五十七話:晩成の謀略家
許侯の案内で、私たちは曹家の祖父の元へと辿り着く。
やはり子桓叔父さまと子建叔父さまもいて、迎えに来たはずの元仲は私の後ろにいた。
さすがに祖父と配下の前では不穏な会話はしないでしょうけれど、この二人に挟まれていた元仲が居心地の悪い思いをした理由もわかる。
(この兄弟、変に似てるのに違うんだから)
ちなみにその姉である私の母は今日、いない。
戦争に興味はないと言ってついて来ていないのだ。
あと砂埃がと言っていたけど、あれはなんだったのかしら?
「良く来たな。それではそろそろ櫓へ移動しようか」
私たち夏侯家の子供が曹家の祖父に挨拶を終えると、移動が始まった。
ここまで案内してくださった許侯は、祖父にぴったりと貼りついて護衛を務める。
私たちはそのまま祖父に続いて移動することになり、席次的な場違い感に、お互い目を見交わす。
「虎痴よ、わしの長姫の長姫は愛らしかろう。すでにおのこを引き連れておる」
そんな私たちを見て、祖父が妙なことを言い出した。
けど改めて後ろを見れば元仲は阿栄と並び、大兄は奉小と並ぶ。
つまり男子たちは私の後ろで、引き連れるという形容がぴったりの状況だ。
(愛らしさに関係なく、率いているというか、従えているというか)
これはこれで、祖父としていいのかしら?
そう思っていたら許侯が言葉少なく応じた。
「はい、とても」
肯定しただけの言葉だというのに、祖父は驚いた様子で許侯を見あげる。
「なんだ、この短時間でお主も篭絡されたか?」
「おじいさま、お言葉が過ぎます。私はご挨拶をしただけです。お優しい許侯のお気遣いでしょう」
「いえ、本心です。お美しく聡明で心奪われる者がいてもおかしくないと考えます」
真っ直ぐ見られて改めて肯定される、ちょっとさすがに照れるわ。
そう思って視線を逸らした一瞬で、祖父が私に手を伸ばしていた。
ちゃんと歩いてたのに、結局自慢げに抱き上げられてしまう。
「む、長姫よ。子琳のような穏当な者と思うたが、もしや物静かが好みか?」
「まだ私には早いお話で、お答えのしようもありません。もちろん、おじいさまのご意向は重んじますが、未来ある方に私をあてがうのは早計です」
赤くなった顔を覗きこまれた照れ隠しに、結婚斡旋拒否を口にする。
すると祖父は一瞬悲しそうに眉を下げた。
「長姫はいつでも軽いのう」
「…………まだ、これから私は成長しますから」
風邪でも死んでしまう時代なのだ。
明らかに体力のない私は、勇士の死を見て来た祖父にとって相当ひ弱に思えるのだろう。
結婚が人生の幸せという共通概念が人々にはある。
だから未婚の子が死ぬと、男女どちらでも冥婚という死後の婚姻を成就させるという儀式もあるようだ。
(もしかしたらおじいさまが私の結婚を急かすようなのは、未婚で死んでしまいそうだと思っているからかしら?)
となれば、言ったとおりこの後ぐんぐん成長してみせなければ。
いえ、未来ある方になんて、自分の命が短いと思わせることを言ってしまった私の落ち度ではあるのだけれど。
「まずは自らの力で少しでも元気に成長します。天運を待つにも人事を尽くさねば」
「その自分でどうにかしようとする辺りは夏侯家の血筋を思わせるのう」
「天運を自らに引き寄せる気概は、曹丞相閣下の影響があるのでは?」
笑みを浮かべた曹家の祖父に、許侯が淡々と意見を述べる。
私と祖父が見上げると不思議そうに見つめ返して来た。
どうやら反論でもおべっかでもなく、本気でそう思ったから言ったようだ。
そんな話をして櫓に登る時には、何故か子建叔父さまに抱えられることになった。
「おや、本当に軽い。そして薄いなぁ。姉上の様子から食べさせてはいるんだろうけど」
「こ、これから、これから私は大きくなるのです」
子建叔父さまの後ろにいた元仲はともかく、その後ろの阿栄が疑いの目を向けて来る。
自分が健やかだからってこのぉ…………。
阿栄は遠慮なく、また困ったことがあれば盾にしてしまおう。
そうして私たち子供は、曹家の祖父と同じ場所だけど末席に座らされた。
血縁とはいえなんの地位もないし、曹家の祖父のすぐ近くを歩いていたことが特例のようなものだ。
そんな中、さらに血縁も薄い奉小は緊張ぎみのよう。
