六十六話:変わり始めた戦
夏侯の祖父に抱えられて、曹家の祖父の元へ。
呼ばれたのは草餅を振る舞うためだと言われたけれど、もちろんそうじゃなかった。
たぶん司馬家の大哥たちと話した分散作戦を聞いて面白がったから。
だけど、なんだか話がおかしな方向へと転がったようにしか思えない。
「あの、本当にするんですか?」
私は別室に下がった仲達さまと賈文和を追って、懸念を伝えた。
お二人は諦めぎみに乾いた笑いを漏らす。
「実行可能か不可能かで言えば、可能ですからな」
「その気になったらやるでしょうな。あぁ、こんなことなら先日のうちに根回しをしておくんでしたなぁ」
賈文和がぼやくように言って、私を見る。
「私ですか?」
「どうせなら、南征を取りやめる方向で方々を動かしてもらいたかったもので」
「え?」
「貴殿は内政重視でしたな」
納得の色のある仲達さまに賈文和は肩を竦めてみせる。
「そそ、せっかく西で大勝したなら、それ使って内部固めるほうが順当さね」
「確かに今以上に西への侵攻は拙速であるとは思いますが」
「南もだって。政治工作で動かせる火種はある。だが、それが燃え広げられるかっていうと微妙なところでしょう」
何やら大人同士で意見を交わし始めた。
そして見る限り、このお二人の関係は悪くないようだ。
どちらも将来は子桓叔父さまに重宝される人材でもあるけれど、生まれも育ちもずいぶん違うはず。
(あぁ、そう言えば仲達さまも曹家の祖父の配下になるの遅かったわね。それにお身内が戦で犠牲にもなっていないんだわ)
だから許侯のような隔意は、仲達さまにはない。
それで言えば未だに敵のように扱う許侯が、厳しい対応すぎたとも思えるけれど。
「あの、結局私は思いつきを言っただけで。それが本当になるとも思えないのですけれど」
一緒に考えた相手の親である仲達さまに訴えてみる。
すると仲達さまは少し考える様子をみせた。
「正直、手間と費用と不確実性が増えるばかりだとは思う」
「う…………」
言われてみればそうだろう。
その場にいても大勢を指揮するって大変だと聞いた。
そのために訓練もするけれど、基本的に兵は専門職ではなく徴募。
つまり今まで戦って来なかった人たちが寄り集まることになる。
それを纏めるのは母が言うとおり将の器ありきになるのだ。
侵攻を計画する側からすると危険ばかりが多くなる下策。
「たぁだ、場所が悪くないさね」
賈文和は気負った様子もなく言った。
「場所ですか? 長江の上流、江夏郡辺りくらいは話したような?」
攻める土地として濡須口が狙われるのは、長江に注ぐ支流がこちらの支配地域に近いためだ。
濡須口より上流となれば、山脈を跨いださらに先は、長江が孫呉側に大きく蛇行する。
そのため、押さえても濡須口側との合流はあまり期待できない。
けれど荊州にある江夏郡は、赤壁にも通じる夏口という流れがあった。
私が目をつけたのは濡須口に比べて赤壁が近かったから、知識に浮かんだだけ。
東の海の向こうの知識では大変有名な土地なのよ。
そしてそこで起きた戦いもまた有名だし。
だったらその近くも押さえる価値はあるかと思っての、本当に浅知恵。
「仲達さまが言われたとおり、連携の取れない場所ですが?」
「ふむ、では何故そこを? 言い出したのは長姫であるはず」
きちんと大哥から聞いたらしい仲達さまが逆に疑問を覚えてしまった。
「その、荊州方面に兵を動かせば無視はされないかと?」
「はは、わかっているじゃないか」
賈文和としては、つまりそこを狙うのはありということのようだ。
荊州という場所も東の海の向こうの知識に残るくらいの要地らしい。
三年後、三国三つ巴の激戦地となる。
最終的な勝者は孫呉で、曹家の祖父は救援も間に合わない。
そしてその一端が、阿栄の父親である妙才さまの戦死にある。
「ふむ、長姫はよく知っている。ではそこが何故無視できないかは?」
なんだか仲達さまの目が本気混じりになってきている気がする。
