五十二話:鶏肋の心
虎賁の訓練見学をしていると、そこに仕事中らしい人が現われた。
つまりは朝廷に務めていて、虎賁のような兵士関連の部署に出入りする、武官?
もしかしたら皇帝に直接お仕えする方ってこともあり得そうだ。
私は相手がわからないけれど、できるだけ丁寧に礼を取る。
すると小妹も倣い、大兄と奉小も続いた。
「これはご丁寧に。そう、荀家の末子が見学と聞いていましたが、あなた方が」
「はい、我が長兄の名の元に許可を得ています」
奉小が応じる。
柔らかい応答から、どうやら特にこちらを見咎めたわけではないようだ。
けれど目は何かを探るように周囲へ動いているのが気になる。
私の視線に気づくと、何もなかったかのように相手は名乗った。
この方は、丞相府に仕える楊徳祖さまというらしい。
つまり曹家の祖父の部下だ。
(…………知識に、あるわね。楊修、字は徳祖。子建叔父さまの両翼の一人?)
子桓叔父さまとの継承者としての争いにおいて、子建叔父さまには派閥を形成する両輪と呼べる者たちがいた。
すでに会ったことのある丁氏兄弟と並んで、この楊徳祖さまが両輪の片側を担う方。
名門の出身でよく働き、曹家の祖父にも愛顧されたという。
何より察しが良く、後に曹家の祖父が鶏肋と呟いただけで意図を察したとか。
(鶏肋、捨てるには勿体ないけれど食べる身も少ないという意味を読み解いて、軍を撤退させる準備をした人か。その察しが良すぎることから一年後に処刑される…………うぅ、乱世とは言え味方は大事にしてほしいわ)
けれどすでに働き過ぎで疲労しているのは顔色でわかる。
よく働く方にしても働き過ぎなのではないかしら。
まぁ、戦争に次ぐ戦争の時代だもの。
今も新たに派兵の準備で忙しいのでしょう。
楊徳祖さまはそんな丞相府で用兵に必要な雑事を処理する部署の方だというのだから。
そして子建叔父さまと仲がいいそうだ。
つまり、私を知っていた噂の出どころは考えるまでもない。
「子建叔父さまと親しいと聞き及んでおりますが、どのような噂をお聞きなのでしょう?」
私があえて聞けば、何故か大兄と小妹が目を逸らす。
待って、本当になんで?
そんなとんでもないことをしてないはずでしょ?
「いやいや、今を時めく曹丞相の愛孫の姫君を知らぬ者はおりませぬよ」
あからさまなおべっかではぐらかされたわ。
そしてそれは私にとって嬉しくない言葉よ。
今でも大人たちが結婚だなんだってうるさいのに。
どうしてこの歳で、もう結婚相手を見繕わないといけないのかしら。
それがおかしい時代じゃないのはわかっているけれど、恋愛が自由な未来の知識を持っているとお友達から始めたい気持ちになる。
「しかし、こうして仲睦まじくされている姿を見ると、丁家の願いは叶わないようですな」
私と奉小を見比べて、そんなことを言い始めた。
けれど実際は、私の一番側にいるのは小妹。
なのにあえてそう言う意図は、奉小相手への持ち上げしか思いつかない。
「丁家よりも司馬家のほうが…………いえ、そうですね。比べればまだ機会もあるはず」
奉小が自分で言ってやる気になってしまった。
私としてはやめてほしいのだけれど、それを見て楊徳祖さまは話題を広げる。
「ほう、司馬家。しかし荀家は勝るとも劣らない格式がある。お身内方も立派に仕えられる方々ですし。年長者を見習うことであなたもきっと立派な丈夫となりましょう」
子供を褒めて伸ばすその姿は、歴史に残る博識で勤勉、そして謙虚な人柄に合致するように思える。
けど、なんだか引っかかるわ。
どうしてかしら?
「子建叔父さまも私の相手を推されたいそうですが。楊徳祖さまはそうしたお話をいただいてはおりませんか?」
「我が家は才媛と聞く姫君を求められるほどの身内もなく。恥ずかしい限りです」
子供の私相手に下手に出る姿は確かに謙虚だ。
けれど、逃げたようにも見える。
今の時代、血縁は木の根のようにいくらでも広がっている上に、政略結婚で他所から養子を得るということも行われる。
それなのに自分は辞退して、奉小は嗾ける?
まるで競い合わせることで、司馬家と揉ませようとしているように思えた。
さらには大兄を無視するような形で一言も声をかけていないことが、私の引っかかりであることもわかる。
(大兄の家の地位としては曹家と近い夏侯家。無視する理由が何かあるはず。私も夏侯家だけど祖父が違って…………あら?)
