五十五話:花に嵐
ここのところ私は忙しい。
夏に向かって活気が出てくる季節だから、誰も忙しくはあるだろう。
とは言え、他人と会うことが格段に増えたことは、寝台から起きられない日もあった私には正直色々消耗する体験だった。
その上で、我が家はまたとんでもない客人を迎えることになる。
「おぉ、ずいぶん顔色が良くなったものだな、長姫。だが盛りの花も青嵐一つで落ちることがある。よくよく気をつけて過ごすのだぞ」
「はい、おじいさま」
「なんでまたお前がいの一番に抱き上げるんだ」
やって来たのは曹家の祖父と夏侯の祖父で、どちらも身分と地位が高い方。
なのに暇なんですか?
花が私だとすると、嵐はおじいさま方かもしれないんですよ?
どうして揃ってるんです?
そして私を抱き上げて取り合いし始めるんです?
父は頼りにならないにしても、母は少し止めてくださいません?
「お二人でどうなさったのですか?」
しょうがないから聞くと、夏侯の祖父は当たり前に曹家の祖父を見る。
どうやら言い出したのは曹家の祖父らしい。
となると、最近のことなので心当たりが私にもあった。
「元明一人のつもりがずいぶんな数の者たちが集まったと聞いてな。長姫に気疲れが出ていないかと心配したのだ」
「元明さまには楽しいお話聞かせていただきました。皆でせがんでしまったので、あちらのほうこそお疲れかと。どうか、私よりも元明さまを労ってください」
押しつけようとしたけど、曹家の祖父は上機嫌になるだけだった。
「うむうむ、あやつは慎み深いが話せばこれが面白い。長姫も親しみ、長く、う…………」
突然曹家の祖父が呻く。
見れば、夏侯の祖父ががっしり肩を掴んでいた。
曹家の祖父は比較的小柄だ。
戦いに生きて決して華奢ではないが、逆に周りを歴戦の猛者が囲むとどうしても小さく見える。
「まずこちらに話しを通せと言っただろう。何してるんだお前は。うちの子だぞ」
「わしの孫でもあるわい」
どうやら元明を送り込んでのお見合いは、夏侯の祖父は知らされていなかったようだ。
慌てる父に比べて白っとしてる母。
これはたぶん、母のほうから夏侯の祖父に教えて、今回釘刺し役にしたのだろう。
「子桓の奴も司馬家や荀家の子らを会せていたのにわしだけ咎めるとはどういうことだ」
「安心しろ。今度子桓にも言っておく」
あんまり聞くとは思えないけど、夏侯の祖父は止める側に回ってくれるようだ。
身内感覚とはいえ、曹家としても一番の味方が夏侯家なのだから、その当主に等しい夏侯の祖父を蔑ろにはしないだろう。
「父上、宝児も才知に長ける諸子との交流で元気になっております。あまり制限を課すのも、気力の持続に影響するかと」
ここでまさかの父が曹家の祖父の肩を持つ。
けどそれ、子桓叔父さまの勝手も認めることになる、つまり悪手だ。
母も余計なことをと言わんばかりに見てる。
確かに仲良くしてますけどここで言わなくていいんですよ、父上。
「なるほどなるほど。長姫に良い影響を与える才子か」
そしてそんな隙を見逃さない曹家の祖父。
遅れて気づく父に、夏侯の祖父は脇に拳を入れた。
小突くっていうのかしら、軽いんだけど剣を握る方だからなかなかに硬い音がする。
ここはもう私がどうにかしないと、曹家の祖父は私の結婚斡旋を正当化してしまう。
母は表立っては言わないけど、吟味はしたいようだ。
父は紹介でいいみたいだけど、それで上の世代が揉めるのは止めたい。
そして夏侯の祖父は夏侯家として取り仕切る形にしたい、と。
「お話もよろしいですが、先日、荀家の奉小に虎賁の鍛錬の見学に誘っていただきました。大兄たちと孫子と呉子で語らったこともあり、あれも興味深く思ったのです」
一人を上げないように気をつけながら、私はまず話を逸らしてみる。
「司馬家の大哥と曹家の元仲さまはよく覚えておいでで、阿栄も名を受けることを目前に熱心に参加していました」
これ以上増やされても困るので、一緒にいた全員が才子ですよと上げた。
できればそのまま私以外の話に移ってほしい。
「あぁ、阿栄か。あれはなぁ、もう少し落ち着かないものか。いっそ、珍しく才あるのだから文を伸ばせばいいというのに」
夏侯の祖父はよく会うので、思うところがあるようだ。
その惜しむような声は本気が宿っている。
確かに夏侯家で文芸方面に才ありと評価される者はほぼいない。
夏侯の祖父自身、曹家の祖父や子桓叔父さまにやいやい言われていたし。
その惜しがる姿に本気を感じ取ったようで、曹家の祖父も笑う。
「妙才の子であれば、似たのであろう。あれも前に出る癖がいつまでも抜けん」
「まぁ、自分でやったほうが早いという気持ちはわかる」
「わかるな。もういい歳なのだから後ろでどっしり構えておれ」
「…………お前が言うな」
祖父たちのやり取りで、東の海の向こうの知識が浮かぶ。
次の南征で、曹家の祖父は一軍を率いる大将として前にでる。
夏侯の祖父は後方で拠点を維持するけれど、どちらもこの許昌の都という最後方に残る気がない。
どっちもどっちだと思うわ。
と言うか、どちらも四年後には病に倒れるというのは、無理をし過ぎたせいかも?
