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五話:将来のために

 国とか王朝とか、私には大きすぎる。

 だからまずは目の前のことを解決することから始めよう。


 そう決めた私は、部屋でお勉強中だ。


「はい、お待ちなさい。そこは読み方が違います」


 相手は母。清河公主と呼ばれる地位を持つ分教養も深い。

 そして手元には木の板を短冊状にしてつづった木簡という巻物を持っていた。


 そこには古文のような難しい文言が描かれていて、それを丸暗記するのが私のお勉強。

 母も幼い頃に覚えて諳んじられる。

 だから木簡を持ってるのは私なんだけど。


(お、重い…………)


 巻けばそのまま木に戻るくらいの太さになるんだから、重いに決まってる。


 無闇に東の海の向こうの国で普及していた電子書籍という物を知ってしまったせいで重みが余計に恨めしい。

 いっそ紙ならいいのに。


 ここにも紙がないわけじゃないけど高級品だし、勉強で覚えるのに書いて覚えるなんてもったいないことはできない。


(使い捨ての物なんてないんだから当たり前だけど。丸暗記っていうのも辛いなぁ)


 文言を覚えたら意味を説明してくれる。

 それもまた丸暗記するんだけど、わざわざ母がすることでもない。


 他の家では家庭教師を雇っているそうだ。

 小妹に聞いたけど、刺繍とかのお裁縫も必須で、我が家がやってないのは針が危ないかららしい。


(五歳ごろに指差して血が出て以来、母が持たせてくれないのよね)


 大事にされてるけど、ちょっと過保護かも?

 ただもちろん愛情は感じてるのでこれはあまり問題ではない。


「あら、詩作について? 宝児も興味がある?」

「どんなものかわからないです。母上もお上手ですか?」


 勉強の合間にこうしてお話もできるのは嬉しいのだ。

 乳母に任せる高位の女性は多いけれど、母は私を溺愛しているからこそ自分の手で育ててくれる。


 そのさまが余計に曹家の祖父や叔父から愛娘扱いを受ける理由なんだろうけど。


「私も父上には劣るのよ。子桓と同じくらいかしら。曹家で一番は子建ね」

「子建、叔父さま」


 名は曹植。

 生存している曹家の祖父の三番目の息子。


(そして子桓叔父さまと後継者争いをすることになる人だぁ!)


 また余計な知識が湧いていた。

 しかも今が西暦二百十六年だとすると、今年から後継者争いが激化する。

 翌二百十七年に子桓叔父さまが改めて後継者に指名されるけど、その後子建叔父さまのほうは周囲を巻き込んでの没落…………。


(また顔を合わせる時反応に困る知識が。孫世代もだけど、子世代も華々しい成功とか、いえ、そうでもないか)


 私が知識に意識を向けると、出て来るのは漢王朝の終焉について。


 私の年頃の人間が生きている間に、王朝は漢王朝から魏王朝に、そして晋王朝へと変わる。

 これはこれで人の栄枯盛衰。成功と言えば成功の結果なんだけど…………。


「おぅ…………」

「あら、疲れた?」


 私が今後の激動を思って呻くと母がすぐに木簡を取り上げる。

 重いのはわかってたようだ。


 そこに父が顔を出す。


「勉強中かい? 少しいいかな?」

「なんですの?」


 私には優しい母だけれど、父にはちょっと当たりが強い。

 そして周囲にはもっと当たりがきつめだ。


 なんというか基本上からで、曹孟徳の愛娘として下におかれない生活で身についてしまった態度である。

 同時に父にも曹家が上という夏侯家の立場が染みついてるので特に不満はない様子。


「うん、夏侯家にも挨拶に行きたいんだけど、宝児を連れて行ってもいいかな?」


 自分の実家に娘を連れて行くために許可を求める下手具合だ。


「えぇ、夏侯のお義父さまにもお約束しましたから。けれど、宝児の体調を優先しますわよ」

「それはもちろん。では父に訪問予定の文を送るよ」


 用件だけで出て行こうとする父。

 それは夫婦として、家族としてどうなのか?


「父上」

「どうした、宝児?」


 呼んだら反応して足を止めてくれる。

 別に私たちに興味がないとかじゃなく、不器用な遠慮だと思う。

 だったらこっちから引き込めばいい。


「子桓叔父さまが、果物を贈ってくださると言うのですが、以前いただいた桃は何処から得たものですか?」

「以前?」

「おととしの夏、宝児が暑気あたりを起こした時にあなたが持ってきたではないですの」


 母のほうが覚えている。

 これはもしや母も父に興味がないわけではない?


「あれはちょっと都外に出る用事があって、行った先のむらで新鮮で旬だし美味しそうだったから」


 あ、子桓叔父さまが考えたようなことはなかったのか。


「なんですか、破邪の果実なんて気の利いたことをすると思えば」

「え、あぁ、そう言われてみれば」


 母も呆れると、父は困ったように後ろ頭を掻いた。


「それで、どうして子桓が宝児に果物を?」


 気の利かない父を脇に置いて母が促してくれるので、好きな果物から桃の話になったことを説明した。


「蜜柑に葡萄に、あのお二人は本当に好きだね」

「好きはいいですけれど、人の好きなものをあからさまにこき下ろすのはやめてほしいものです」

「母上?」


 母がむっとしているので聞いてみると、果物談義は以前もあったらしい。


「私は茘枝が好きなのに、子桓ったら味が薄いだ、甘みも酸味も何もかも足りないだと好き勝手…………!」


 思い出したらしく母は両手に拳を握って怒り始めてしまう。

 私は父と一緒に困って様子を見るしかない。


 いえ、これはいっそ目の前の問題を解決する好機では?


「父上、母上が美味しいと言ってくれるような茘枝を探してさしあげてください」

「あ、あぁ、南のほうの果物だね。商人に当たってみよう」

「…………茘枝は香りが良いのです」


 途端に怒りを治めた母の要求に父は頷く。

 その様子に私は確信した。


(きっと今ならまだ、母も殺したいほど父を憎んでいない。だったら、今からなら二人の仲を私が取り持つことはできるはず。家庭問題という目の前の問題は解決できるかもしれない)


 ただ不仲から母が父を憎む要因はもう一つある。


(父が遠征に出て女の人を囲うこともたぶん悪化の原因なんだよね。だったら、その遠征をどうにかできないかな? 遠征、征伐、つまり…………戦争?)


 難しいかもしれないと思うけど、父が不倫なんて私も嫌だ。

 この父を嫌いになりたくはない。


 そのためにはできることをやろう。

 不思議な夢でありえない知識を得た時には、世界が変わってしまったようで怖かった。

 でももしこれを手に入れた理由があるなら、きっと目の前の二人の幸せのためだ。


「あなた、夏になったらまたその桃を手に入れていらしてね」

「あぁ、そうだね。茘枝も夏の果物だったかな? 子桓どのに聞いてみよう」

「子桓叔父さまは果物好きなのですね」


 それは私の幸せでもある。

 決して誰かが死ぬことを先取りで怖がることじゃない。


 そう思って、今はこの家族の団欒を楽しもう。


週一更新

次回:夏侯の祖父

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[一言] ”木の板”でできた”竹簡”とは?
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