四十六話:娘の顔
春から初夏に向かう頃。
「長姫、寝込むことが多いと聞いたけれど、元気なようで良かった」
我が家に元仲がやって来て、付き添いで一緒に阿栄はご愛敬だ。
問題はすごく元仲がニコニコなこと。
「はぁ、私の見舞いよりも、妹君の話し相手にでもなったほうがいいと思うわ」
はい、季節の変わり目で寝付いてました。
小食なほうだから体力が足りず、季節について行けないとすぐ寝込むことになる。
できるだけお散歩してと思っても、まず食べて来なかったことで小さい胃袋をどうにかすることが先かもしれない。
そんな大したことのない私を見舞うよりも、妹の相手をしてほしいところだ。
「そこ行って、子桓さまとお会いしたんだと」
「阿栄…………!」
代わって阿栄が答えたら、元仲は赤面してしまう。
「別に、妹の所に見舞いに行かない代わりとかではなく、私は長姫のことも心配で」
妙に気に入られたわね。
手紙の時点で何故か見込まれていたけれど。
実際に会ってさらにぐいぐい来るようになった理由は、子桓叔父さまを動かしたこと。
物理的に手を引いただけなのに、元仲にはできないことだからって。
(普通に父上に甘えればいいだけだと思うのだけれど)
距離を縮める、それだけで言いたいことを言いやすくなるはずだ。
そう思って勧めても、元仲はできないと固辞する。
十を過ぎた男の子には難しいのかしら?
「そうだ、母から手紙を預かってきている。あとで清河公主さまにもご挨拶をしないと」
甄氏からもこうして元仲が来る度に丁寧なお手紙をいただく。
元仲の尊敬は私の母にも向いており、やっぱり理由は、子桓叔父さまに物を言えるかららしい。
しかも母の一言で子桓叔父さまが興味のなかった甄氏との娘にも目を向けたことが大きい。
「私たちに構うくらいならお父上になれるところから始めたら?」
「それも、長姫と清河公主さまのお蔭でもあるのは、変わらない」
「子桓さまも変だよな。自分の娘が美人だって気づかないなんてあるのか?」
元仲が言い訳する姿に、阿栄はそもそもの疑問を上げた。
実は元仲の妹のお見舞いに行った時、子桓叔父さまは形だけ行くか程度。
それでも妹君は喜んで、ぞろぞろ大人数で突然訪れたのに、いっそ初めてのことで大喜びだった。
それだけでも愛らしいのに、私の母が…………。
「母上も、私を引き合いに出すことないのに…………」
思い出しても溜め息が出る。
母は妹君を見て、将来美人になると言ったのだ。
(しかも、私よりもと。確かに元仲に似てすでに美しいわよ? だからこそ私とは比べないでほしいわ)
それだけでも母の親馬鹿が恥ずかしいのに、子桓叔父さまは言われて初めて妹君の顔形の美しさに気づいたという、また目も当てられない事実が発覚した。
親の欲目という言葉もあるのに、どうやら子桓叔父さまは逆に、欲がなさすぎて美人だという事実を失念していたのだ。
「まぁ、子桓さまも変な人だよな」
はっきり言ってしまう阿栄に、元仲がびっくりしている。
阿栄は阿栄で、もしかしたら今まで曹家ってことで遠慮してたのだろうけど、ここは我が家、夏侯家だ。
気を抜いているのだろうけれど、甘いわよ。
「阿栄、たまに子桓叔父さまが先触れもなくいらっしゃることあるから気をつけて」
私が忠告した途端に、阿栄は両手で口を覆って室内を見回す。
部屋に控える侍女と家妓は忍び笑いを漏らしながら、廊下を確かめて誰もいないと応じてくれた。
「ふぅ、さすがにこんなこと言ってるってばれたら父上にげんこつ食らっちまう」
「妙才さまの、痛そうね」
比喩じゃないとわかるだけ余計に、現役の武人のげんこつは相当だろう。
「他にも長姫が妹に耳うちしていただろう。あれでよく、父上が訪れるようになっているんだ」
「まぁ、妹君はちゃんと詩の暗唱をなさっているの?」
実はもっと会いに来てほしいと言われたのだ。
