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四話:果物談義

 お菓子に呻いた私を、曹家の祖父はようやく降ろした。

 私だけを坐具に座らせて、祖父二人と叔父の三人が床に屈みこんで私を覗き込む。


「菓子がまずかったか? 子桓の選びが悪かったか?」

「私のせいにしないでください。父上の揃えた菓子がまずかったのです」

「いや、だから孟徳が振り回したのが悪いだろう」


 好き勝手にいうけれど私は答えられない。


(あなたたちが死ぬのわかって心の整理が尽きませんなんて言えないし、普通に悲しいけどいきなり泣いたらもっと困らせるだろうし)


 あと普通にお菓子は甘くておいしい。

 なんの甘さかはわからない。

 東の海の向こうの知識では砂糖というものがあるけれど、私は見たことがない。


「熱を出して死にかけたというではないか。それがこうして新年を迎えて挨拶に来たのだ。少々調子に乗っても仕方なかろう、元譲」

「だからそれで失敗するのがお前だろうが。どうするんだ? 泣きでもしたらお前の長姫のほうが黙ってないぞ」

「姉上も死ぬ思いをして宝児を産みましたからね。それはそれは溺愛していると私にも聞こえています。まずい物を食べさせたとあってはなんと言われるか」

「いや、食べさせたのはお前だ、子桓。そこ、わし、関係ない」


 いつの間にか二対一で曹家の祖父が押されている。


(なんだか、普通の人だ。いえ、そう。そうだった。こういう人たちだった)


 正味六年しかない私の記憶は膨大な未来の知識に圧されていた。

 だから激しく敵を攻め立てる戦争の結果や、誰かを死に追いやる策略の非道さを恐れた。

 それは他人の目で見た記録で、悪をなしたという後世の評価。


 語られるのは目立つ話ばかりで、こんな新年に親類と顔を合わせてただ話す、そんな日常を知るわけがない。


(そして私が知ってるのはこの日常なんだ)


 責められても怒らない曹家の祖父は度量が広いし、楽しいことが好きそう。

 顔は厳めしいけど私を抱きたいとついて来た夏侯の祖父も見た目より気安い方。

 そして私に美味しいお菓子をくれた叔父も情のある方だ。


「私は、平気です。心配させてしまい、申し訳ありません」


 頭を下げるけど、巻くように着せられた毛皮の丈があってないから動きづらい。

 たぶん他から見たら丸まってるんじゃない、私?

 母の着なくなった白裘という高級な毛皮なんだけど。


「おい、子供に気を使わせたぞ。どうするんだ?」

「元譲、お主はもう少し場の空気というものを読め」

「そうです。そんなだから詩の一つも書けないのですよ、元譲おじ上」

「今詩作の才能は関係ないだろう」

「いや、詩一つにもお主の趣を無視する無骨さが表れておる」

「思ったまま書けばいいというものではないんですよ、詩は」


 夏侯の祖父からの思わぬ一言に顔を上げると、曹家の祖父と叔父が揃って責め始めた。


 そう言えば曹家の親類は詩作が趣味な人が多く、夏侯家は狩りだ。

 親戚なのに面白いほど文武に別れてる。


「ふふ、あの、お菓子美味しかったので、もう一ついただいてもよろしいですか?」

「ほら、これだ。この気遣いをお主は学べ」

「子林はこういう礼儀についてはきちんとしているというのに」

「その子林に礼儀を学ぶよう指示したのはわしなんだが?」


 夏侯の祖父が不服そうに言うけれど、適当なお菓子の入った器を取ってくれる。


「む、こっちの干菓子がわしのおすすめだ」


 曹家の祖父が何故か対抗心を燃やし別の器に手を伸ばした。

 するとさらに子桓叔父さまが食堂を見回す。


「父上、果物はないのですか? 干し棗しかありません」

「季節を考えい。あったならこの子にはわしの蜜柑を与えておるわ」


 わしのって言うくらい好きなんだ?

 あ、知識で取り寄せて食べてたってある。

 この時代の温州の蜜柑が長い時を経て東の海の向こうで今も名前が残ってるらしい。


 つまり歴史に残されるくらい食べてたの?

 袖で見えないけど実は指黄色いの?