知識には楊徳祖さまの家は漢王朝で高位につき続けた名門であるとある。
つまり、袁紹と似たような家柄だ。
軍閥として自立した袁紹と違い、献帝が曹家の祖父に保護された今も漢王朝に仕え続けているのが楊徳祖さまの家らしい。
(もしかして、夏侯家でも私の祖父が漢王朝の臣だから?)
それで言えば今は亡き荀令君もそうだった。
身内も虎賁という皇帝の直属に位置している。
(確かに物腰は偉ぶらないし褒めることもすれば退くこともする謙虚。けど、主義思想がないわけじゃないんだわ)
鶏肋を察したその才能であれば、この奉小を相手にして大兄を蔑ろにする状況もわかっているはずだ。
(大兄も奉小も、一族を宰領するような立ち位置じゃない。けれどそうした者に確実に近い。この二人に軋轢ができれば必ず一族に影響する。それがわからない方とは思えない)
深読みかもしれない。
けれどこの方、子桓叔父さまと交流せずに子建叔父さまとだけ交流を続けているのだ。
疑ってかかれば、そんなあからさまなことする必要があるだろうかと思える。
自ら子桓叔父さまに睨まれに行くようなものだ。
それは謙虚な人柄と言われるところと矛盾する。
それとも友人は自分で選びたいということかしら?
けれど実際、子桓叔父さまが仲達さまと密談の時、この方の名前が出ていた。
つまり弟よりも蔑ろにされていることを、子桓叔父さまはわかっている。
それは翻って弟である子建叔父さまへの敵愾心に繋がるのではない?
「お兄上に助言をいただいてもよろしいのでは? 子建さまも長姫の叔父上でもあるのですから、手助けも得られることでしょう」
ここで奉小に子建叔父さまを勧めるの?
確かに奉小の兄は子桓叔父さまとは良好な関係ではないし、実はあの方、大兄の父親と仲が悪い。
反対に子建叔父さまと奉小の兄は、仲が良く親交が絶えることはないと歴史にもある。
うーん、どう見ても人間関係を揉ませようとしているようにしか思えなくなって来たわ。
(せっかく子建叔父さまが別の手を考えて退いてるのに…………まさか、丁家兄弟が鈍くなった今も子桓叔父さまと対抗させようとしているの?)
揉ませるだけなら別に誰が後を継ぐかという話でなくてもいいのかもしれない。
ましてや子桓叔父さまを挫く方向でなくてもいい。
いっそ私の結婚の主導権争いでしこりを残し、後の関係を悪くさせれば、曹家は内から弱まる。
この方が本当に察しが良いなら、私が思いつくことくらい考えられるはず。
(東の海の知識を探れば楊家の先祖についてもあるわね)
四世太尉、徳業相継と讃えられる名門。
つまり、四代に渡り漢王朝の高位に登った上で、徳業と讃えられる性情が子孫にまで受け継がれたと言われている。
そして出てくる言葉が名儒、儒教者としての名士だ。
先を考えると皇帝を退ける子桓叔父さまと合うはずもない思想信条。
ただ、子建叔父さまもその辺りは同じ考えなのに推す理由は何か?
(文学批評を子建叔父さまとやったという記述もあるから、仲が良かったことに嘘はないのでしょうけれど。やっぱり黒にしか思えないわ)
私は俯き始めた大兄に気づいて、堪らず声を上げた。
「楊徳祖さまはよくよくお話のお上手な方ですのね」
こちらを見る楊徳祖さまは何かに気づいて笑って見せるけれど、それは誤魔化しだ。
「どうやら曹家の祖父がお気に召す方のようです」
「それは喜ばしいことですな」
「えぇ、曹丞相が特別にふれを出して求められた一悪の才人なのですから」
笑って言えば、奉小は驚き、大兄と小妹は困惑しつつも、改めて楊徳祖さまを窺う。
人材狂いと揶揄されることもある曹家の祖父は、才能があれば犯罪歴のある人間でも登用するとふれを出したことがあった。
「…………これはこれは、姫君のご不興を買ったようだ。私も曹丞相に求められる働きをせねばなりませぬな」
「えぇ、おじいさまは阿りなんて聞き飽きてございましょう。反骨を隠しもせず働くほうがまだ見栄えがしましてよ」
楊徳祖さまはそこで初めて笑った。
今まで笑ったような表情だっただけけれど、今は疲労の滲む顔色なのに心から破顔する。
「なるほど、あのご兄弟が行く末を気にかけられるわけだ」
そう言って、礼の姿勢だけは完璧に、楊徳祖さまは去って行った。
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