四十五話:父との違い
結構話し込んだ私たちは、甄氏の元にいるはずの母の元へ向かった。
元仲と阿栄は私を見送りに同行してくれている。
「案内の者に頼めばいいだけなのに、そんなに心配しなくても」
私を見送ると言い出したのは阿栄だ。
「だって長姫、自分でほとんど歩かないし。何処かで倒れても困るだろ?」
「倒れません。最近は調子いいんだから」
「けれど、先日も倒れたと聞いているよ」
元仲が言うのは後宮の後のことだろう。
阿栄がそら見たことかと言わんばかりの顔をしてるけど、これは否定できないわ。
そんな話をしながら甄氏の室へ戻ると、中から思わぬ声が聞こえた。
「姉上は何処であっても女主人のように振る舞われる」
「あら、主人として自らの不甲斐なさを悔悟する可愛げがあなたにあったかしら?」
嫌みの応酬にしか聞こえない会話に私は慣れてきてしまったけれど、阿栄は目を丸くしていた。
元仲に至っては喉に何か詰まったような苦しげにも見える表情を浮かべている。
「失礼いたします。ただ今戻りました」
これ以上言わせないよう、私はあえて声を上げる。
すると案の定、私の母に悪態を吐いたり吐かれたりしていた子桓叔父さまがいた。
「長姫、それに元仲と、妙才おじのところの」
私と一緒の二人を見て、子桓叔父さまは意外そうな顔をする。
阿栄は慌てて礼を取り、遅れて私もと思ったら母がその前にまたきついことを言った。
「出迎えもせず、女ばかりの室に先触れもなく入り込む相手に挨拶はいりませんよ」
どうやら事前に報せずきたようだけれど、ここは子桓叔父さまの家ですよ。
なるほど、母が女主人のようだと言われるわけだわ。
「阿栄もいたのね、そんなところにいないでお入りなさい」
母も夏侯家の集まりで知っているので、気安く声をかける。
それを本当の女主人である甄氏は止めない。
元仲はこっそり子桓叔父さまを窺ってるようだ。
子桓叔父さまは姉である私の母の様子を眺めているだけで、元仲には一瞥をくれただけ。
どう見ても親子の対応じゃないわ。
(もう少し二人を近づける? けど元仲は父親としてよりも子桓叔父さまそのものを苦手にしてるような気がするし)
せっかくの機会だけど無理をしてもこじれるようにしか思えない。
そんなことを考えていたら、母が阿栄と元仲を見比べて苦笑する。
「こうしていると、子桓の幼い頃を思い出すわ。勇ましいところが阿栄は叔権に似ているわね」
しみじみとした様子で母が口にした叔権とは、阿栄の兄で妙才さまの三男にあたる方。
もう十年以上前に亡くなっているはずだ。
「何故、阿栄で子桓叔父さまを思い出すのでしょう?」
私の問いで、子桓叔父さまはようやく気づいたと言わんばかりに頷く。
「あぁ、叔権とは確かに幼い頃から行き来をしてずいぶんと交友を深めていたものだ」
言って、元仲と阿栄を見る目は、似てるだろうかと言わんばかり。
そして当の元仲は目を瞠って無言のままだ。
(そこまで子桓叔父さまに似ていると言われるのが嫌なの? ただ親戚関係が似ているというだけなのに?)
関わらないならそれで関心もないけれど、引き合いに出されると嫌だという、なんとも複雑な心境のようだ。
「そんなに似るのは嫌なもの?」
「俺は兄貴よりも長生きするから、似てるっていうのはちょっと」
私が呆れて口にすると、阿栄もさすがに付き合いがある分元仲の心情がわかるようで、苦笑を浮かべて話の矛先を逸らすという、今までにない高等なことをしてみせる。
「あら、そういう意味ではなかったのよ」
母は否定するけれど、史実を思えば叔権という早世の兄より若く戦死してしまう阿栄だ。
「姉上、丈夫であろうとする者ならば、何者かの後塵を拝すような言われ方は不服もあろう」
ここで子桓叔父さまが阿栄の肩を持つ形で言葉を挟んだ。
そこには本気の色があり、元仲が似てると言われて不服であるさまと似ていた。
もういっそ似ているというか、同じことをしている次元ではないかしら。
(あら、けれどこれは、もしかして?)
