四十七話:歴史と実態
曹家で集まりがある理由は、来年に予定している南征のため。
票の取りまとめや戦意高揚、色々思惑はあるだろう。
そんな中で曹家の祖父が私に会わせる目的で人を送って来た。
その名は秦朗、字を元明。
「これは、長姫。お初にお目にかかります。おや、夏侯家の兄妹がいるとは聞いていたけれど、これはこれは…………」
第一印象は大人しめな方。
暗い感じはないし、形容するならおっとりとした様子だ。
二十歳前くらいになるはずの元明は、私に挨拶をする途中で別に目移りをした。
「まさか元仲さまがいるとは知りもせず、ご挨拶が遅れましたことお詫びいたします」
元明は元仲の姿に気づくと、即座にその前に膝を突く。
「やめてください。あなたは父の兄弟同然に育てられた方。僕をことさら敬うなんて、そんな必要ありません」
「そうはいっても、丞相閣下からの恩顧あればこそ、お血筋の方は皆私の恩人ですから」
にこにこと笑みを絶やさないのに、そのへりくだり方がまだ年若い元仲相手に異常なほどだ。
「なぁ、本当に…………」
「ちょっと、阿栄は黙ってて」
「お見合いは気にし過ぎじゃないか?」
元仲と一緒に泊まりに来た阿栄が余計なことを言おうとするのを止めたら、大兄も私に囁いて来た。
血縁の者たちを呼んだ理由はお見合い対策。
曹家の祖父が曹家の集まりに際して家内の者を親戚の家に預ける。
その中に、夏侯家であるうちを指名した上、曹家の中でも姓の違う方を送って寄越すなんて、裏を疑わない方がおかしい。
(そう思ったのだけれど、元明は元仲ばかりに目が行ってるわ。でも恐ろしいのはこの時代、十歳差なんて結婚の言い訳にならないのよね)
近いところでは司馬仲達さまで、奥さまとは十歳差がある。
出産で死ぬのも珍しくないこのご時世、その分妻も子も多く若くというのが当たり前だ。
「長姫のお父上を思えば、似たような雰囲気のお方に思えます。長姫のお相手としてよろしいのではないでしょうか?」
「やめて、小妹。私は確かに父上は好きだけれど、好みの男性かどうかは別の話なのよ」
私が小妹に言い聞かせていると、大兄と阿栄が揃って納得する様子で元明を見ている。
本当にやめて。
性格が良くても将来を思うと心配になる方なのよ。
秦朗と言う人物についての知識を、私は見てしまった。
遠い東の海の向こうで残っている書物の名前は、魏略佞臣伝。
元仲が皇帝となって愛顧された上で、褒められることを何一つしなかったことで無能と断じられる人物だ。
(父上も歴史では酷い扱いでしか残っていないわ。けれど佞臣とまでは言われないのよ。…………まぁ、そこまでの逸話残ってないせいかもしれないけれど)
父と違って、元仲が生きている間は活躍する。
ただ素行が悪いと周囲から訴えられて、元仲が死ぬ間際に免職されるのだ。
その後、何をしていたかは残っていない。
(いえ、いっそその頃に大人しく田舎にでも行けば安泰なのかしら? でも夏侯家は晋王朝に変遷しても残るし政治に関わるから…………)
私はこちらを見る大兄と小妹を見返した。
この二人、しっかりがっしり司馬家の政治的な動きに左右される人生だ。
そんな先を知っているのに、私一人田舎に逃げるなんてできない。
「なぁ、何が不満なんだ長姫は?」
「わからない。長姫の行動の意味は後からわかることばかりで…………」
阿栄に聞かれて応える大兄。
阿栄はわからないから単に聞いてるだけだけど、大兄はわからないからこそ考え込んで答える。
私より近い血縁同士なのに、ずいぶん違う二人だ。
「ほら、僕のことはいいから。お世話になる家の者である長姫にもきちんと挨拶をしなければ」
元仲がなんとかこちらへ注意を向けることに成功したせいで、私は元明と目があう。
もう少し考える時間欲しかったわ。
ただ警戒していたけど、普通に挨拶をして終わる。
特に語ることもなく、ましてや父の悪評や母との力関係にも触れず。
(な、なるほど。この踏み込んでこない空気感。元仲が好きそうね)
元仲は本人がぐいぐい前に行くタイプじゃない。
