五十九話:告げ口
歴史に名を残す賈文和と話してわかったことがある。
このままだと歴史が、変わってしまう。
(変えたい部分はあるけれど、それ以外をどうにかしたいわけじゃないのに。えぇと、知識によると今年継承者として争いは悪化。けど南征前に曹家の祖父からの指名があって落着。そこから子建叔父さまは凋落。だからそれを止めたくて…………)
私はただ家族を、東の海の向こうの知識よりも幸せにしたいだけだ。
だから歴史を変えるなんて大それたことは考えていない。
だって生きる人もいれば死ぬ人もいるのは、私の手だけではどうしようもないから。
より良く変えたいだけだけど、それが誰かの損になってしまうの?
少なくともここで、賈文和は後の世に語られる功績が一つ減ることになる。
けれど今後のことを思うなら、曹家の祖父への諫言は行われるべきだ。
だって結局継嗣を指名するのは曹家の祖父なのだもの。
その曹家の祖父が納得しないんじゃ、歴史以上に長引く恐れもある。
(そうよ、私の両親の結婚の例があるじゃない。あれは決定を子桓叔父さまに委ねる形だった。そのせいで曹家の祖父は後年後悔を口にする。それが聞こえて丁家の兄弟は、子桓叔父さまとの敵対を選んだのだもの)
思えば人同士なのだから、影響が一方向であるわけがない。
子建叔父さまへの影響が、直接関係しなかった賈文和に波及している。
さらにここで賈文和の評価がなくなれば、後に他の人にも響く可能性がある。
この方はこの先、子桓叔父さまから信頼されて偉くなるはず。
外様であることも忘れず慎ましく、その上で決して曹家を裏切らない味方だ。
(敵なら天敵だけど、味方なら最後まで尽力してくれる。そういう方だというなら、やはりここで歴史にない状態で放ってはおけないわ)
私は考え込んで最善を模索する。
けれど長すぎる沈黙に、賈文和が話の切り上げを匂わせた。
「長姫? 疲れたかね?」
「え、えぇ。少し、けれどまだ」
誤魔化そうとしたら、目の端に大きな影が差す。
見れば、曹家の祖父の護衛をしているはずの許侯が、私を見下ろしていた。
「如何された? お加減でも?」
どうやら不自然に会話が途切れたことを、すぐに気づいてくれたらしい。
それだけ目を配ってくれていたってことでしょうけれど、完全に賈文和が身を引いてしまっていた。
体が大きく厳めしいし、愛想もない。
だから怖そうなのだけど、曹家の祖父に対する忠誠に裏打ちされた気遣いがあると賈文和ならわかりそうなもののはず。
「大丈夫です、許侯。ありがとうございます」
「いえ、何かよからぬことでも?」
言って、許侯は賈文和を見る。
その目はじっと獲物を見据える猛犬のようだ。
「まさか丞相閣下の愛孫の姫君に…………」
「いやいや、まさかまさか。姫君に模擬戦は刺激が強いと思って、あまり見ないよう話し相手を務めさせていただいておりましたとも」
賈文和は疑われて即座に返す。
そう言えば知識には許侯の外様に対する厳しさがある。
それは同じ曹氏であっても、曹家の祖父と近い血縁か信頼でもなければ席を共にしないほど冷たくあしらう。
(あ、いえ。そうね。この方は曹家の祖父を陥れた。その時に典韋という護衛の方が亡くなっている。つまり、許侯の先輩?)
一度やったからには警戒がぬぐえないと言うことなのだろう。
その機微をわかっていて、賈文和も私の相手をしていたことに二心はないと素直に弁明した。
それだけ睨まれたくない相手。
あら? つまりそれだけ許侯に対しては言葉を尽すということ?
