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六十二話:将軍の務め

 負け戦と知っている私は、父がふわふわ語る作戦に不安を覚えた。

 なので身内に声をかけて、お勉強会と称した作戦会議を画策したまではいいと思う。


 結果、先生として元明が来てくれたから、後からまた夏侯の祖父が不機嫌になる心配をしなくてはいけなくなったけれど。


「ではまず、濡須口の重要性について語るにあたって、南の長江の広さを少し想像してみようか」


 経験も何も足りない生徒に向かってそう、元明は語り始めた。

 言われてみれば、東の海の向こうの知識として数字では知っている。

 けれど広さを想像しろと言われても、一キロさえ私は知識でしかわからない。


「船がいっぱい並べられるくらい広いんだろう?」

「少なくともこの室よりも広い、くらいは」


 夏侯一族の阿栄と大兄も、想像が及ばないみたい。

 一番年下の小妹は後ろで聞いてるだけだから、大兄の言葉に室内を見回すだけ。


 そして手を挙げたのはわざわざ来てくれた司馬家の大哥だった。

 急な呼び出しで同じ夏侯家はまだいいわ、身内の気安さよね。

 けれど手紙のついでに聞いただけで来てくれるなんて、呼びつけたようで申し訳なさもある。


「遮蔽物もないのに対岸が見えないと聞いています。そうであるならば、都の大路を南北に見るほどの距離があるのではないでしょうか」

「もちろん川だから幅は一定ではないから、そう言った所もあるね」

「え、広ぉい…………」


 応じる元明に、大哥の弟である小小は想像ができたのか呟く。

 確かに私たちも大路くらいは見たことがあり想像しやすい。

 すでに聡明だと言われている大哥はそれだけの理由があることを示した。


 大路は都の門から真っ直ぐ王城まで続いている。

 王城の威容は真っ直ぐだけど見通すには遠すぎる大路との対比で際立つ作りだし、直線でも相当な距離があり、私なら門から王城に行くために駕籠が必須の距離だ。


「想像できたなら、それほどの距離がある水の中を船で移動するだけでも大変だということはわかるかな?」


 元明は焦らず私たちが理解しているかどうかを確かめて話を進めてくれる。


 本当に気配りのできた方だわ。

 だからこそ、結婚相手というよりも身内のお兄さんなのよね。


「濡須口から下れば、馬でも船でも真っ直ぐ孫呉の都建業へ乗り込める場所でね」


 というか元明、本当に詳しいわね。

 戦いもそつなくという知識はあったけど、あまり記述が多くはない。

 それでもこうして話しているということは、もしかしたら去年の南征に参加もしていたのかしら。


「渡れば即座に孫呉に攻撃可能な位置だ。この利点と表裏一体になってる難点はわかるかな?」


 元明の問いに即座に大哥が手を挙げるけど、負けじと大兄も挙げていた。


「司馬家の君はさっき答えてくれたから、次は君で」


 公平を考えて元明は大兄に答えを促す。


「こちらから行けるということは、敵からも来られる地形ということだと思う」

「うん、そのとおり。濡須口には巣湖に通じる川がある。船団も通れる幅と深さがあるから、濡須口を相手に取られているのは侵攻の危険を抱えているも同じなんだ」

「あ、巣湖! 合肥に砦あるって、父上が言ってた」


 元明の説明に、阿栄が手も上げずに声を大にした。


「そう、巣湖の北に合肥城があるね。今はまだあそこで侵攻は止められている。それも勇猛果敢な宿将方がおられるからだ」


 元明は指を立ててみせて私たちの注目を集めると続ける。


「実は今回攻めるのには理由がある。優位な土地を押さえていながら、孫呉は攻めてこないことがわかっているからだ」


 私たちは今までの話を否定するような言葉に顔を見合わせた。

 誰も答えがわからない、そう思った時、また阿栄が声を上げた。


「思い出した、宿将って張文遠将軍だ。孫呉の盟主を追い回したって聞いた」


 酷い言いようだけれど、該当する知識が浮かぶ。


「去年攻めて手ひどくやられたから?」

「そう、長姫も聞いていたかい」


 元明は頷いて曰く、去年、侵攻されてやり返しに南征が行われた。

 孫呉から侵攻された時、巣湖の北、合肥城まで攻め上られたという。

 その時祖父は主力を率いて西の漢中で戦っており、増援もままならない防衛戦を余儀なくされた。


「張将軍は確かな腕のある武人。けれど、かつては飛将軍呂奉先の旗下で腕を振るっていた、いわば敵方の降将でね。同じく護軍率いる将兵は古参で、直接敵対した方々だった」