私は体調で無理なことが多いから、逆親馬鹿な子桓叔父さまを呼ぶ言い訳を教えた。
それが詩の暗唱。
これは練習につきあってもらう、成果を聞いてもらうという段階ごとに呼べる言い訳。
私も寝台で暇を持て余すと母が来て詩を教える、そして暗唱できるようになったら父にお披露目と言って呼び寄せることができている。
(紙も高価で希少。木の板や布に書くにも有限。だからこそ口伝えの暗唱は一般的なのよね)
なのに遠い未来、東の海の向こうでは、もう紙さえ必要とせずに文字を読めるようになることを、私は知っている。
なんだか信じられないような未来だけれど、そんな二千年先があるんだと私の中には確信があるのだ。
我らながらおかしな気分を覚える。
「それで、妹も才媛である辛佐治さまのご息女と同じように養育できるのではないかと期待されたようで」
「え、誰?」
阿栄はわからないようだけれど、私には知識に該当者がいた。
ご息女の名前は辛憲英。
有名なのは、司馬家が権力を握る際の兵乱で、敵対する曹家方にいた弟に助言し延命させたこと。
他にも魏軍内部での反乱を予見して、息子に言い含めて生還させている。
(つまり後に才媛としての言行がある方ね。今才媛と知っているのは、親しい人のみかしら)
それで言えば辛佐治さまは、子桓叔父さまの与党の両輪の一人。
仲達さまと同じように支える方で、娘の才能を話していてもおかしくはない。
実際辛佐治さまは太子として地位の固まった子桓叔父さまが、珍しくはしゃいだことを娘に零すことが歴史に残されている。
それを聞いた娘は、このご時世に魏王を継ぐことを憂うべきだと呆れたとか。
(私としてははしゃぐ子桓叔父さまを見たいけれど、言っている内容は全うね)
というかもしかして、私が賢いとかまっていたのは、親しい臣下の娘が才媛だったから?
「やっぱりご自身の子女に構っていてほしいわ」
「いや、それは…………少し、控えてくれてもいいと思うんだ」
どうしてそこで当人である元仲が嫌がるのかしら。
「いいじゃない、父上が好きでも」
「そうだよな。父上かっこいいって言えるほうが気楽だよな」
この話題に関しては、阿栄は私の味方だ。
妙な葛藤のある元仲は、形勢不利と見て話を逸らしにかかった。
「うちは、いいんだ。これから、だから。それよりも、曹家で集まりがあるのは、長姫も聞いているかい?」
「えぇ、我が家でも人を預かることになっているわ。今までは私が寝付いていたから断っていたのだけど」
逸らされたのはわかっているけれど、他人ごとではないので乗る。
親戚が集まると、一族の当主の家に宿泊するものだ。
その時には、元から住んでいる家族が近くの親戚の家に泊まりに行くことがよくある。
我が家は夏侯家で、もちろんそういう集まりはあるけれど、今まではお断りしていた。
それが許される清河公主の威光と、私の病弱さだ。
だけど今年は私が比較的元気であることから、受け入れという話をしていた。
そうしたら、何故か曹家の祖父の耳に入ったらしい。
(いえ、普通に夏侯家の祖父から伝わったんでしょうけれど)
両家の仲の良さの象徴のような祖父たちだ。
そこから何故か曹家の祖父が人を泊めるからと、我が家に家族の預かり先の打診が来た。
「…………元仲さま、その時我が家に泊まりに来ます? 阿栄もついでに」
「え、どうしていきなり?」
「確か大兄と小妹も呼んでるんだろ? そんなに嫌な奴が来るのか?」
「嫌というか、あからさまにお見合い目的っぽくて、壁になってくれる人が欲しいなと」
実は送り込まれてくる相手、曹氏ではない。
私と比較的年齢は近いけれど年上で、未だ許嫁もおらず、才覚は曹家の祖父が愛顧するくらいにはある方らしい。
母親が曹家の祖父と再婚したために養子となった方で、その名は秦朗、字は元明。
のちに佞臣伝という分類に記される、方だった。
週一更新
次回:歴史と実態