四十四話:死に逸る
余計なことを言おうとした阿栄の口を塞いだ元仲。
私が一つ息を吐きだすと、阿栄を解放した。
「ありがとう、長姫。その、少し、気が楽になった」
「そう、良かった。色々言ったけれど、別に親だからと好きにならなくてもいいと思うのよ」
「えぇ? なんで?」
私の言葉に阿栄が早速声を上げる。
「親だって人それぞれでしょう? 私は私の父上が好きだけれど、阿栄、もしあなたの父が妙才さまでなく私の父だったら好きになれたと思う?」
「無理!」
全力否定…………。
予想していたとはいえ、ちょっと私の頬が引き攣る。
元仲は遅いけれど、また阿栄の口を塞いでくれた。
「阿栄、君は近く字を貰うんだろう? もう少し大人としての立ち振る舞いを覚えたほうがいい」
元仲がさすがに苦言を呈す。
すでに元仲は字を貰い成人はしていて、その落ち着きを見れば阿栄にまだ成人の証である字が与えられないことも納得だ。
そして、これは使えそうな対比よね?
「ねぇ、私このまま阿栄が戦場へ行くのがとても心配だわ、元仲さま」
口を塞がれ言い返せない阿栄だけれど、目が合えば如実に不服を物語っていた。
どうせそんなことないと訴える言葉は予想がつく。
私は相手にせず元仲に目を向けた。
「妙才さまの足を引っ張るくらいならまだ父として許せるでしょう。けれど」
「一軍を任された将としては、悩ましいことになりそうだね」
元仲は私の言葉の先を察して頷いてくれる。
「妙才さまがすぐには連れて行かれなかった理由がわかってしまうの」
「うん、そうだね。長姫が言うとおり、文章の練習にしても兵法書を勧めておけば良かったかな」
そんな私たちに阿栄が口を塞ぐ手をどかして異議を唱えた。
「俺はちゃんと馬だって乗れるし、騎射なんかは褒められるくらいだぞ!」
「そうじゃないのよ」
「そういうことじゃないんだ」
思わず元仲と同じ言葉が口を突く。
さすがに同時に言われて阿栄もたじろいだ。
「じゃあ、どういうことだよ?」
「あら、妙才さまの重荷になることは避けたいのね。良い心がけだわ」
「夏侯将軍もそうだけど、兄上もいらっしゃるのだから怒られないようにはしたほうがいいかもしれない」
妙才さまは、ご自身の子息をすでに戦地へ同行させている。
つまり阿栄よりも年長者は、父についてすでに戦場を経験済みだ。
阿栄が遅くとも三年後に初陣すると考えると、身内で補助できるいい具合の時期。
それに今はまだ勝ちの後で余裕があると思っているだろう。
だから心配する元仲にも深刻さはない。
(私だけが、妙才さまと一緒に阿栄が帰らないことを知っている…………)
それは胸塞ぐ事実だ。
けれど、だからこそ、今ここで少しでも生きる可能性を上げておきたい。
私はこの手のかかる従弟おじが、嫌いではないから。
「まずはそうね…………、阿栄。妙才さまが仕切る戦場へ行って、あなたは何をするの?」
「もちろん、夏侯妙才の息子として功を挙げて名を打ち立てる!」
拳を握って阿栄は真っ直ぐ声を上げた。
大変元気が良く、ただの男の子の夢なら手放しで応援していただろう。
けれどこれは夢の話ではない。
実際に戦場へ行く阿栄への問いなのだ。
「違うわ。そんな心持ちで戦場へ行っては邪魔でしかないわよ」
そのため、私は容赦なく笑顔で否定を突きつけた。
元仲も考えながら頷く。
「確かにまだ戦場を知らない阿栄が戦功に焦って前に出ても、ね」
「けど俺、兄上たちもいるから、最初に頑張らないと!」
阿栄なりに考えがあって口にした目標らしい。
そして焦りは兄に対してだという。
すでに実績を立てている兄がおり、そこに成人したての自分が合流するのはわかっているようだ。
そして父を思い、誇るからこそ、兄よりもと逸る。
(その結果が、妙才さまの戦死に続いて、撤退もせずに敵陣に突き進むなんて…………させられないわ)
海の向こうの知識によれば、妙才さまといる阿栄の兄は、戦場から生還している。