 つまりはとても危険な状況だけれど味方同士不仲で、お互いに遺恨ある将兵。

 けれど反感を脇において、曹家の祖父の命令の下共に戦うことを決めたという。


 曹家の祖父が命じた戦法は、最も攻撃的な将兵を砦で守りに当てて、あえて大きな武功のない将兵と張将軍を砦の外に出して戦わせると言うもの。


「張将軍たちは精兵を引き連れ打って出ると、果敢に突撃。敵の先行部隊は会敵と同時に兵と共に指揮官を失い出鼻をくじかれた」


 先行部隊が即座に瓦解したことで、攻め上がった孫呉の勢いを削いだ。

 そして安全第一に動いた孫権を名指しで挑発。

 怒って囲まれた状態をあえて正面突破という武勇伝を作り上げたそうだ。


 私たちは話し上手な元明の語る物語に、勉強そっちのけで前のめりになったのもしょうがない。

 だって一度は突破した包囲を、取り残された仲間のために引き返してもうひと暴れなんて、聞いていて楽しいのだもの。


「盛り返した合肥城の者たちも、後続部隊が合流したことにより、またも劣勢に陥った」


 しかも勝って終わりではない緊張感。

 次には籠城戦を強いられたものの、敵同士であった者たちが互いに助け合い耐え抜いた。


 攻撃的な将軍をとどめたのは、最も兵がその戦功から信頼し団結できる者だから。

 大きな武功のない将兵は、名の知れた将軍たちの副将を務めた経験の豊富さから。

 そして張将軍に打って出させたのは、降将という立場上、最も果敢に攻めなければ居所のない者だから。


「孫呉が撤退を始めた時、張将軍は好機と見定めた。騎兵七千を率いて籠城から一転、追撃戦へと戦場を塗り替えた」


 それで堪ったものではないのが、出鼻をくじかれた上に一度は逃げられた孫権だ。

 撤退の準備が整っていない中追いかけ回されることになったという。

 しかも主力は撤退済みで救援も望めない。

 少ない将兵も果敢に戦ったが、撤退が退却になるほどの痛手を負った。


「その功を曹丞相は大いに喜び、かつての敵であったことで不安を口にしていた者たちを黙らせ、張将軍には率いる兵を増やした。その上で今、巣湖の南、居巣を守らせている」


 つまり孫呉は、勝ち戦に近い形で侵攻したにもかかわらず、主将が直接追い回されるという惨敗目前に逆転された。

 そこまで追い詰めた張将軍が濡須口を睨む位置に据えられている。

 なるほど、それは攻めたくないわね。


「さて、戦う意義はわかったかな? それではそこへ至るまでの道について話そう」

「道?」


 阿栄がわからない様子で聞き返す。

 確かに今まで聞いた武勇伝とはだいぶ方向性が違うように思う。


「張将軍が勝てたのは、その武勇だけではない。窮地、しかも反感を抱く者も少なくない中で、兵を率いた用兵の才能だ」


 元明はわかりやすく言ってくれるけれど、やはり道との繋がりが見えない。

 そして続く話は、もし張将軍の指揮に不満を持つ兵ばかりだったならば、まず勢いに乗った先行部隊に戦いを挑むこともままならないというもの。


 また敵が撤退するという安堵の中で、あえて敵に追撃をかけるという危険に従うことも嫌がるだろうと。


「先日、模擬戦を見たね?」

「えぇ、大哥たちはいなかったけれど」

「父上の都合が悪いって、いけなかったんだ」


 小小が不満げに漏らす。


「兵は人間だ。十人の人間に歩けと命じて、まっすぐ歩かせることはできるだろう。けれどそれが百人、千人と増えるだけ、纏めることは難しくなる。君たちのように個々人で歩幅も違えばやる気も違う。そこをまとめ上げて軍として運用するには、まず道を歩かせることからだ」


 私たちはお互いを見て納得してしまう。

 確かに目的もなくやれと言われて、やるような素直さは小小と小妹くらいしか持ってない。

 大兄くらい慎重になると、様子見で動かないこともあるかもしれない。


「今回従軍するのなら、戦うことの意義と共に、兵という人間を動かす実際の問題と難しさを肌で感じてみてはどうかな。君たちも将来は率いる立場になるだろうからね」


 孫子や呉子で兵法を教えてもくれた。

 その上で従軍とあって学びがあるように事前に教えを垂れてくれる。

 道、兵屯、士気、時間、反乱と将兵が気を使わなければいけないことも元明は語ってくれた。


 それらを聞いた上で、私も聞きたいことがある。


「一ついいでしょうか? 軍内で傷病が発生した時、どのように対処するものでしょう」


 この戦いでは疫病が起こるからこそ、私は対処の基本を知りたかった。


週一更新

次回:備えあっても憂いあり

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