四十二話:両家の従兄
甄氏と挨拶をして部屋で少しお話をしたら、母はそのまま奥様会話。
私はというと、別の部屋へと移動していた。
「あら、阿栄? 来ていたのね」
「おぉ、本当に出歩いてるんだな、長姫」
そこには後に夏侯栄となる親戚がいた。
妙才さまの息子で私の同年代であるため、親戚で集まるとよく顔を合わせる相手だ。
ただ、ここは曹家であり、曹叡こと元仲の部屋だった。
「今日長姫が訪ねて来るということで、呼んだんだ。やはり七つを過ぎた男女ではあるからね」
文通をしていた元仲と、今日は改めて顔合わせの予定だった。
正直幼い頃に一度会ったかなという程度で、お互い親戚とあまり顔を合わせないために初対面にも等しい。
(理由の一端は勝手に親戚や知り合いの家にふらふら行く子桓叔父さまよね)
一家の主に連れて行ってもらえないところに、妻子だけでそうそう行くものでもない。
曹家の祖父が呼び集めることもあるけど、そこは私夏侯家だからあまり行かないこともあるし。
お正月から文のやり取りを始めて、春になった今、ずいぶん親しんだ。
けれどこうして顔を合わせると、ちょっと怯んでしまう。
(聞いてはいたけど…………か、顔がいい)
両親も言っていたけれど確かに顔がいい。
子桓叔父さまは特別崩れた容姿でもないし、甄氏は敵方の夫人であっても見初められるくらいには美貌だ。
その二人のいいところだけを集めて整えたような顔が元仲だった。
上品で中性的な上に物静かなせいで、いっそ作り物染みた様子もある。
「男女だとか元仲は気にし過ぎじゃないか?」
「阿栄が拘りなさすぎるのだと僕は思う」
それでも阿栄と喋る姿は仲の良さが窺える。
血縁としては元仲が私の従兄で、阿栄は二歳上のはとこ叔父に当たった。
同年代なのは、私と元仲が姉弟の第一子であることと、阿栄が私たちの祖父よりも年下の父を持つ五男であること。
阿栄の兄にあたる妙才さまの三男の方は、すでに亡くなっているけれど子桓叔父さまと年齢が近く、友人同士だったという。
「元仲さま、阿栄の無礼、同じ夏侯としてお詫びいたします。どうか、今後とも友誼を結びおきください」
「もちろん、とても良い友だ。無礼も僕が許していることだから気にしなくていい。これからも共に育ち、共に人々のため努めたい」
「硬いなぁ。しかも長姫、いつも以上に大人しくてなんか怖い」
「お黙り」
阿栄に私はついいつもの調子で消してしまった。
文でしかやりとりのなかった元仲が目を瞠る。
「普段はどんな様子なんだい?」
「お聞かせするようなことはありませんわ」
言おうとする阿栄を睨んで黙らせ、私が答える。
けれどそれだけで元仲は何かを察したようにうなずいた。
「力関係だけはわかった」
「別にそのような…………。阿栄が遊びに誘って書も読めないと言う者がおり、叱ったことがあるくらいで、力関係など」
その相手は大兄で、私の一つ上だから阿栄とも年齢が近い。
何より同じ妙才さまの家系で私よりも気安い間柄だ。
ある時、文才がありながら妙才さまのような武功を求める阿栄が、一緒に学べと言われた大兄を誘って外遊びに抜け出そうとした。
大兄は書を読むことも書くことも苦ではないし、従兄叔父という関係性から強く断れない大兄に助けを求められたのが私だ。
どちらも夏侯家とは言え、格としては私の夏侯の祖父のほうが上扱い。
さらに夏侯家が主家とする曹家の公主を母に持つため、私は強く出ても許された。
「あぁ、阿栄を邪険にすると聞いた。長姫を盾にしてまでとは、…………」
なんだか元仲が悪いほうにとる。
阿栄を見ると目を逸らされた。
どうやら思うとおりに遊べないことを愚痴ったようだ。
相手にされない、断られる、逃げられるというようなことを言ったのは想像できる。
だから邪険といったんだろうけれど、当事者の私からするとだいぶ受ける印象が違う。
「いや、だって…………あいつすぐ、自分は勉強してますっていい恰好しようとするから」
「実際しているでしょう?」