将を失った軍を、他の副将たちと連携して撤退戦を指揮。
蜀軍からそれ以上の侵攻を防ぐという最低限の働きを行っていた。
後に、父親の仇敵の国に亡命したと謗られることになるけれど…………。
えぇ、そこはまた違う問題だもの。
後の夏侯氏が陥る司馬氏との政権争いよりも、今は目の前の阿栄だわ。
「阿栄、無理をして失敗して尻拭いしてもらうのと、慎重に自分ができることを選んで学び、ここぞという時に功を成すの、どちらが妙才さまは喜ばれるかしら?」
「長姫が言うとおり、焦っても経験の差は埋まらない。夏侯将軍だって、阿栄がいきなり怪我をするようなことをしてほしいとは思わないだろう? もちろん僕も阿栄には無事に戻ってほしいと思っている」
「そんな下手打ちやしないって…………」
元仲も諌めるけれど阿栄は不服を隠さない。
妙才さまについて話すと勢いはなくなるけれど、それでもまだ改める様子もないと。
「そうねぇ、阿栄は妙才さまが勝ち続けていたと思っている?」
「そりゃ、生きて今も勝ってる」
「いや、それは違う。袁本初との戦いを聞いたんだろう? だったらあれがとても大変で、一歩間違えば負けていたかもしれないことも聞いたんじゃないか?」
まず兵数が違った。
皇帝を抱き込んだとはいえ、曹家の祖父には敵が多い。
全力を北の袁本初に向けることはできず、それでも動かせる兵と物資を投入しての大戦だったという。
知識によれば、妙才さまも守っては退き、退いては敵を追い返してと危うい攻防を演じている。
「負けもあるのに、妙才さまが今勝てているのは何故だかわかる? 生きているからよ。負けても生きて、功よりも軍を率いるという役目をこなしているからじゃない?」
「阿栄、焦って今の一度だけで功を立てるなんて考えるほうがまずいんだ。今は負けても、その負けを雪ぐ功を立てて勝つ。そのほうがずっと、夏侯将軍のお役に立てるやり方だと思う」
私と元仲の説得に、阿栄はまだ不服顔だ。
けれど武芸を誇って言い返すことはなくなった。
もうひと押しかしら?
「阿栄は自分のために功を立てたい? それとも妙才さまのお役に立ちたい?」
「…………父上に、自慢の息子だと言われたいのは、どっちだと思う?」
自分でもわからないらしく聞き返してきた。
その素直さに、私は思わず笑う。
「褒めてもらうにはまず生きていないと駄目じゃない」
阿栄は何かに気づいたように私を見る。
「そうだよな、長姫も生きてるからあんなにみんなに褒められたもんな」
どうやらお正月からの私の生還を言っているようだ。
曹家でもそうだったけれど、夏侯家の集まりでも私の快復を喜んでくれた。
それは生きてこそのこと。
だから、拭えない罪悪感が胸をよぎる。
(もし定軍山で阿栄が自ら死地に行くことがなくなっても、妙才さまは…………)
そちらを止めるすべが今の私にはない、戦場にも行けない女なのだ。
けれど、この阿栄は同じ場所にいける。
「そうだわ、阿栄!」
「な、なんだ?」
勢い込んで声を上げて驚かせてしまったけれど今はいい。
「すぐさま功が上げられないなら、いっそ妙才さまの危機に駆けつけて助けられるように動くのはどう? 妙才さまを狙う敵をいち早く察知するとか、生き残るための逃亡経路を常に確保しておくとか。逸って動いてはいけないからお邪魔にはならないし、上手く窮地を脱すれば絶対功になる働きよ」
私はその場に行けないけれど、少しでも阿栄が気をつけてくれればもしかしたら。
「俺が、父上を助ける…………? なんか、いいな、それ…………」
不服顔ばかりだった阿栄がようやく笑う。
これでもしかしたら、阿栄は安全圏にいてくれるようになるかもしれない。
それと同時に、少しは妙才さまも生き残れる可能性があるのではないかと思えた。
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