私は思いつきを確かめるため言ってみる。
「そう言えば、子桓叔父さまはあまり卞夫人には似ておりませんね。…………けれど、曹家のおじいさまに似ているところがあります」
「何…………?」
言った途端、子桓叔父さまが今までにない反応を示した。
すぐさま私を見据えて問い質す。
「何処が似ているというのだ?」
はい、不服そうです。
何処がと素直に言っても、これは元仲と同じく素直に受け入れてはくれなさそう。
「…………私に甘いところですね」
一番当たり障りのないことを言った途端、母が噴き出した。
「ふ、ほほほ、似ているではないの。父親の轍は踏むまいと黙って足元を睨んで、何処までも高く手を伸ばしている辺り」
さらには母がずばりと言い切る。
子桓叔父さまの表情からして言われたくないことだったのは明白だ。
曹家の祖父の父曹嵩は、売官のそしりを受ける人物だった。
だからこそ曹家の祖父は自力でのし上がることを良しとしている。
そして子桓叔父さまは、そんな曹家の祖父の漢王朝へ追従したまま地位を築いたことを覆すという未来がある。
そう考えれば、やっぱり母の指摘も禅譲を前提にした内容で、これは子供が聞く話じゃない。
(あ、元仲の表情が…………。これは話の内容から禅譲の意思に気づいたわね)
ただその横の阿栄は、なんで不思議そうなの?
私の視線に気づいて、声を低くする。
「なぁ、父上に似るってそんなに嬉しいことじゃないのか?」
「似たいところもあるけれど、似たくないところもあるものよ」
私が答えた途端、阿栄は何かに気づいて納得し頷く。
いえ、そのとおりなんだけど、私の父上を貶されたようで、なんだか釈然としないわ。
そうして目を逸らすと、顔を顰めたままの子桓叔父さまに気づく。
いつもなら笑うところだけれど、その余裕もないほど嫌なことを言われた気分のようだ。
後塵を拝するというほどには、父親である曹家の祖父と同じ扱いが不服らしい。
(せっかくいるし、少しでも情持ってもらわないとこの家族は修復不能すぎるわ)
今この時、喋っているのが私たちだけで、元仲も甄氏も子桓叔父さまと言葉を交わさないという異常な状態のままなのだ。
そんな言葉の足らない状況を思っていると、父の顔が浮かぶ。
それは私が熱で寝込んでいる姿を心配そうにのぞき込む姿だ。
思いついて手を打つと、図らずも全員の視線が私に集中した。
ちょうどいいので笑顔で提案する。
「そんなに違うほうがいいのでしたら、今から曹家のおじいさまがなされなかったことをしましょう」
「ほう、何をする気だ?」
「子桓叔父さまもお聞きになったでしょう? ただ、娘を見舞うことです。私の父上もなされる簡単なことですよ」
皇后の姉にあたる、子桓叔父さまからすれば異母妹のことで、曹家の祖父とお墓参りに行った時、十分に見舞いにも行けなかったと零していた。
私は子桓叔父さまの手を引き、場所を聞こうと甄氏に目を向けた。
何故かひどく驚いているし、声をかけられる雰囲気じゃない。
そう思って元仲を見るけれどこっちも同じような状態だった。
「…………こちらよ、宝児。確かに父上は、三十代の頃はお忙しくて見舞いなどできなかったわね」
母が本当に女主人のように、勝手知ったる様子で立つ。
「まぁ、一理はあるか。確か、少しは良くなったと聞いたな」
室の外へ出ると、足が遅いせいか呟いた子桓叔父さまに抱えられる。
子桓叔父さまの肩越しに室が見えると甄氏は目元を拭い、元仲はそれをじっと見ていた。
やっぱり、見ている方向は違うけれど似た者親子だと思える。
せめて一緒にいる時間を増やすことで、興味を持つところから始めてほしいものだ。
それが、甄氏の未来を繋ぐ一助になってほしかった。
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