六話:夏侯の祖父
今度は夏侯の本家に新年の挨拶に行くことになった。
我が家は夏侯家だから本当はこっちが先なんだけど、そこは曹家の祖父のほうが上で、夏侯の祖父が容認してるからお咎めはなし。
権力者の愛娘って強いな。
まぁ、その夏侯の祖父自身、新年から曹家に入り浸ってたみたいだけど。
そして私は今日も抱かれたまま移動だ。
「よう、来たな。へぇ、子林の娘ってのは随分小さいな」
「何故お前が出迎えるんだ、妙才」
体格がいい割りに威圧感がなく、気安い親戚のおじさまが玄関である大門で片手を上げている。
屋敷内からは主である夏侯の祖父が突っ込みを入れていた。
(ちょっと待って、妙才? 妙才って、夏侯妙才?)
名は夏侯淵、字は妙才。
曹操旗下、名の知れた夏侯のもう一人であり、西の戦線を任された魏軍の要。
そして三年後には死ぬ方。
(だから、どうしてほぼ顔も覚えていないような親族の死期を知らなければいけないの! そうじゃなくて!)
今は落ち込んではいられない。
この方は前線を担う将軍で、皇帝のお膝元である都で生まれ育った私はほぼ会っていない方だ。
それでも知ってるのは仲の良い大兄と小妹の祖父のような立場の方だから。
本来は大伯父に当たるけれど、大兄と小妹の父夏侯尚のさらに父親が早くに死んだため夏侯淵が養育した、らしい。
「妙才おじ上、いつ許昌へお戻りに? 西は良いのですか?」
どうやら父も帰還を知らされていなかったらしく驚く。
妙才さまは笑って自分の家のように門内へと招き入れた。
「それが、こないだの西涼との戦いで勝ったぶん封戸増やすから、挨拶に来いって孟徳さまに言われてさ」
「西涼のほうにすぐさま動ける勢力もない。こいつが離れても急な変動はなかろうとな。まぁ、その話は今はいいだろう。いつまでも庭先で話すことでもない」
夏侯の祖父がさらに中へ案内に立ってくれる。
こういうのは本来使用人がするのだけれど、曹家でも主人本人が出迎えていた。
歓迎の意としてないことじゃないからいいのかな?
(けど祖父お二人は生来なんでも自分で動くたちなのでしょうね)
確か年齢は六十代と五十代で、老いはあるけれどまだまだ動ける年齢だ。
ただ、すでに死期は近いお二人。
(勝てるのも、ここまでみたいだし)
どうも知識を見る限り今後は負け続ける。
そして三年後に大敗と言える痛打を受けるようだ。
一つは西の蜀を相手に目の前で楽しげに夏侯の祖父と語らう妙才さまが負ける。
もう一つは南の呉を相手に、常勝無敗と誉めそやされた古参の武将于禁が負けてしまう。
(救いは、どちらも名将を失う代わりに、生き残った将兵が奮闘してさらなる侵攻を押しとどめてくれること)
私は動揺しないよう気をつけながら、遠い東の海の向こうの知識を紐解く。
瞬間、後悔した。
「うぅ…………」
「おう、どうした? 子林の娘はまだ悪いのか?」
「どうも弱いらしくてな。ここまでの移動で疲れたんじゃないか?」
妙才さまに夏侯の祖父が答える。
父と母も心配して私を室内の高座に降ろした。
「ご、ごめんなさい。大丈夫です」
「無理はいけないよ、宝児。父上、火鉢を一つ宝児の側においても?」
「あぁ、構わん」
寒いわけじゃないけど父の気遣いは受け取っておく。
東の海の向こうの断熱材という物はないので、室内でも寒いものは寒い。
私は新年の挨拶のために集まったはずだけど、次々に夏侯家の人たちから心配されるばかりで挨拶どころではなくなった。
「ははは、元譲の家の奴らは心配性だな」
「よく見ろ。お前がここにいるから伯元たちも来て、長姫に餅を与えただろう」
何故か私の両脇に座った夏侯の祖父と妙才さまが頭上でそんな話をしてる。
間に座らされた私は、言うとおり心配性な親戚に温かい綿入りの衣や毛皮を与えられ、さらに体にいいというか、縁起のいい食べものやお茶を与えられていた。
そして夏侯尚こと伯元のおじさまと一緒に来ている大兄と小妹は、お茶を嫌って私に寄ってこない。
苦いのはわかるけどひどい。一度ちょっと悪戯心で飲ませただけなのに。
(というか、この家の中で一、二を争う上位者二人に挟まれて私はどうすれば?)