もっと安静にしていたら寿命は伸びないかしら?
「あの、私は父上はもちろん、おじいさま方にも、怪我はしてほしくないのです」
ちょっと狡いとは思うけど、上目を使ってお願いしてみる。
心配は本当だし、怪我してほしくないのも本当。
これで少しは慎んでくれたらいいのだけれど。
「ふむ、そう言えば南に同行すると言っていたな。となると初めての行軍か」
「落ち着いているとは言えまだ子供だ。恐ろしい思いをしてしまうかもしれんな」
祖父同士で何やら話し合い始める。
これはいける?
「よし、では模擬戦を見学させよう。あの騒音も慣れれば必要以上に怯えることもなかろう」
「はい?」
「甲軍、乙軍に別れて戦うふりをするのだ。大勢が武具を纏うとそれだけ音と振動がすごいぞ」
「いいえ、それはわかっていますが、え?」
曹家の祖父と夏侯の祖父は乗り気になっている。
「もう少し早ければ春の叙勲で人もいたが、さて誰を将に立てる?」
「逆に鈍っている者たちに喝を入れるためにも、いる奴でいいだろう」
「であれば今さらよ。ならば初陣の者でも組み込んで副将に立てるか」
「普段前に立たない者を将にしてもいいだろう? 丞相府には机にかじりついてばかりの者も多い」
「む、確かに鈍っとるかもしれんな。だが、業務を増やすとわしが突き上げを食らう」
「そこは自業自得だ。あぁ、いっそ子桓にやらせるか?」
「子建のほうが乗り気だからのう。子桓を放り込むと出て来るぞ」
「それは面倒だな。さっさとはっきりさせろ」
「いや、その辺りも自ら立ってこそであろう?」
「無駄な争いを生んでどうする」
「争いであれなんであれ、経験がないことが一番恐ろしいものよ」
…………あの、私、そろそろ降ろしていただけませんか?
なんか、とんでもないことを聞いた気がするんですが?
両親を見ると、明らかに父は目が泳いでる。
やっぱり今、なんか部外者が聞いちゃいけないことを言ってたよね?
そんな父を諌めるように、母が横から突くけど余計におろおろしてる。
「それで長姫、共に観戦したい者がいれば呼ぶといい」
曹家の祖父が皺顔で微笑む。
気のせいじゃなく、やっぱり私に見せるためにやるの?
そして将を立てるとかって、本当に軍を立てての模擬戦ですよね、だいぶ大掛かりな。
もう祖父たちの言葉から決定事項なのはわかる。
これ嫌がって見せて私が行かなくてもやる。
だったら…………この機会を有効利用させていただこうじゃないですか。
「きっと、阿栄にはよい経験になるでしょう。それに、奉小にはお礼も兼ねて誘いたいです。大兄や大哥もきっと興味を持つのではないでしょうか?」
呼べそうな人たちを巻き込む方向で名を上げた。
ごめんなさい。
でもいきなり戦争に近いこと実践してみせますなんて、一人では無理です。
し、死人なんて、でないよね?
考えたくないよぉ。
(あぁ、私、大事に育てられてるんだなぁ)
二千年も後の世界で、ようやく戦争なんて知らない人々が生まれて死んで行くことになる。
そんな人間と同じ感覚でいられたのは、近いはずの死と過酷さから守られているから。
私はそんなことに思い至り、感謝しつつも早く降ろしてほしかった。
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