、長姫。確かに病状に心痛めておいでではあります。けれどそこではないのです」
「あれだけわかりやすくなってなお、どちらも寝所へ誘うお言葉を言えずにいるのが問題なのです」
侍女に続いて家妓まで力強く否定する。
どうやら私の知らないところで、侍女たちは両親の距離にやきもきしていたらしい。
だから戦場とはいえ、場所を変えるという刺激、そしていっそ強制的に供寝をさせることでさらに一歩進ませようという算段のようだ。
「そう、苦労をかけるわ」
曹家と夏侯家の政略だから、結婚したことですでに目的は果たしている。
それでもやはり子は多いほうが、より言えばその血筋が長らく続くよう子宝に恵まれたならと。
それは両家の願いであり、使用人としても安泰を願う一案。
じれったい両親に、他が気を回して今回、私への配慮のお願いになったらしかった。
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