実は曹家の祖父とはあまり関わりのない大兄も緊張している。
さらに言うと、遠目に見ることはあっても同じ空間にいることのなかった阿栄も…………いえ、阿栄はこれから始まる模擬戦に胸躍らせているわね。
「こういう度胸は阿栄が一番ね。あなたたちも戦に興味があればもう少し別のことを考えていられるでしょうに」
「興味がないわけじゃない。ただ、重要なのはそこじゃないってだけで」
「うん、けど長姫が言うことももっともだ。変に意識しすぎてなんの収穫もなしじゃきた意味もない」
声をかけたことで少しは緊張がほぐれたらしく、大兄と奉小は肩の力を抜いた。
こんな風に上手く相手の気持ちを動かせるようになりたいものね。
初見でこなす家妓にはまだ遠いわ。
「ここは櫓の奥のほうで見にくいけれど、立っていいのかしら?」
模擬戦が始まった時のことを懸念すると、前にいた老人が振り返る。
「交戦が始まれば立っても気にされないから、こっちに来て見るといい。よく覚えて、後から棋譜でも作ってどんな作戦が行われていたか考えるのもためになるだろう」
「まぁ、ご親切に。お名前をいただいても?」
「何、名乗るほどの者でもない。ただの新参の老骨さね」
新参という割に、曹家の祖父より年齢が上に見える。
しかも同じ櫓にいるのだから、それなりの地位がある方だ。
親戚ではないし、体つきから自ら剣を取って戦うようにも見えない。
そんな老人は、模擬戦が始まり、弓兵による一斉射撃の後、兵士同士が打ち合う頃になると本当に前の席を私たちに譲る。
ただ私は立ち上がる砂ぼこりを嫌って奥から動くことはしなかった。
(母上の言ってたのはこれね!)
大勢が下で動き回っているせいで、櫓の上まで砂を含んだ風が巻き上がっている。
「さてはて、これは甲軍が勝って終わる。それまで少し話し相手をしてくれまいかね?」
席を譲った老人が、動かなかった私の隣に来てそんなことを言う。
「何故甲軍が勝つと?」
「最初の兵の一歩さね。上から見ているとよくわかる。足並みをそろえるという言葉があるだろう? 従って進む、それが軍全体でどれほど合わせられるかが重要になる。数は力だ。その数を力にするには呼吸を合わせる。合わせさせるのが将の器というもんだ」
「つまり、甲軍の将のほうが良く兵を動かせると?」
「そう。将の意気込みがどれだけ兵に染みているかだ。勝つ、そのために戦う。その意欲を兵にも伝え行動に移らせる力が必要になる」
滔々と語る姿は、軍略に慣れた経験から来るようだ。
(なのに新参を謳う。つまり、歳を重ねて別勢力からやって来た方。その上でこうも丞相である祖父に近く、謀臣として用いられている方…………)
東の海の知識に該当があった。
新参と言っても十年以上仕えている。
ただこの方であれば、信頼されていながら曹家の祖父から離れている理由もわかった。
「賈文和さまにおかれましては大変有意義なお話をありがとうございます」
「くっくっ、さて、何処で気づいたか聞いても?」
「ご想像にお任せいたします」
面白がる様子で、言外に肯定する。
この方は曹家の祖父と敵対した軍師。
名は賈詡、字は文和。
しかも奸勇曹操に勝ち続けた人物。
そして勝ち逃げする形で味方になった人物だった。
「ふーん、武人は見慣れてるだろうから謀臣とみるな。丞相閣下に侍りながら新参とのたまったことで、降伏した者であることは想像できるとして」
賈文和はきちんと私の思考を捉えて呟く。
この方、散々敵対した後に、このまま敵に回るより旧悪を流してくれる今、厚遇される好機と主君に降伏を勧めた曲者だ。
実際袁紹と大規模な戦いをしていた曹操は、降伏直後から主人共々厚遇する。
さらには袁紹に痛手を受けさせる献策まで行い、評価もされた。
(あら? この知識は…………赤壁?)
赤壁の戦いと呼ばれる大規模な南征の際、賈文和は時期尚早であると止めた。
内を良く治めてから武力行使を行うべきだと言ったが取り上げられず、結果として兵を出したが大敗して終わったのだ。
この方が今回の南征をどう思っているのか、興味がわく。
私も同行するのだから、安全を図れる情報は喉から手が出るほど欲しかった。
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