 なんだか想像すると可笑しい。


「それで言うなら私が葡萄を食べさせています」


 子桓叔父さまに葡萄と言われて東の海の向こうの知識が思い浮かぶから、色や形はわかった。

 けれど私はまだ蜜柑や葡萄を食べたことがない。

 つまり、丞相である曹家の祖父や副丞相である子桓叔父さまのようなすごい人じゃないと食べられない高級品なのだ。


 あ、叔父さまも葡萄をべた褒めしたことを歴史に残されてる。


「お前たち、届いたら囲い込んで食うくせに。食い物やるより薬やったほうがいいんじゃないか?」


 夏侯の祖父の言葉からしてよほどの好物みたいだ。


「とはいえ、薬は苦いからな。伯仁のところの子らが苦い茶を飲まされたと言っていたし。何か好きな果物はあるか? 季節になったら取り寄せてやろう。この親子が」


 しれっと手間と支払いを曹家に回す夏侯の祖父。

 さっき詩の才能のなさを批判されたの怒ってるのかな?


「元譲のとこだから、伝手も何もないんじゃろうなぁ」

「単に人や馬を仕立てて手に入れる金がないのでは?」


 なおも好き勝手に人臣の長である親子が言い合う。

 そう言えば、こういうことをずけずけと言い合う関係が当たり前だった。


「お前たちは場を読むなどという前に人の話を聞けい」


 夏侯の祖父はうるさい二人に釘を刺して私の言葉を待つ。


 けど私が食べたことのある果物は多くない。

 産地に生まれ育ってないと食べたことないなんて珍しくもない。

 なのでただ一つ、美味しいと思った果物を私はあげた。


「あの、父がくれた桃が、美味しかったです」

「子林が? 何処で手に入れたんだ?」


 夏侯の祖父は首を捻る。


「桃か、なるほど長寿を願ってのいい贈り物ではないか」

「娘が思わしくないため仙果を求めるとは、子林にしては夢見がちなことを」


 曹家の親子は頷き合う。

 単に美味しかっただけだけれど、確かにそういう意味もある。


 仙果と呼ばれ不老長寿伝説がある桃を贈ってくれた父の思い。


「む、では桃符でも送るか」

「上手い果物をやろうという話で、桃の板を贈ってどうする」


 閃いたように言う夏侯の祖父に、曹家の祖父が気軽に背中を叩いて止めた。

 子桓叔父さまは年長者たちを脇において私に声をかける。


「子林にしては気の利いた贈り物だ。では、それはまた父に強請るがいい。あの吝嗇家も娘には甘いようだからな」


 子桓叔父さまに頭を撫でられた。


「来年の秋には葡萄をやろう。それまで息災でいるように」

「はい、ありがとうございます」

「あ、ずるいぞ。わしは冬の頭に蜜柑をやろう。爽やかな芳香で気分も良くなるはずだ」


 曹家の祖父が競ってそんなことを言ってくれる。


「青臭く酸っぱい蜜柑など子供が嫌がる味ではないですか。葡萄のように芳醇な甘みが後を引かないくらいがいいのです」

「何をぉ。お主は酒の当てに食うではないか。それこそ子供には早いぞ。あと渋い。あの渋みはいただけん」


 また好きな果物で言い合いを始めてしまった。

 その熱意に私が困っていると肩を叩かれる。

 見れば夏侯の祖父が菓子を摘まみながら隣に座っていた。


「他の者たちの前では言葉を選ぶ。家でくらいは好きに言わせておいてやってくれ。ほら、食え」

「仲がよろしいのですね。いただきます」


 私は毛皮の袖を一生懸命押しやって夏侯の祖父から揚げ菓子をもらう。

 何かの蜜に浸されたらしいお菓子は硬いけれど噛むほどに甘く味わい深い。


(この方たちは死んでしまう。けれど死を目指して生きる人間なんていないはず。私は死の恐怖ばかり見てしまっていたんだ)


 あと四年、それまでに私も生きていられるかはわからない。

 それでも生きてほしいと言ってくれる人たちがいるなら、少しでも笑って生きられるよう死を恐れるばかりでいるのはやめよう。


 私は甘い揚げ菓子を噛み締めながら密かに拳を握って気合を入れた。


週一更新

次回:将来のため

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