だったら…………。
「許侯、賈文和さまは意地悪なのです」
「え?」
「何をしたのです?」
驚く賈文和に、即座に睨む許侯。
「母も嫌がった砂埃が酷いのはわかったので、こうしてお話し相手をしていただいていたのですが」
もちろん掴みに過激に言ったけど、本当に仲が悪くなってほしいわけではない。
だからできるだけ言い訳は入れて訴える。
「それで賈文和さまが今までどのような方と渡り合ったかお話を聞きました」
そう言ったら、許侯が見るからに顔を顰めて賈文和を見据える。
敵だったからには、何か曹家の祖父を悪く言ったとでも思ったのかもしれない。
けれどそんなこと言ってないし、なんだったら、賈文和は自らを下げる言い方をした。
これは当代珍しいことで、自らの功績は語ってこそという風潮が強い。
それを賈文和は目立ちたくないとでもいうように自らを下げた。
(許侯のような方に睨まれていたらしょうがない処世術なのかも)
けど今は曹家の祖父に物申すくらいしてもらわないと困る。
私だって悪戯に歴史を変えたいわけじゃないし、それで誰かが損をするというのも申し訳ない。
だからここでつじつま合わせをさせてもらおう。
「袁家との戦いは大変なことと私も聞き及んでいます。その中で、賈文和さまは献策で貢献されたと。その上で、どうやって袁家を追い落としたのかを教えてくれないのです」
「それは…………」
許侯が言おうとして口を閉じる。
賈文和は全く違う話だと気づいて面白がる顔になって黙った。
「それに、曹家のおじいさまに従うことを拒否した劉表という方。その方のことも詳しいと聞きましたのに、その勢力が何故今に残っていないのかを教えてはくれないのです」
「う…………」
許侯は完全に言葉に迷ってしまう。
だってどちらも長男を差し置いて弟が家督を継いだ末に滅んでいる。
だからこそ歴史の上では、賈文和もその縁ある二者の名前を出すだけで曹家の祖父に再考を促せた。
「おじいさまが滅ぼしたのでしょうか? それとも他の軍勢が?」
「いえ、劉表方は、降伏を…………」
「何故?」
許侯は顛末を知っている。
その上で、ここには子桓叔父さまも子建叔父さまもいるのだ。
曹家の祖父に忠誠を誓うからこそ、誰に聞かれているかわからない今、不用意なことは言えない。
曹家の祖父の心を思えば子建叔父さまを、けれど私の問いに答えれば子桓叔父さまを推すことになる。
「やれやれ、子供の好奇心には困ったものですなぁ」
そこで賈文和が口を挟んだ。
たぶんこれは、許侯への助け舟だ。
それと同時に私にも退き時だと教えるためかもしれない。
見れば、賈文和は本当に困ったような顔をしている。
「お話してくださる気になりましたか?」
「いやはや、本当に長姫だからこそのことをなさる」
「まぁ、子供の話につき合ってくださる方は多くないのですよ」
「そこはそれ、ご両親ならばいくらでも聞いてくださるでしょうに」
両親伝いに、曹家の祖父には自分から言えということかしら。
やっぱりその気はないみたいね。
けれど曹家の祖父の耳に入れる方はできたわ。
私は許侯に不満顔を向ける。
「きっとおじいさまなら、賈文和さまも意地悪はなさらないですよね?」
「もちろん」
そこははっきりと答えてくれる。
というか、そんなこと許さんとばかりに賈文和を見据えた。
「長姫…………許侯と親しいのかな?」
「いえ、今日お会いしたばかりです」
「うそぉ」
なんで疑うの?
そこは曹家の祖父という後ろ盾があるからこそじゃないかしら。
いえ、賈文和も曹家の祖父が重用している謀臣ではあるのだけれど。
許侯からすれば幼い孫の私と、老練でかつての敵である賈文和。
どちらを警戒するかと言えば、言わずもがなね。
「賈文和さまからなさった話ですから」
「いやいや、そこに行きつきます?」
「いったいなんの話をされた?」
許侯に聞かれて、私は賈文和を見る。
その顔はもう諦めに染まっていた。
どうやら許侯は、賈文和から見ても今回の話を曹家の祖父に確実に上げる方。
そうなれば、自らに下問があると予測できて諦めてくれたようだった。
週一更新
次回:心配と強がり