阿栄も深く気にして突っ込んでくることはないし、私が子桓叔父さまに対してぐいぐい行った時に便乗した程度だ。
そんな人たちを好んだからこそ、私みたいなのに相談することになったんでしょうけど。
もう少し周囲の人選どうにかしてほしいわ。
「こちらも自己紹介したばかりですので、少々皆で親睦を深めませんか?」
私は一番年長の元明も含めて、その場の全員に提案した。
元仲は大兄に含むところがある。
けれどその原因となったはずの阿栄は気にせず、親戚の気安さで大兄に絡んでいた。
そこは歳の近い親戚同士、不満もあるけど特別嫌ってはいないのだ。
血縁ってそういうものだけれど、元仲の生活環境を少し覗いた限り、曹家の中でもあまり親戚づきあいしていなさそうなのよね。
そんなことを考えながら、私たちはお客のために用意した前庭沿いの棟へ案内した。
ここでは私が接待役を務めなければいけない。
「楽でも奏でて場を賑わせましょうか?」
そう気負っていたのに、何故かお客さまの元明が気を使ってそんなことを言い出す。
「その必要はありませんよ。元明さま」
「けれど長姫はあまり丈夫ではない。君こそ座っていたほうがいい」
逆に気遣われてしまった。
しかも夏侯の側の三人が頷いてしまうから元仲まで心配し始める。
「妹も元気だと言ってちょっと無理をすると、すぐに寝台から動けなくなる。長姫も慢心はいけないんじゃないかな」
「私は少し元気にしてますから」
よくお見舞いに来てくれる大兄と小妹が私に物言いたそうにしてる。
その視線に気づいた元明は、優しく私に向かって微笑んだ。
「大事なこのお屋敷の長姫であられるあなたが腰を据える前に座ることなどできませんよ」
そう言って私が座らないと自分も腰を落ち着けないと言い出す。
気遣いだとわかるからこそ、私は仕方なく従った。
対応としては抱えて運ばれるよりもましなものだ。
(歴史では曹叡が微罪で民を処刑しても諌めないとか書かれるらしいけれど。けどこうして気遣いをしてくれる方なのね。もしかしたら優しく言いすぎて曹叡の行動に影響与えなかった?)
結果としては皇帝の悪事を前に、是正もしなければ改善させる意思も見せない無能と、ひどい書かれようなのだ。
けれどもう一つ知識に浮かぶ記述がある。
それは、諸侯の間を遊び歩くというもの。
ただ目にすると、そう言う人には見えない。
(お見合いでなければ送り込む理由がわからないわ。何かあるなら人となりを知ったほうがいいかしら?)
曹家の祖父には可愛がられているらしく、そこは歴史にも残っている。
私にお見合い相手として進めるだけの何かがあると思ったほうがいいのかもしれない。
「では少し頼らせていただいてもよろしいでしょうか?」
「えぇ、もちろんです。あなたは曹丞相のお孫さまですから」
どうやら元仲ほどではないにしても、私も敬い対象らしい。
同じく曹家の娘を母に持つ大兄と小妹が違うのは、曹家の祖父の孫ではないからか。
「諸侯と親しくなさっているとか。珍しいお話を聞かれることはありますか?」
「実は、そうした話をお聞きすることが楽しくて、遊び歩いております」
ちょっと悪戯っぽく答える元明に、男子たちが食いついた。
「諸国のどんな話を?」
「諸侯は誰の所に?」
「西での父上の話知ってますか?」
この時代、戦争でもなければ生まれた場所を離れないし、私も含めこの場の誰もまだこの許昌の街からでたことがない者ばかり。
そして元明は慣れた様子で私たちの年代にもわかりやすく話を聞かせてくれる。
何処そこに有名な人相見がいる、何処そこで仙人が怒って禍を起こしたなど、ちょっと不思議系の楽しめる話を選んでくれた。
(気遣いができて、他人を不快にさせず、話も上手い。これは遊び歩いているというより、呼ばれているのかも知れないわね)
そして年上で落ち着いていて気も優しく主張も強くない。
これはやっぱり、曹家の祖父が私を狙って相手を見繕って紹介しているようにしか思えなかった。
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