「北部をこちらが押さえ、大半は孫呉が領有しております。けれどそこの長として居座っているのが劉蜀。侵攻があれば対応することで、己こそが支配者であると対処に出てくることでしょう。それを、孫呉は無視できません」
私としては未来における事実の羅列。
この解釈は今でも通じるようで、お二人とも頷かれた。
確か私が生まれる前からの確執なのよね。
孫権と劉備という曹家の祖父と並び伝えられる英傑二人の確執だ。
劉備は平地がない蜀を本拠地として得たからこそ、荊州の平地を手放したくない。
そのために最も信頼し、最も最強の部下を据えている。
「関雲長」
私の一言には、また頷きで返された。
この時代最強の一角で、曹家の祖父もその実力を高く評価する猛将。
それ故に自らの部下になるよう何度も口説き、けれど果たされずにいる相手。
今は荊州を守って完全に敵対している。
「さすがにそこを直接突くんじゃあいけない」
「はい、孫呉に漁夫の利を狙われるだけですね」
それくらいはわかっている。
というか、孫呉はそういう手に出ることは歴史が証明しているのを、私は知っていた。
何せ三年後に本当にするから。
曹魏と劉蜀が荊州を争うことになったところで、孫呉は後からやって来て関羽を横から討ち取ってしまう。
曹魏は関羽の計略で三万の兵が孤立し、後から来た孫呉の虜囚となり大敗。
劉蜀は関羽とその配下たち精兵が戦死してやはり大敗。
漁夫の利とは一言にいうけれど、孫呉は大変な勝利をもぎ取っていく。
「…………ふむ、ほぼ床に就いていたと聞いているのに。いったいそうした戦略眼は誰から学んだかな?」
「それほどのことではないと思いますけれど」
仲達さまは不思議そうに聞くのに、父の名は出ないのね。
ただ知識のことを言うわけにもいかないので、私は誤魔化すことにした。
「曹家と夏侯家が集まると、いろんな話を聞くのです。夏侯家からは特に戦の話が。曹家のおじいさまはよくあの時は、この時はと、かつての戦いでやるべきだったことなども語られます。あと母が寝物語代わりに兵法書を」
「清河公主は何をしてるんだか。いや、丞相閣下の長姫らしいと言えばらしいか?」
賈文和は笑った上で軽く手を振った。
「遂行可能で、直接危険を冒す目的でもない。だったら打てる手を増やしてもいい。その程度の作戦さね」
「つまり、分散侵攻などと言っても、大局は変わらないと思っても?」
「それは違うな。いや、これからまた調整が入るのだから確として言えることはないか」
「いやぁ、その前に一回程仲徳どのに戻ってもらえば楽になるかもしれないなぁ」
「あの方、下手すると好戦に回るじゃないですか。それに今ここにはいませんし」
「今内政方だから止めると思うんだけどなぁ。衛尉より適所あったと思うんだが」
賈文和の口から出た名前は知識にある。
程昱、字は仲徳。
曹家の祖父に早い頃から仕える方で、曹家の祖父よりも年上。
大きな戦では必ず助けになってくださる謀臣で、この方も夏侯の祖父と同じころに亡くなる。
ご年齢的に、あまり戦場に出す方でもない気がするわ。
では他に誰が…………あら、対呉戦の知将?
「…………満、伯寧?」
呉との戦いにおける武将を思い浮かべたら知識にあった名前だ。
つい呟いてしまった私は、遅れて口を覆う。
「あぁ、そう言えば荊州征伐に同行していたか。先年の戦いで確か汝南を任されているはず」
「土地勘があって、江夏近くの任地なら動かすのもありかねぇ。けっこうできるって聞いてるし」
私の言葉を拾って、仲達さまと賈文和が話し続ける。
不自然じゃないのかしら? 大丈夫?
どうやら杞憂だったようで、私が大人の話を聞いていたという話の後で納得してくれたようだ。
(でもこれは、本当に大丈夫?)
満寵、字は伯寧。
子桓叔父さまの時代に何度となく孫呉の侵攻を跳ね返す武将であり、まだ表立つには早い存在だった。
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