「一緒に勉強を忘れて遊んでた時も、俺が無理に誘ったみたいに言われてさ。違うとか言ってくれてもいいのに、自分は怒られない位置取りできたからって何も言ってくれねぇし」
私の表情で察した阿栄が不満を漏らす。
確かにそれは大兄が計算高いように聞こえるけれど、普段の行いがあるでしょう。
「確かに大兄に狡いところはあるわ。けれどそれは阿栄の普段の行いを見て、付け入る隙があることも大きいことが前提じゃない?」
言って私は閃く。
(ここで阿栄に軽挙を諌めることができれば、未来を変えられるかもしれない)
阿栄こと夏侯栄は、三年後にある戦争に参加して戦死する。
定軍山で妙才さまが討たれて、他の将軍から撤退を勧められたけれど、戦うことを選んだ。
つまり、逃げることや体勢を立て直すということは考えずにいる。
今立ち回りや挽回できるということを理解してもらえれば、妙才さまは救えなくても阿栄だけでも帰って来てくれるようにできるかもしれない。
「阿栄よりも、君が言う大兄が悪いと思うけれど」
元仲はどうやら仲の良い阿栄の肩をもつらしい。
そう思ったら東の海の向こうの知識が浮かんだ。
(あぁ、大兄は将来、この元仲さまに冷遇されるのね)
直接の理由は、後に皇帝となった元仲の皇后、毛氏の弟への態度が悪かったこと。
それで腹を立てた元仲が左遷して、在位の間は取り立てることはなかった。
ただ一応大兄こと夏侯玄にも理由はある。
実は正室でありすでに妃に取り立てられていた方が、皇帝となる元仲にはいた。
けれど元仲は身分の低い毛氏を寵愛して、正室を無視し皇后に取り立てるのだ。
毛氏は自らの一族を厚遇し、弟は相応の立ち振る舞いを身に着けていない人物でありながら、出世街道にいた夏侯玄と並ぶこととなる。
それでは夏侯玄も納得せず、態度に表して左遷された。
「元仲さま、普段から言いつけを守っていた者が一度過ちを犯した場合と、何度も叱られていながら同じことを繰り返す者。同じことをして、同じだけの罰を求めますか?」
「回数は関係ない。同じ罪なら同じ罰だ」
「では、一人殺した者と、一家全てを殺した者も同じ罰なのですね?」
「それは…………」
案外、一人殺したくらいでは処刑されない。
けれど戦乱の世であっても、戦場でなければ大量殺人は死をもって罰とする。
私は元仲が黙った隙に阿栄へ言葉を向けた。
「阿栄、別に文才を伸ばすために詩歌ばかりを見る必要はないのよ? 曹家のおじいさまは、その文才で兵法書に注釈をお書きになっているわ。学べばやるべきこともわかるようになるはずよ。その一歩を嫌がっているままでは、いつまでも叱られてばかりになるわ」
「でもさぁ」
「そこであなたが率先して叱られる理由を改善しなければ、悪いのは保身に走った大兄ではなく、そもそも怒られる理由を放置したあなたになるのよ」
阿栄は助けを求めるように元仲に顔を向ける。
もちろん元仲も仲良しを庇う様子を見せた。
つまり私の言うことは聞き入れない。
そして自分が正しいと思ったことを通す。
それではまるで…………。
「子桓叔父さまのよう。案外似ているところがあるのですね」
思えば正妻を無視して皇后を別に立てるという所業も同じだ。
そんなただの感想だったのに、言った途端、元仲は息が詰まったような顔をする。
阿栄を庇うことも忘れて何も言えない。
同時にその表情はあまりにも悲壮だった。
顔立ちが整っているせいで、そんな表情一つでひどく印象的になる。
「え? 大丈夫ですか?」
「うわぁ、元仲どれだけ子桓さま嫌いなんだよ」
驚いたのは私だけではなく付き合いのある阿栄も目を瞠るほど。
しかもはっきり言ってしまったせいで元仲は頭を抱えてしまう。
顔かたちで悪いことをしたようにも思ったけれど、確かに言ってしまえば親子仲が悪いだけの話ね。
「…………似て、いる? 僕が?」
ただ漏れる声もまた悲壮。
あまりの動揺ぶりに私も戸惑うしかない。
これはもう、阿栄の性格を矯正するという話をしていられない雰囲気だった。
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