父母は集まって来た親戚と話をしてる。
妙才さまがたの夏侯家も集まってきているのでいつの間にやら人が多い。
母は女性陣と私の容体について話しており、父は兄弟や従兄弟と戦地の情勢について話している。
私はこのままここに据え置かれるようだ。
「あの、また戦争があるんですか?」
黙っているのもなんなので、私は父の浮気阻止も兼ねて聞いてみた。
思ったより不安そうな声が出てしまう。
けれどそれは仕方ない。
だって妙才さまが亡くなった後、父は西に遠征に行くんだから。
そこで女性を囲って母の勘気を被るんだ。
(三年、いえ、四年以上後なのは確かだけれど。あれ? よく考えたらそんな遠くない未来に父上は浮気をする?)
夫婦仲を取り持つために急がなきゃいけないことがわかった。
両親は生没年不詳で何年にどこで何をしていたかが歴史に残っていない。
色々手探りの必要があるからには、大人の話もよく聞かないと。
「次は南かな、元譲?」
「あぁ、南だろうな。お前が西涼を追い払ったから孟徳はその気だ」
「じゃあ、俺は西睨むだけになるわけか。人員整理して兵数南に増やすとかするかな。で、長姫は南に行くのか?」
「え?」
妙才さまが私の頭を撫でるのだけれど、何故私が?
驚く私に夏侯の祖父が説明してくれた。
「孟徳が出るなら家族も一緒に南に移る。俺も出ることになる。そうなると子林も兵を率いて南に行く」
「まぁ、曹家の長公主は嫌がるだろうから長姫も一緒にここに残ることになるかもな」
慣例として将軍たちは妻子を帯同して戦地に移る。
もちろん戦場にならない後方に家族はいるんだけど、一緒に行くのが普通だ。
ただ残る場合もあるし、うちは母が強権だから父だけ送り出す可能性があるらしい。
それで許される家庭環境かぁ。
「父上は、一人で行ってしまうのですか?」
夫婦仲をと思ってるのにそれはまずい。
私も一緒に行きたいけど、正直戦地って怖い。
だからって夏侯の祖父の次男が戦場を逃れるなんて体裁が悪いのは私でもわかる。
「お前の心配はわかるぞ。子林は商売なんぞに手を出して恥ずかしい息子だ。戦功を上げるために腕を磨くこともなく情けない限りだからな」
夏侯の祖父が厳めしい顔で愚痴を零すと、妙才さまが笑う。
「なんか元譲の息子たちは大人しいよな。うちの息子なんて血気盛んで誰が俺と狩りに行くってんで喧嘩するぜ」
妙才さまが子供自慢を入れて来ると、余計に夏侯の祖父の顔が険しくなった。
「金儲けに腐心するなど男らしくもない。どうしてあんな腑抜けに育ったんだ? 子林だけだぞ、みっともない」
妙才さまは笑うだけで否定しないのは、つまり親戚の間での父の評価がこれなんだ。
私は熱いような感情が湧く。
「おじいさまは、父と同じ三十の頃、いったい何をしていらしたのでしょう?」
「お?」
妙才さまが面白がる声を上げると、夏侯の祖父は首を傾げた。
「何故怒ってる?」
「お答えください」
退かない私に妙才さまは反応を見つつ教えてくれる。
「二十年くらい前だろ? 確か官途辺りで戦ってなかったか?」
それは曹操率いる軍が覇を唱えるに至った大戦の頃の話。
「いや、二十年前ならまだ呂奉先とやりあってた頃だ」
夏侯の祖父は苦々しげに訂正すると、眼帯に覆われた片目に手を添えた。
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